私にドレスは必要ない

 どことなく、さわやかで心地の良い香りのする部屋だった。写真館の外観からは考えられないほど大きな部屋で、トルソーに着せられたドレス、ハンガーにかかったドレスがいくつも並んでいた。

 全てが輝いていた。これにはフィオリエだけではなく、私も感嘆の声を漏らしてしまった。


 ドレスの手入れをしていたのだろう、部屋にいた女性が私達に気付いてお辞儀する。この部屋でドレス選びや着付けを手伝ってくれるアシスタントだと、店主が説明し「後をお願いするよ」と去っていく。


「それじゃあ……早速ドレスを選びましょうか!」


 残ったアシスタントさんが手を叩けば、フィオリエは「わー!」と声を上げてドレスを物色し始めた。


「本当にすごいわ! いろんなドレスがあって……こんなんじゃ、すぐに決められないわ!」

「髪飾りやティアラなんかもあるから、その中で気に入ったものがあれば、そこから決めちゃうのもアリって、アシスタントさんが言ってたわよ」

「それも……アリね。でも、いいかな」


 と、トルソーに着せられた純白のウェディングドレスを見ながら、フィオリエは首を傾げる。


「私『アンテナ』あるし」


 フィオリエの頭の花は、紫色の細い蕾だ。だから彼女はたまにそう呼ぶ……昔「本当のアンテナみたいに、何か……たとえば風の声とか水の声とか、妖精の声とか聞こえたらいいのに!」なんて言っていたこともある。


 ドレスとドレスの間を跳ねるようにして進む彼女は、女学院の制服姿であるものの、まさに幼いお姫様のように思えた。あるいは兎か。


 私はただ彼女の後をついて行く。どのドレスも美しく輝いている。かわいらしいものから、スタイリッシュなものまで。結婚に憧れる女の子が見れば、目を輝かせずにはいられない光景だろう。


 ところが私は、どれにも惹かれなかった。

 だからフィオリエに「シリアン、これどう思う?」と出されたドレスに対して、彼女に似合うかどうか、そしてドレスそのものの印象を伝えるだけしかできなかった。


「こんなのは?」

「袖が広がっててかわいいわね……似合うと思うわ」

「でも、色があんまりかな……真っ白じゃなくて、なんていうか、ミルクって感じじゃない? ……あとあんまりかわいすぎると、子供っぽいかしら……こっちのドレスはスタイリッシュって感じね! うーん、大人!」

「フィオリエの髪、かわいいようにも、かっこいいようにもできるから、これでもよさそうね」

「……でもこのドレス着るのなら、ヒールの高い靴の方がいいわよね? 少しの間でもヒールの高い靴履くのは怖いかも……あと……これ、私、入る?」


 ドレスがすぐに決まらないことは覚悟していた。この部屋に入った瞬間から予想できたことだったし、そもそもフィオリエは『お姫様』気質だ、ちょっとわがままなところがあるため、完璧なドレスを見つけないと終わらないだろうと、わかっていたのだ。だてに私も、彼女と四年間、部屋を共にしてはいない。

 ……少し苛立ちは感じるけれども。


 でもこれは、優柔不断でわがままな彼女に対してのものではない。

 間違いなく。間違いなく。


 フィオリエは次々にドレスを見て行き、どんどん先に進んでいく。私は置いていかれないよう、必死に追いかけていた。時々アシスタントさんからもアドバイスを貰いつつ、見逃すことなく順番にドレスを見ていく。


 ところが、というよりも、それでもやはり、といったところか。


「これでもないし、あれでもない……」


 ついにフィオリエの手が止まり、彼女は天井を仰いだ。


「しっくりこないわねぇ!」

「まあ、まだ半分くらいしか見られてないし」


 白系のドレスの大半は見終え、少し考えを変えてカラードレスを見始めていた。


「お嫁さんって、こんなに大変なのかしら……」


 不意にフィオリエはぼやき出す。顔には少し、疲労の様子が見られた。期待はずれ、の顔だったのかもしれない。

 しかし彼女はかすかに頬を染めて、微笑んだのだった。


「でも……こんな機会があって、本当によかった」

「どうしたの急に」

「だって……私、結婚できないと思ってたんだもの。結婚できないから……こういうドレスも、一生着られないんだって、思ってた」


 私は何も言えなくなってしまった。

 嬉しそうで、安心しているかのようなフィオリエの顔。けれども確かに、温かい感情とは別の何かがあった。悲しいとか寂しいとか、そういったもので、でもそれでは足りないもので。


「私には、王子様なんていなかったのよ」


 目の前にあるのは、水色のドレス。青空よりも、透き通った湖を思わせる。フィオリエが触れると波打ち、きらめきが散る。輝きはベールのようにも見え、その向こう側に、一体何があるのだろう。


「いつかきっと来てくれると信じてたのよ、王子様。ある日、白馬に乗ってやってきて、私を見て『ようやく見つけた、運命の人』なんて言ってくれて……」


 彼女は水色の輝きを手放した。


「でも現実は違った」


 その水色に、頭の蕾の紫色をあわせるのは、難しかった。彼女もそう思ったのかもしれない、手は蕾を触れる。


 彼女は、たとえお姫様であったとしても、短命を運命づけられた『花憑き』だった。

 いまもじわじわと、死が彼女を蝕んでいる。


「でもね! 私、この花、気に入ってるのよ! ほら、ぴよぴよ揺れておもしろいでしょ? あと鳥の羽っぽくも見えるし」


 唐突に彼女はぱっと顔を明るくさせた。

 残念ながら、頭の蕾はアクセサリーでも飾りでもないのに。


「あのね……『頭お花畑』って昔の言葉、知ってる?」


 私は呆れかえっていた。自分でもいまひどいことを言っている自覚はあったものの、止められなかった。その上。


「なあにそれ? 素敵な言葉ね!」

「……」

「お花畑って、街の外のあれでしょ! あれ、綺麗よね!」

「……ごめんフィオリエ、これは悪口なの。それもひどい悪口だったの。ごめんなさいね」


 私の謝罪に、フィオリエはただ首を傾げるだけだった。

 ドレス選びに再び戻る。新たなドレスを眺める。

 ――私の髪の毛のような、赤色のドレスだった。

 ただしそのドレスの赤色は眩しく、私の髪はくすんだような赤色だったけれども。


「ねえ、シリアン」


 フィオリエがこちらへ振り向く。

 どうしてか、久しぶりに目があったような気がした。


「シリアンは、どんな人と結婚したい?」


 ――私は聞こえなかったふりをした。ドレスを物色し続ける。


「シリアン、シリアンってば! ……もー! 話聞かないの、あなたじゃないっ!」


 フィオリエはすぐに諦めてくれた。私もわかっていたから、そうしていた。


 ――誰とも結婚したくない、なんて言ったのなら、夢を見ていた彼女を傷つけてしまうような気がした。

 でも、本当に、誰とも結婚したくなかったのだ。


 だって、あなたじゃないから。

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