男女で海に行くとかいう現実には存在しないイベント・中
同調伝達という言葉がある。
繁盛しているお店と閑古鳥の鳴くお店、事前情報なしにどちらかを選ぶ時、多くの人が繁盛している店を選択するという性質である。
他と比べて特別美味いわけでもないラーメン屋が、店の回転が悪いとかサクラを仕込んだとか味と関係ない理由で行列を作ることで、行列のできるお店として繁盛したりするあれのことだ。
釣られて行列に並んだ結果、いまいちな味のラーメンを食べさせられる客としては良い迷惑だろう。
──僕たちが酷い目にあったのも、そんな現象が理由なんじゃなかろうか。
海の家に設置されたテーブルに突っ伏しながら僕が雑学を披露すると、同じテーブルの椅子に背中を預けて疲れ切った顔をしている北条が反応する。
「……つまり、貴様等の頑張りすぎだ!ってこと?」
言い方はがひっかかるがそういうことだ。つまり、お前等が悪い。
「ひどっ!?」
「今さら私たちにあたられるのは心外だね」
疲れ切ってやさぐれた僕の発言に東雲が苦笑する。
そんなことはわかっている。
ただ、想定よりもあまりにも理不尽な業務量をこなしたことによる疲労感から、何かのせいにしないとやっていられなかったのである。
「むしろ今の言葉はボクたちの見た目が良すぎる事を肯定していると取ってもいいのかな?ん?」
翻って西園寺のやつはまだ長々と減らず口を叩く余裕があるらしい。
そうだな。何もかもお前等の見た目が良いのが全部悪い。
「……そこは突っ込んでくれないとやりづらいな」
返しの台詞を考えるのも億劫になっている僕が西園寺に投げやりな返答をすると、やつは鼻白んだ様子でそう呟いた。
こっちは休憩なしで延々と焼きそばを作らされたのだ。立ちっぱなしなだけでも辛いのに、熱した鉄板の前に居続けるのはまさに地獄にいるかのようだった。
「私も野菜切り続けたせいで腕がぱんぱんです……」
七野ちゃんがそう言いつつ腕をもみほぐしている。八重さんに至ってはひとこともしゃべらずテーブルに突っ伏したまま顔を上げない。かき氷作りが手動だったのは引きこもりには致命的だったようだ。マウスより重い物を滅多に持たないと豪語する八重さんなら仕方ないのかもしれない。
「あたしたちだって接客頑張ったもん!」
北条が身を乗り出して自分たちの努力を声高に主張する。
いや、努力は認めるんだよ。努力は。
あれだけの数の客を働き通しかつ三人だけで捌ききったんだから怠けているなんて口が裂けても言えない。
ただ、こいつらが頑張れば頑張るほど客が増えるという矛盾した状況が発生したというだけで……。
九子さんはお店の状況をキャバクラに例えたが、客側も似たような理解を示したようで三人に話しかけるやからが続出した。
店があまりにも忙しいので三人は適当に流していたし、たいていそれで問題なかった。中には酒に酔ったおっさんだとか、強引に会話に持ち込もうとするチャラいのとかがいたが、すべて九子さんの一睨みで撃退されている。どんな人生を歩んできたらあんな眼力ができるようになるのかは恐くて聞けない。
そしてやはり一番の問題児は北条だった。北条があっちへこっちへ動けば動くほど(一部分に)視線を集め、それを拝むためだけに九子さんに睨まれるのを省みず粘り続ける客が多発し回転率を著しく下げたので、後半はテイクアウトのレジに固定しなければならなかった。
それでも握手会よろしく商品を受け取った際に二、三言会話をし、再度並び直す人がいるのを発見した時は流石に乾いた笑いしか出なかったが。
こんな有様でセクハラ事案やもめ事が起こらなかったのは幸いだった。居酒屋と違って長居できる環境でもなかったし、九子さんが目を光らせていたのも良かったのだろう。
お陰で無心になって延々と店を回すことができたというものだ。……考えてみると、もっと客に長居してもらった方が業務的には楽ができたかもしれない。
