第6話 とても過密な、しかし特待生にとっては何てことない日常


 特待生の一日は早い。捕手候補として特待生入学した蜂人族の少女、蜜石は、6月に入って早々”この学校を選んで正解だった”と確信していた。


(改めて思うけど、特待生の先輩方ってすごいなー……そりゃ特別待遇の略だから特別じゃないとダメなんだろーけど、あーし、あんな風になれるかなー)


 朝が早い過酷な毎日を過ごしているという訳ではない。寮長の星上先輩が「入るぜー」と勝手に合部屋に入ってきたりするから、自然と目が覚めるのだ。親の家事の音で目が覚めたり、笑い声で目が覚めるのと同じ理屈である。あとパジャマ姿の星上を見れるので大体起きる。


(あ、豚汁だ。これ好き)


 暖かい豚汁を口に含みながら、蜜石はほっと一息ついた。夏近くでも豚汁は美味しい。寒い季節だけのものではない。


 朝は雑穀おにぎりと豚汁。クラムチャウダーと卵サンドイッチの日もある。おまけに栄養機能食品のトライアルで、乳酸菌飲料とチョコクッキー風味のスティック菓子も支給される。

 量はほどほど。運動するので何か腹に入れておく、という程度のものだ。


(そういや、あーしたちの学校って、体育会系によくある"食いしばき"を全然しないなー。吐くまでドカドカ食え、みたいなやつ。まあ間食の数は多いけどさ)






 朝練は朝7時から1時間程度。

 7時前にはグランドについて準備をしなければならないので、通学生にとっては非常に苦痛である。なので朝練必須ではない。

 ただし特待生は別で、学校にお金を出してもらって学校の寮に住まわせてもらっているのだから、野球活動にはKPIが置かれており、朝練の練度維持も特待生の仕事である。要はほぼ朝練参加である。


(ここでも冷凍バナナとか渡されるしね。朝からおやつ感覚で食べれていいかんじ)


 まずはウォーミングアップ。"ブラジル体操"(アロンガメント・ジナミコ)と呼ばれる動的ストレッチを行う。[1]


 引用[1]:https://junior-soccer-training.blogspot.com/2017/08/brazilian-exercise-menu.html


 関節の可動範囲を広げるように行うこの体操は、手足の冷え解消、高血圧や動脈硬化改善、怪我の予防、瞬発力アップ、捻挫や骨折の予防の効果があると言われている。

 前半はともかく捻挫の予防は重要である。


 そのあとは、瞬発力を鍛えるために、ラダートレーニングと、30m走のスプリント練習。

 まだアップの段階なのに、先輩陣から身体の使い方の指導が入る。特に星上の指導は異様に細かく、ラダーの時点で気が抜けない。

 よく他校ではアップの運動に1000m程度の長距離ジョグを入れたりするが、ときめき学園ではその分の時間をスプリント系のトレーニングに充てる方針のようである。


(うひー。あーし、もう疲れっちゃったー。でも、長距離走は意味薄いと思ってたから、スプリント中心なのは大賛成かなー。今日の朝練はキャッチボールの日だったかな?)


 今日のメニューはキャッチボール練習。

 30メートルではライナー性のボールを投げ、40メートルではワンバウンドで正確に相手に投げる。

 下手投げも行うし右足左足の入れ替えも行う。スナップスローをきちんとできているか身体の動かし方の確認だ。この辺からは技術のトレーニングである。取って投げるのは野球の基本動作であり、安打を打たれたら絶対に取って投げる動作が発生するので、正確に素早くすることを何度も叩きこまれる。

 しかもキャッチボール練習では、本塁、一塁、二塁、三塁の塁間を走りながら投げるランニングスローもやる。これも当然のことで、実戦では走りながら投げて走りながら受けることが多いので当然の練習だった。

 合理的だ、と蜜石は思った。


「は、は、走り、ながら! 苦手な、朝でもっ! 華麗に、ランニング、スローを、こなすっ! この、将来有望でっ、才色兼備なっ、このアタクシっ! その名も――」


「そこ! 疲れでスローイングの姿勢が乱れてるよ! 疲れているならグループから抜けて隅っこでゆっくり基本姿勢の反復! 疲れで乱れた姿勢のまま練習してもむしろ悪い動作を身体が覚えちゃうから、姿勢はしっかり! いいね!」


