虎命会話(こめいかいわ)
バークシー
本文
0
君達に誰かを好きになる資格なんてない。
1
「ヒャッハー! こいつ、ジャガイモなんか持ってやがるぜぇ!」
「こっちはニンジンだ! さては今日の晩ごはんはカレーだなぁ!?」
「ママの負担を減らすためにおつかいなんかしやがって! 見上げたやつだ!」
「やめて! かえしてよぉ!」
ボクはその日、がっこうからかえるとおかあさんにかいものをたのまれた。
スーパーでいわれたものをかって、ちかみちしようとこうえんの中をとおっていたら、ボクよりおおきいこわそうなおとこの子たちにつかまってしまった。
そのうちのひとりがスーパーのふくろからたまねぎを見つけて、みぎてでたかくもちあげながらせんげんする。
「へへへ、コイツをとことん
「やだよぅ……かえしてよぅ……!」
「やめなさい、君達」
そのとき、だれかがボクたちにちかづいてきた。
みんながそっちをむく。
そこにはひとりのおとこの子がいた。
みじかくしたくろいかみの上にぼうしをかぶっている。
くろいシャツをきて、下にはあお色のながいズボン。
そのおとこの子はゆっくりとこっちにあるいてくる。
「なんだぁ? おまえ?」
「邪魔すんなよな、今いいところなんだからさぁ」
「関係ねえやつは首を洗って引っ込んでな!」
「確かに。確かに私には関係がない。君たちに関係ないと言われればその通りと肯定するしかない。まさにその通りと
けんかということばをきいて、いじめっ子たちはすばやいうごきでおとこの子をとりかこむ。
「おっ、やんのかコrrrrrrrrr!(巻き舌バグ)」
「上等だオォォン!(CV:ニャンちゅう)」
「かかってこイヤアッフウゥゥ!(突然のマリオ)」
「
ヒュンッとかぜをきって、おとこの子はポケットからなにかをとり出した。
それがなんなのか気づいたいじめっ子たちはぎょっとしてうしろに下がる。
「て、てめぇ、なんだぁ! その
「これはカッターナイフと言ってね、主に紙を切るために作られた文房具だよ。ほら、ここに刃があるだろう? これをこうして……」
おとこの子はそういいながらカッターのはを出すと、自分のうでにおしつけて、そのままよこにひいていく。
うでからはあかい血がぷっくりとふくらんで、やがてつーっとながれだした。
「うわあぁぁっ!? 血ぃぃぃ!?」
「びゃああああ!?」
「なにやってんだお前ぇ!?」
「何って、こいつはただのデモンストレーションさ。カッターを人体に使用したらどうなるのかっていうね。ご覧の通りだよ。ご覧の通りいとも
チキチキ、とおとをたててカッターを出したりしまったりしながら、おとこの子はいう。
「ちなみに君達の方が人数は多い。それでも君達のうちの少なくとも一人の喉を
そういって、いっぽまえにふみ出すおとこの子にむかって、いじめっ子たちが口ぐちにさけんだ。
「やべぇ、コイツ頭がイッちまってるぜ!」
「キ〇ガイだー!」
「ママ怖いよぉー!」
そしてすごいいきおいでばらばらになってにげ出した。
「全く困った世紀末ボーイズだ……」
カッターをポケットしまいながら、それにしても、とそのおとこの子はいう。
「子供の
手っ取り早くはあるけれどね、とつかれたみたいにつぶやいて、それからボクのほうをむいた。
「君は真似しないほうがいいだろうね。たとえカッターであっても正当な理由なき
ボクはべそをかきながら、おれいよりもさきにしつもんする。
「ぅ……ぐす……な……なんでボクをたすけてくれたの……? ボクなんかたすけてもいいことなんてなにもないよ……? だって……みんなボクのことキライみたいだし……みんなボクのこといじめてくるし……だから……あなたもきっと……ボクのことキライなんでしょ……?」
それをきいて、そのおとこの子はじっとボクをかんさつするみたいにながめた。