「お嬢ちゃん達は悪くないさね。むしろ良くやってくれたよ。あたしが色々と見誤ったのが悪いのさ。夜まで店開いても材料を余らせるぐらいのつもりで準備してたんだが、まさか昼過ぎまでですべて売りさばいちまうとはねえ……。ああ、そうだ。これだけ頑張ってくれたんだから、お給金ははずまないといけないね。期待しといておくれ」
「ホントですか!?やったあ!」
九子さんからの労りの言葉と追加報酬に、不満げだった表情を喜色満面に変える北条。他の面々は現金な北条に苦笑しつつも、追加報酬に悪い気はしていないようだ。
……このバイトが家賃値下げのためのノルマでしかないためありがた味の薄い僕と、配信者としてそれなりに金銭収入があるらしく追加報酬に魅力を感じていない様子の八重さんは真顔のままだったけれど。
まあ、現ナマが手に入る喜びは無いが、バイト一回分ぐらいは免除してもらえるだろう。八重さんは家の家業ということで諦めるしかないかもしれないが。
「さあて。夕方まで働いて、花火を見てから帰るつもりだったけど時間が空いちまったね。せっかくだから海で遊んできたらどうだい?店仕舞いはあたしがやっておくからさ」
「そんなのひとりでやらせられないよ。私も手伝う」
「ありがたいお話ですが、それなら皆で片付けてからでも遅くないのでは?」
九子さんの提案に七野ちゃんと東雲から異論が出るが、九子さんは笑って頭を横に振った。
「いいんだよ。せっかく海に来たんだ、若いもんは遊んでな。あたしは予想以上に忙しくてくたびれたからゆっくりしたいし、なによりこれから
あくどい笑みを浮かべる九子さんに皆が苦笑するが、八重さんだけが興味なさげというかぐったりした様子で異を唱える。
「私はパスだな。ただでさえ普段使わない体力使って疲れてるのに、クソ熱い外で動き回ったら干上がっちまう」
相変わらずの徹底した引きこもり気質である。まあ喜び勇んで海に走って行かれても反応に困るけれど。
「あんたそんなこといって閉じこもってばかりじゃないか。たまにはお天道様の光を浴びないと不健康だよ。それに、これから店仕舞いするんだからあんたがいたら邪魔さね」
「知らねえよ。家業の方はもう終わりなんだろ?それならもうばばあの言葉に従う義理はないね。それに、自分の休憩場所ぐらい自分で片付けて確保するわ」
「……ふん。勝手にしな」
……何やらツンとツンのぶつかり合いみたいな小っ恥ずかしいものを見せつけられた気がするが、これも八重さんなりの親?孝行ということか。会話をすると言葉づかいが荒くなるふたりだが、なんだかんだお互い気にかけているのだろう。
九子さんは八重さんの配信をけっこう追いかけているし、荷運びでへばった八重さんを僕に運ばせて休ませていた。八重さんも普段はそんなそぶりを見せないが、こういう行動に出るぐらいだから悪くは思ってないはずだ。
「……やっぱり私も残って片付けるよ」
そんなふたりのやり取りを見ていた七野ちゃんがそう名乗りでる。
「七野は気にしないでいいんだよ。あたしとこの行き遅れがいれば十分さ」
「おいこら。何十年前の常識で話してるんだよ。二十四はまだぴちぴちだっつーの」
「ぴちぴちなんて死語使う女が若者ぶってるんじゃないよ」
七野ちゃんはしょうもないことで言い合いを始めるふたりを見てくすりと微笑むと、僕らの方を振り返る。
「そういうわけですので、みなさんは遊んできてください。こっちのことは気にしなくて大丈夫なので」
「せっかくの一家団欒を邪魔するわけにもいかないか。それじゃあボクたちは遠慮なく」
西園寺が苦笑しながらも七野ちゃんの言葉に頷き、北条、東雲と連れ立って店を出て行く。
……僕としては立ちっぱなしで疲れたし、遊ぶよりもここに残ってゆっくりしたいのだが、話の流れ的にそうはいかないか。