 羽谷先輩の檄が飛んで、新入生が一人隅っこに飛ばされる。吸血鬼の娘はしょぼくれていた。

 これも走りながらのボール回しあってのこと。ただ投げるだけのキャッチボールで「フォームが乱れてる」「球筋が汚い」「胸元に投げろ」などを気にするより、こちらの動作をつけた動きで学ぶほうが遥かに発見が多い。


(ひゃああ……姿勢の乱れを出さないようにするのってしんどすぎるよー)


 ――朝練は1時間程度。終わったらさっさと制服に着替える。

 ちなみに朝練も午後練習もユニフォーム必着ではない。スポーツウェアで参加OKなので、通学勢はスポーツウェアで学校に来たりする。着替える時間がもったいないというのが理由であった。

 これも合理的。蜜石はこういう合理性が好きだった。






 そして始まる授業。

 ときめき学園の野球部は学業にもしっかりと力を入れている。授業中にスマホをいじってグループトークでふざけた投稿をやってるのは星上先輩ぐらいである(そして大体緒方先輩らに叱られる)。


 昼休みの練習は流石にない。だが運動器具は自由に解放されているので、早い者勝ちで使ってよい。運がいいと星上先輩に基本動作の指導をしてもらえる。

 また、授業の合間合間の休み時間にはスポンサーから配給されているおやつを食べてよい。これも例のごとく、栄養機能食品であった。バナナクッキーや栄養ゼリー。廃棄寸前のものや試供品をどんどん回してもらっているらしい。


(一回一回の量は多くないけど、めちゃ食べるなー。あーし太らないかな)


 休み時間にぺろりと間食を食べつつ、蜜石は自分の身体を心配した。多分太るだろう。


 1日で合計約2500~4000キロカロリーを摂取し、身体を大きくするトレーニングらしい。間食も含めてよいなら、1日6食ぐらいになる計算である。ウェイトが増えればバッティングの飛距離も伸びるしスタミナも伸びる。

 問題があるとすれば、授業中に眠くなりやすいところかもしれない。






(今日はウェイトじゃなくて技術練習かー。強豪校って大体、毎日技術練習やってるイメージだけど、あーしらのところは結構ウェイトの日が多いなー)


 ――放課後練習はかなりスケジュールが密に詰まっている。ウェイトをしない技術練習の日は、だいたい下記のようなスケジュールになってくる。


 ①ウォームアップ、キャッチボール、ゴロ捕球、トスバッティング、バント等

 ↓↓40分

 ②(内野)守備練習(ランダムノック50本など) (外野)ティーバッティング

 ↓↓20分

 ③(内野)ティーバッティング (外野)守備練習(ライトノック)

 ↓↓20分

 ④(内野)ケースノック守備 (外野)ケースノックランナー

 ↓↓20分

 ⑤片付け、グラウンド整備

 ↓↓20分

 ⑥サーキットトレーニング、静的ストレッチ

 ↓↓10分

 ⑦ミーティング

 ↓↓10分

 ⑧完全下校


 甲子園のシーズンが近づいて来たりすると活動延長届を提出して一時間多く練習するが、その程度だ。


(練習量は少なく、身体づくりの時間を多めに、ね。あーしのいたリトルだと、ここまで割り切ってなかったなー。でも練習の待ち時間がやたら長いわけじゃないのはいいね)


 ――ちなみに活動延長届を提出する日は晩御飯も出してくれる。通学勢は食べる時間が20分しかないのがネックだが、「豚肉の生姜焼き、オニオンリングフライ、ポテトサラダ、きんぴら」「ホッケの塩焼き、コールスローサラダ、根菜の味噌汁、フルーツ」など、おかずが豪華なので1~2品だけでもつまんで帰る生徒も多い。


(きんぴら残らないかなー。あーし、きんぴらのピリ辛マヨ和え大好きなんだよねー)