「やはり似ている……まさか同類と出会うことがあるとはね……君も極度に傷つくことを……。……いや、私は君を嫌ってはいないよ。そして私は君がか弱い女の子だから助けたわけじゃないさ。君が困っている女の子だから助けたわけじゃない。正義ぶってやったのでもない。自分のことを正義の味方だと思っての行動では決してない。要するにさっき言った通りだよ、私はああいう
「……?」
「とはいえ君は怖がらないんだね。いきなり刃物をチラつかせるような相手を
「……よくわかんない……いじわるされたりいやなことがあると、ときどきあたまの中がいっぱいになって……気づいたらなにもかんじなくなってて……」
「……自らが傷つかないために状況を受け入れる、か。状況を
おとこの子はすこしかんがえるみたいにしてから、ゆっくりといった。
「君は身を守る
「え……?」
「私の名前は
「こめー……かいわ……?」
はじめてきくことばにくびをかしげるボクを見ながら、おとこの子……トシウエくんはまじめなかおでつづける。
「このどうしようもなく傷を負う必然を所有する世界において、君は力を手に入れるべきだ。世界に
ボクのあたまにことばが入っていくのをゆっくりまってから、トシウエくんはいった。
「私の
それがボク……
2
相手と同じフィールドに立つな。
自身が傷つかないことを
エトセトラエトセトラ……。
ボクは師匠から会話の使い方を、会話の始め方を、会話
《会話》の使い方が上達するにつれ、ボクは自身の特質である《状況に対して無感覚になる》ことを自分の意志でコントロールできるようになっていった。望んだ時に心を現実から切り離し、身を守ることができるようになっていった。
自分が傷つかないための技術である会話遣いの《会話》は、いわば筋トレみたいなものなんだろう。《会話》が上達すれば、自然と傷つかないための立ち居振る舞いがわかってくるということなんだろう。
ところで、会話遣いなんて
会話遣いは
それは言わば個性だ。
だからボクには師匠の虎命会話を使うことはできない。師匠がボクのXX会話を使えないのと同じように。
……うーん、それにしても。
名前が決まっていないと
ボクの《会話》には、まだ名前がついていなかった。
会話遣いは自分で《会話》の名前を決める。
師匠には早く決めなさいとよく言われていたけれど。
ともあれ。
当時小学一年生だったボクは放課後になるとあの公園へ行き、そこで一年間、師匠から会話遣いの基本を学んだ。
師匠に対するわずかに残っていた警戒心が消え、尊敬の念が増し、信頼を寄せるようになり、そしてそれが恋心へと変わるのに、そう時間はかからなかった。
初めて出会った、初めて知り合った、ボクの心をわかってくれる人。
同類。
鏡に映った自分を見ているような安心感。
でも。
日に日に
ボクの前から、いなくなった。
その原因も、その理由も、その
まるで最初からそんな人間など存在しなかったかのように。
師匠は消えてしまった。
ボクの前からいなくなった。
師匠は何故消えたのだろう?
何を思って、何を感じて、何が起こって、いなくなってしまったのか。
何もわからなかった。
一年間、ボクと同じ時を共有し。
身を守る方法を伝えるだけ伝えて。
それからさらに二年
ニ年。
長い時間だ。
それだけの時が流れても、ボクは師匠を忘れるどころか、また再会したいという思いをより
ボクには確信があった。
確信めいた直感があった。
直感じみた信仰があった。
師匠は生きているって。
案外そう遠くないところで暮らしているんじゃないかって。
そう
もう一度。
もう一度師匠に会いたい。
会ったら、まず
会話の使い方が上手くなったねって。
師匠がいなくなってからも、ずっと練習していた。
会話遣いとして在ることが、今のボクと師匠を
師匠。
今どこにいるのかな?
どこで何をしているのかな?