「それ。お前さんも早くお行き。男だったら番犬の役割ぐらいしてきたらどうだい」
番犬て……。
いやまあ、やつらがナンパされて喜ぶタイプとは思わないし、近くにいるだけで男避けになるというなら別にかまわないのだが。
そもそもやつらはそういうの慣れてそうだし、わざわざそんなことしなくとも適当にあしらうんじゃないかという気がしなくもない。
「馬鹿言うんじゃないよ。慣れているのとされてどう思うかは別問題だろうが。それにしつこいやつは本当にしつこいからね。店ではあたしが睨みをきかせりゃ良かったが、外ではそうはいかないだろうよ」
そう言われると確かにそうかもしれない。
バイトの最中もそういったやり取りの一端を垣間見たが、相手が仕事中だとか忙しいとか、そういうことに頓着しない人間は世の中それなりにいるらしいのだ。
そんな姿勢でよくナンパが成功すると思えるなと感心するが、僕がそういう機微に疎いからそう思うだけで、もしかしたら実績あるが故の行動なのだろうか。
「……それに、今回はあの子ら、特に北条って子には悪いことをしちまったからねえ。せめて最後はいい思い出にしてほしいのさ」
僕がナンパの戦術論に思いをはせていると、九子さんがつぶやくようにそんなことをのたまった。
悪いことを?
確かに今回のバイトは忙しかったし、ちょっと面倒なのに絡まれたかもしれないが、あいつらは上手いことあしらっていたように見える。総合的にみてやつらはそんなに悪く思っていないと思うのだが。
北条なんかは臨時収入が入って大喜びしていたはずだし。
首を傾げる僕を見て、九子さんが大袈裟にため息を吐いた。
「お前さん本当に人の事を見ないやつだね。あんだけ粉かけられることのどこがちょっとなのさ。確かに他のふたりはその辺ちゃんとしてたけど、北条の嬢ちゃんは上手いことあしらえてなかったじゃないか」
……なんと?
僕が思わず後ろの八重さんと七野ちゃんに視線を向けると、ふたりは呆れた目でこちらを見ていた。八重さんについてはどうでもいいが、七野ちゃんにまでそんな目をされるのは地味にショックだ。
確かにひと目を引く三人の中でも一際衆目を集める、というか男ウケする見た目をしている。レジで握手会よろしく列を作ったのも北条ではある。そもそも、バイト先をクラッシュしたという輝かしい前歴の持ち主でもあるのだ。
だが、僕が見ている範囲では他のふたりと比べて北条が特別対応が悪いとは思わなかった。むしろ、客に愛想良く応対しているぐらいだと思っていたのだが。
コミュ障っぷりで言えばどちらかというと西園寺のがこじらせている。先日のサークル合宿で何とかサークルの女性陣としゃべれるようにはなったが、それでも心配されるべきはやつの方じゃないだろうか。
……しかし、それも結局コミュ力の足りない僕の予測に過ぎない。周囲に目を配っていた九子さんだけでなく、僕と同じく厨房でひいこら言っていたふたりがそう感じているというなら、どちらに分があるかは考えるまでもない。
僕が鉄板に集中していたのがいけないのか、あるいは僕が男であるからそういった部分に目がいかなかったのか。
……あるいは、僕が普通の人に比べて他人に気をかけなさ過ぎるのか。
「あの子は人当たりがいい。それは間違いなく美点だけどねえ。場合によっては短所にもなり得る。こんな人が大勢いる場所だ、問題ないとは思うが注意するにこしたこたあない」
人当たりの良さが、短所に……。
「そういうことだ。とにかくできるだけあの子の近くにいてやりな。何もなければいいけど、どんな面倒があるかわからないからね」
ほれ早く行け、としっしと手を振る九子さんい従って僕は店を出る。
三人は律儀にも店の前で僕のことを待っていた。
「ちょっと、遅いわよ!そこの店で浮き輪のレンタルとかやってるみたいだから、借りていきましょ!レンタル代はみんなで割り勘ね~」
