二輪の花、少女二人

「――ああ、うふふ、いろいろわかっちゃった」


 不意にベラの薄い茶色の瞳がきらめいた。彼女はステップを刻むようにくるりと回れば、ベッドに腰を下ろす。


「あの、ベラ……」


 全部わかってしまったのだ。ベラは時々、魔法使いのように、他人の瞳から考えていることを読み取る。


 ベラは咲く。もう間もなく。

 時間はない。

 彼女は美しく咲く。あの楽園の花となる。


 ――いなくなる。

 ――お別れになる。


 申し訳なさで胸がいっぱいになる。きっと、言うべきではなかったのだ。たとえ彼女自身、もうじき咲くとわかっていても。


 花になる、なんて言葉で飾っても。

 いなくなることは事実で、それは「死」と、何が違うのだろう。

 花になったのなら、いま私の目の前にいるベラはいなくなるのだから。


「ごめんなさい」

「謝ることじゃないわ」


 そう返す彼女には、どこにも不安や苦痛の様子は見られなかった。

 むしろ、きらきら輝くように微笑んでいて。だからこそ、頭の蕾も美しく見えて。


「――羨ましい?」


 眩しいほどの黄色を眺めていると、ベラが瞳を細めて、どこかいたずらっぽく首を傾げた。私は慌てる。


「そんなこと、言わないで……」


 羨ましいかと聞かれると、それより。

 ――早く見てみたい、という気持ちの方が強かった。

 きっと、その時、ベラがもっとも美しい姿になるのだろうから。楽園へ歩き出すのだから。


 でも――でも。

 ――私の蕾の膨らみは、まだ足りないのに。

 だから――ちょっと憎いとも、思う。


 先に咲くなんて、先に行ってしまうなんて、なんてひどい奴なんだろう、なんて。


「ルビーだって、嬉しいでしょう? 私が咲くの……ついに花になれるのよ。そして、あの花畑の一員になれるの」


 あのベンチでの表情を、ベラは窓の外に向ける。つられて私も視線をそちらに向けた。すっかり夜に染まった窓の向こう、街の様子だけしか見えない。喧噪が響いてくる。けれどあの静かで、少女達の囁くような笑い声が聞こえる花畑は、その先に確かにある。


「実際あと何日くらいで咲くのかしら? それとも何時間? せめて、あと一回くらいケーキ作りたいし、ルビーのお菓子も楽しみなんだけど……」


 ベラはまるでパーティーを待っているかのようだった。


「……ベラは、本当に開花が待ち遠しいのね」


 ふと、ベラに手を伸ばしたくなる。まだ触れられる距離だった。

 けれど、近いうちに、彼女はいなくなる。


「……ベラがいなくなったら、私、寂しいわ」


 ついに言葉が零れた。波打つ水面から溢れ出たかのように、言葉が漏れてしまった。視界も歪む。

 初めて口にしてしまった。だってそんなこと、彼女に「咲かないで」といっているのも同然で……開花を待ちわびている彼女に言うべきものではないと、思っていたから。

 けれど、うっかり零してしまったのなら、そのままぽたぽた、涙みたいに零れ出てしまう。


「ベラが咲くの、私も楽しみにしているわ。でも……でも……遠くに行かないで、ベラ。おいていかないで……」


 伸ばした私の手は、ベラの袖を掴んでいた。


「私、もっとベラと一緒にいたい。ケーキ作り、あと一回くらいなんて言わないで。今度手伝ったら、またその次も手伝うわ。だから……まだ咲かないで。一人に、しないで」


 ああ、言ってしまった。

 空気の読めない言葉。彼女を祝福できない。

 ベラをがっかりさせてしまったかもしれない。そのことに、私は一瞬焦ってしまうけれど、もうよかった。

 言ってしまった。私は最低だ。嫌われても仕方がない。


「――ルビー……」


 ベラがそっと立ち上がる。少し驚いた様子で目を丸くしていた。

 ああ、やっぱり、嫌われたのかもしれない。


「――ごめんね、ルビー」


 けれども、違った。

 不意に、彼女は私の手を優しく掴んだかと思えば、そのままベッドへ連れていき、並んで座らされた。ベッドが軋んで、二人分の体重を支える。


「その……あなたを一人ぼっちにさせたいわけじゃ、ないの。ただ……咲くのが、嬉しくて」

「それはわかってるけど……でも」

「……ルビーは、嬉しくないの?」


 私だって、嬉しい。親友の願いが叶うというのなら。それにその瞬間は、きっと、世界で一番美しい。

 それだけじゃない。ベラが喜ぶ気持ちはすごくわかるから、もしも立場が逆だったのなら、私もベラみたいに喜んだだろう。この花が咲いて、あの美しい花畑の花になれるのだから。

 でも、現実は、彼女は私よりも先に咲いて、先に行ってしまう。いなくなってしまう。


 一緒に咲きたかったのに。

 もう一緒に、いられない。


 ――ベラはそのことについて、何も思わないの?


 なんて口にはできない。

 だってベラから言わないから。


 彼女から言わないということは――そういうことかもしれないから。

 ベラはきっと、寂しくないんだ。


「ルビー」


 ベラは額を私の額に触れさせる。重なり合う、黄色の蕾と、赤の蕾。心地がいい。

 けれど、思ってしまうのだ。

 この温もりも、近いうち、なくなってしまうのだと。


「――ごめんなさい」


 私は自然と、立ち上がっていた。

 そのまま耐えきれず、部屋の外に出てしまった。

 泣くことは、なかった。ただ変なことかもしれないけれども、ベラと一緒にいられないことに目を向けたくなくて、だから、ベラから離れたかった。


 その現実から、逃げたかった。

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