第42話

 自分でも、いまだに考えるんです。こういう社会的疎外者への同情がいつのまに生じたのか。この核反応の元は何なのか。

 何につけてもそうですが、因果の鎖はどこからも見いだせるものです。鎖は鉄の重々しいものから紙の飾りつけ用のものまであります。人によれば鉄のものだけ探すひともいれば、紙のものも探すひともいるでしょう。僕は、その後者でした。つまり僕は鎖を見つけるのに本質かどうかは関係ないんです。どんな因果も僕のものにして、見つけることで身体にまきつけるんです。僕の過去が一等哀しく見えるように。

 たとえば幼いころの吃音、それによる数年間のしつこいいじめ、もしくは両親の育児放棄じみた放任主義、親愛なる祖母が五歳で亡くなったこと、あるいはひどい内また歩きで通りすがったとき、それを見た年上のカップルが笑いのネタにしたこと。……

 こんな大小の出来事を持ち出しては、僕は自らを社会的疎外者の代表のように位置付けていました。鎖はことあるごとに、僕をニュースの犯罪者やドキュメンタリーにでてくるホームレスやセクシャルマイノリティと連帯させ、漠然としたマジョリティを憎ませました。

 ……僕がどうしてこんな話をしたかというと、別に同情してほしいとか、そういうわけではありません。……いえ、僕のことですから、そういう気持ちもあったのかもしれない。実際、僕は僕のことでよくわからないところがあります。僕はもうほとんど無意識的に奇妙なナルシズムに囚われていますから。

 ただ、すくなくとも僕の明確な意図としては、僕は同情というより、むしろ失望のための助走のつもりだったんです。だから、こんな不快な話をしたんです。……だって不快でしょう? 昔から僕が情け深いひとだったとか、そんなの他人からすれば嫌な話題だ。それはまるでマダムの香水のようなもので、本人からすればいい香りをつけているつもりが、相手はそうではないんですよ。しかも相手のその着飾った臭いにもっとも敏感になるのが若者でなくて、おなじマダムという点でもね。

 ともかく、僕がこういう話をしたのは、同情を引き出そうとするわけでなくて、ただ単に、むしろ僕の薄情さを際立たせるためなんです。

 あんなこと言いつつ、僕は決して善人ではないんです。僕の培った信条とはうらはらに、僕は実際のマイノリティ、親しくない社会的疎外者にあまりにも冷淡すぎました。あんなこと言いながら、中学時の僕にはそれなりの友人がい、もうすでに吃音は完治して、クラスの太ったいじめられっ子やよそよそしく扱われる特別学級の生徒にたいしてほとんど無関係を装っていました。それどころかクラスメイトの陰湿な行いに、加担はせずとも悪逆な笑みをもって見守ったりもしていたんです。

 そのくせ僕は一種の疎外感を思い出すときさえあったんです。それはたいてい学園祭や運動会の、たしかな全体的な興奮につつまれたときで、たとえば美辞麗句の青春ソングの合唱を聴いたり、学級代表リレーの応援の熱狂を見たりしたなかで、僕は自らがのけ者になった気になり、また吃音やらカップルの笑い声を回想して、あえての口パクや離席で気持ちばかりの抵抗を示すんです。

 そこに目に見えない鏡があればよかった。感傷的なナルシズムにひたった僕の顔は、何とも醜いもののはずなのに。

 僕は都合のいいことに、信条と行動の矛盾に苛まれるどころか気づきませんでした。もはや矛盾は、僕の個人としての埋没を避け、しかし現実的な困難に瀕しないための必要なアンビバレンスとして定着していたんです。僕は、感化院の少年をはめこむ村長だった。……

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