 そんなことをひっそりと蜜石は考えた。

 おかずが残ったら、特待生の夜食や朝ご飯や昼ご飯になる。これも特待生の隠れた特権であり、スポンサー様から頂いたおかずを極力廃棄にしてはいけない――という特待生の責務でもある。


 回数を食べていたら自然と胃が膨らむ。ときめき学園は、泣きながら無理やり食べるような体育会系の高校ではない。

 ウェイトトレーニングや技術練習がぎっしり詰まっていて、サボる時間が全然ないので、必然と消費カロリーが多くなり、ご飯を多く食べるようになるだけなのだ。

 これも蜜石の好きなところである。ドカ食いを強要するような強豪校は山ほどある。だがときめき学園は生徒の自主性を重んじてくれる。それでも先輩方を見ると、体格を大きく育てることには成功しているので、体格を大きくするための食いしばきは必須ではないのだろう。






 そして訪れる20時以降。

 特待生に許される自由の時間。


(やっぱりこの学校を選んで大正解。プロ入りを選ぶか進学を選ぶか、もし迷いがあるなら、この学校が一番条件がいい――)


 星上先輩は動画作成やら打ち合わせやらで忙しくしているし、甲野先輩を筆頭に先輩陣は練習メニューを考えたり、合同で試験勉強会をやったりしている。憂さ晴らしに夜食を食っているが、これもまたトレーニング。


「……聞いてほしい。次の練習から、ロングティーで、骨盤の使い方を覚えさせたい。遠くの打球を飛ばすやり方。打球の角度の付け方。動作の確認。ひいては、バント練習を削りたい」


「あー、まあなー。当て感覚えたらさっさと長打の感覚を付けてほしいしな。膝と股関節の使い方とか、上半身の開きとか、やっぱり新入生はまだまだ甘いしなー。そこはフォーム矯正大臣の星上パイセンに頼むっきゃねえかー」


「ボクはキャッチボールをどこかでがっつり掘り下げたいなー。質が低い。まだフォーム矯正が定着できてない気がする。ゴロへの入りも甘いし、送球姿勢が固まってない気がするね」


「うひー……。投手養成のプログラムが難しくて、私、何もできてないですわ……。投手ってどうやって育てればよろしくてよ……」


「ドンマイ森近。ボク思うけど、投手はやっぱり才能だよ。やっぱり星上の言うように、基本メニューはあまりいじらず身体作り優先で、人数揃えて、お互いに技術交換で高め合う感じに近付ける方がいいんじゃない?」


 甲野先輩も、緒方先輩も、羽谷先輩も、森近先輩も。

 平然とハードなスケジュールをこなしながら、さらにメンバー育成方針を議論したりしているが、並大抵のことではここまでできない。


 蜜石は素直に尊敬している。ゆるい口調と裏腹に、打算で動くところがある蜜石は、この先輩方のように中々優しくなれない。自分の技術の成長ぐらいは自分でやれ・・・・・、と突き放して考えるところがあるからだ。

 だから、あんなにチームのことを考えられる甲野先輩たちは、とても尊敬できる人たちなのだ。


(……甲野先輩って、普段は寡黙なのに、全体を考えてるよね)


 緒方先輩、森近先輩、星上先輩、という全然タイプの異なる三種類のピッチャーの球を全部受け止めて、配球も組み立てられる。

 しかも長打率が異様に高く、クリーンアップまで任される。

 普段の練習や試合では、星上先輩とは違う方向のキャプテンシーを発揮する。


(あーしも、ああいう人になりたいな……)


 足の遅さ以外に隙の見当たらない、ほぼ完ぺきな捕手――。

 蜜石がときめき学園で"この人に師事したい"とまで惚れ込んだのが、この甲野巡であった。


 しかもここにきて星上先輩である。


「? スケジュールの調整か? そろそろアップ代わりに走塁練習入れたら? あとランメニューは指導者が見守るだけで手空きになるから、Aチームノック練習、Bチームランメニュー、次交代、みたいにしようぜ。俺たちがノッカーやれば当て感の確認とバットコントロールの練習もかねてできるしさ。これで10分~20分浮かせられない?」