表に浮き輪とかボートとかを並べた店を指で指し示している北条を、僕はついまじまじと見つめる。
パチンコにしろオタ活にしろ、どちらかというとインドア気質な北条だが海で遊ぶことが余程楽しみなのか、労働の疲れなど吹っ飛んだかのような様子で満面の笑みを浮かべている。九子さんが言うように嫌な思いをした後のようには見えなかった。
僕なんかには他人の内面を見通すことなんてとてもできないのだけれど。
「おやおや、どうやら彼はナツの身体に釘付けらしい。朴念仁でもこのぼでえの魅力には抗いがたいらしい」
「やっぱり大きいは正義ってことかな?」
そんな僕の様子を見て西園寺と東雲がすぐさま悪乗りしてくる。確かに北条の事を見ていたのは事実だが、身体が目当てと思われるのは本意ではない。
しかし、思っていたことをそのまま説明するのもなんとなくはばかられて、浮き輪なんて借りても北条がちゃんと使えるのか考えていたのだと、別の言い訳を口にする。
「流石にデカいやつを借りれば問題ないっての!……駄目そうならボート型のやつにすればいいし」
なんでそこでちょっと自信なさげなんだよ。いくらなんでも無いわけないだろうが。……流石にあるよね?
「一番大きなサイズを借りれば大丈夫じゃないかな。みんなで使うならそっちの方が都合がいいと思うけど」
「いや、浮き輪なんかもサイズを間違えると水難事故の元になるって聞いたことがある。ナツにぴったりのサイズを選んだ方がいいんじゃないかな。小さいやつから順に試していこう」
それならどうせ小さいのはだいたい入らないだろうし、大きい方から試せばいいんじゃないだろうか。
「そんな選び方したら浮き輪につっかえるパイが拝めないじゃないか」
パイて……。
まあ、その辺りはちょうど良さげなのが選べれば選定方法はどうでもいい。強いて言えば波にさらわれても引っ張れるように取っ手がついたやつがあればぐらいだろう。
「ん?今なんでもいいって?」
ただ浮き輪選ぶだけでその詰められ方することある……?
「それは店のラインナップ次第だね。浮き輪と言ってもいろんな種類があるから」
「それじゃあ、ピンクで花柄でビラビラっぽいの付いててラメ入ってキラキラしたやつ選びましょ!こいつに使わせたら面白い絵面になりそうじゃない?」
「不満そうな顔した彼がそんな浮き輪使ってたらシュールだね。インスタ映えしそう」
それはどう考えても映えない。
そもそもそういう浮き輪は子供向けサイズにしか無いだろう。ちょっとピンクっぽい柄の浮き輪だったら僕は躊躇することなく使える。
「それなら君が使ってて恥ずかしくなるような浮き輪を探してこようじゃないか。その辺の店をはしごすればそういう浮き輪に巡り会えるかもしれない」
「こうなるとなんとかこいつが嫌がりそうな浮き輪を見つけたいわよね~」
西園寺と北条は変な方向に気合いを入れると連れだって店に向かって歩き始める。
たかが浮き輪選びにどれだけ時間をかけるつもりなのだろうか、あいつらは……。遊んでいられる時間もそこまで長くはないというのに。
「まあまあ、いいじゃない。そういう所も含めて楽しむものでしょ、こういうのって。ほら、私たちも行こう」
そう言って小さく微笑むと、東雲はふたりを追いかけていく。
僕としては自分が辱めを受けるために時間を使われるのを楽しめるかと言えば否なのだが……。
まあ、楽しめるやつがいるのなら別にいいか。
とにかく、あいつらから目を離している隙に余計なトラブルを起こされると僕が九子さんから大目玉を食らうことは間違いない。僕が酷い目に遭う未来を回避するためにせいぜい番犬としてやつらの近くに侍るとしよう。
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