 この星上先輩、なかなかの曲者で「空いた時間でタイヤ投げしようぜ! あれ全身の訓練になっていいんだよな! 腕だけじゃなくて背筋も鍛えられるし、体軸の意識になるし、バッティング力も伸びるぞ! タイヤは調達が簡単だし!」と、アイデアマンなのはいいが、皆を振り回す傾向がある。

 なので周囲の先輩が保護者役みたいになって止めたりする。悪い人ではないのだが、もうとにかく宇宙人・・・なのだ。


「まって、タイヤってどこからですの……?」


「ああ聞いてくれよ森近! 今度新しいスポンサーがつきそうでさ、そこが社会人野球でもすげー有名な自動車系の大企業なんだぜ! 廃棄のタイヤの調達は超余裕。で、タイヤ投げの風景動画も撮れば、動画投稿は取れ高稼げるしスポンサーへの仁義を切れるし! 将来的に、社会人野球の人と合同練習できるチャンスでもあるし! な!」


 とにかくエネルギーの塊のような人間である。

 先輩方に白い目で見られながら、星上先輩は堂々と言ってのける。


「まあ、大抵どこのチームもだけどさ。短い練習時間の中で、バント練習やトスバッティングに時間をかけすぎていたり、アップが過剰だったりするよな。ルーチン作業になってダレつつあるならいっそ一か月ぐらい切ってもいいと思うぞ」


(わあー。言ってることは分かるけど……星上先輩って、本当にすごい"強烈"だなあ……)


 世間話感覚でスポンサーをひょいと拾ってくる先輩を見て、蜜石は呆れ返ってしまった。クソ格好いいイケメンで言ってることも正論だからギリギリ許されてるかもしれない。それぐらいこの人は"自由"すぎる。


 練習を切ってもいいとまで言ってのけた、超アグレッシブ行動力無尽蔵人間の星上先輩が、「あ、蜜石さん? だっけ?」と突然声をかけてきた。

 蜜石は思わず飛び跳ねた。


「きゃ、え、あーしですか?」


「寮の一年みんな呼んでくれる? 一緒に風呂入ろうぜ」


「ぴゃ」


 蜜石は心臓が止まりそうな気分になった。

 何でも筋肉の付き方の確認と、ボディマッサージを行うらしい。

 後から水着着用と聞いて正気を取り戻したが、それでも心臓の鼓動が止まらない。


(やっば、やっば、やっば。やっぱりこの学校選んで正解だった。あーし大勝利じゃん)


 年上の色々デカいクソイケメンと混浴出来て全身マッサージしてもらえるとか断るはずがなかった。バッテリーを組みたい憧れのホッシ先輩であれば尚のことだった。色々考えたが性欲で全部吹き飛んでしまった。

 女むさい・・・・野球なんてスポーツにこんな男が現れて「水着で混浴しようぜ」なんて言われて是も非もあるはずがない。


 ――星上先輩が帰ってきた6月。

 蜜石はまだまだ、ときめき学園の特待生の過密な一日に慣れていない。






 ◇◇◇






 彡(゚)(゚)「ワイがときめき学園のレギュラーメンバーに……?」


 132:やきうのお姉さん@名無し

 まってホッシと一緒にお風呂

 禿げそう

 アカンワイ死ぬ


 133:やきうのお姉さん@名無し

 締まってない身体見られた

 グエー死んだンゴ


 134:やきうのお姉さん@名無し

 ワイもうあかん

 みんなのしゅっとした身体と比べてワイのおこちゃまみたいな身体よ

 どうして差がついたのか……慢心、環境の違い

 タフィーも呆れとったわ


 135:やきうのお姉さん@名無し

 >>132-134

 夢小説か?

 ガチなのかネタなのか分からんなってきたわ


 136:やきうのお姉さん@名無し

 >>132-134

 そろそろコテハン付けそうな勢いやな……

 スマホってことは学生か?

 domeco民はこれだから困る


 137:やきうのお姉さん@名無し

 なんでホッシと一緒に風呂入れるねん

 急展開すぎて草






 ―――――

 ※ホッシのホッシが元気になる下ネタをどこかに入れようとしてやめました

 いつか書くかもです


 ※2023/08/15:ホッシ用語ではなく、誤字です……誤字指摘ありがとうございます!修正しました!(確度→角度)

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