師匠。
師匠、師匠師匠。
師匠――
「……ぇ、ねぇってば、
「……ぁ」
その声に意識が現実に引き戻された。
「……ごめん、ボーっとしてた。何かな?」
「だから、絶対今日中に見つけようねって。この山林のどこかにいる怪物」
現在時刻は午後一時半。曜日は日曜。
ボクは今、クラスメイトの
その目的は、ある
数年前、
怪物の正体は不明。その大きさも見た目も伝わっていない。
以上。
……中々に
それにその大学生達はどうしてこんな何もなさそうな場所をうろついていたんだろう。ハイキングサークルか何かだったのかな。
とにかく、その怪物とやらの正体を
とはいえ、ボクは成り行きで参加することになった、ただのおまけに過ぎないのだけれど。
発案者は取巻湖ちゃん姉妹だ。
彼女達はこの手の話が大好きらしい。
そこで調査隊の仲間を募集したけれど、みんな怖がって人が集まらない。
なのであまり取巻湖ちゃんと親しくないボクのところにも話が持ちかけられたというわけだった。
ボクはこの噂を
この話を聞かされた時、ボクの中で何かがざわついた。
それは完全な第六感。
ボクはこの誘いを受けないと後悔する。
そんな予感がした。
そんな予想をした。
具体的に何をどうやって後悔することになるのかはわからなかったけれど。
ボクは積極的に人と関わる性格じゃないし、ましてや危ないことからは距離を置くスタンスとはいえ、この件については考えるより先に「うん、いいよ」と言葉が出ていた。
そして今に
いささか早急に決断しすぎかもしれないけれど、ボクの直感は明日の降水確率並には結構当たるのだ。
ボク達は緑の
木々の
ボクはそれを見ながら、みんなが思っているだろうことを口にする。
「もう一時間は歩き続けてるけれど、見つからないね、怪物さん。本当にいるのかな? あ、模部くん、疲れてない?」
「…………」
ボクの後ろにいる模部くんは首を振って親指を立てた。彼はかなり
ちなみにボク達は取巻湖ちゃん、お姉さん、ボク、模部くんの順に一列になって探索している。
そもそもこんなだだっ広い山林をあてどなく歩いていて怪物さんと
怪物さんなら人間のニオイに誘われてくるものなのかもしれないけれど。
取巻湖ちゃんはボクの言葉を受けて、少し熱くなって言う。
「絶対いるとあたしは思うんだよ! だって、怪物に襲われたっていう人の噂はその大学生グループの他にもいっぱい聞くし!」
「ふーん、そうなんだ」
多数の犠牲者が出るほど、この山林を訪れる人がいるのか……そんなにここには人を引き付ける何かがあるんだろうか。何の
それにしてはさっきから人とすれ違わないけれど、それはボク達が『野生動物による被害多発につき立ち入り禁止』の看板を無視してここに侵入したからだろう。
野生動物……怪物さんの正体も、現実的にはそんなところなのかもしれなかった。
「ぁ……お姉ちゃんも、いると思うな……」
取巻湖ちゃんのお姉さんもおずおずと同意する。活動的な取巻湖ちゃんとは正反対で、お姉さんは外向性を取巻湖ちゃんに吸収されてしまったように控えめな性格らしい。
「もうそろそろ見つかると思うんだ! ほら、あの坂を越えた先にきっと!」
そんな青春ソングの歌詞みたいな
その姿にボクは
「うわー、すごい、あんな割と急な斜面を全力ダッシュしてる。取巻湖ちゃん、元気だなぁ」
上まで
ガサガサという何かが転がり落ちる音と取巻湖ちゃんの「うごおおおお!?」というおよそ女の子が発するべきじゃない男らしい悲鳴。そして坂の下まで到達して気を失ったのか、取巻湖ちゃんは今までの大騒ぎが嘘のようにピタリと静かになった。
「た、大変……! ヨっちゃんがドンキーコングの投げたタルみたいに転がっていっちゃった……!」
そう言ってお姉さんは走っていったけれど、坂の三分の一も登らないうちに地面に手をついてハァハァと息を切らしながら
どうやら運動神経の方も取巻湖ちゃんに
ボクと模部くんとでお姉さんに肩を貸してジリジリと坂を登っていく。
やっと頂上に到着という、その時。
ざあっと。
風が。
風が、吹いた。
木々が揺れ動き。
草花が揺れ踊る。
その風に
ニオイというより、気配のようなものを感じたのかもしれない。
それを
同時に、坂の向こうから何か大きいモノがザザザッと移動するような物音が聞こえてきて、次いで取巻湖ちゃんの、押し潰されたような短く、形容し
「ヨっちゃん……!? ど、どうしたの、大丈夫……!?」
お姉さんは力を振り
坂の上に到着したお姉さんはそこに広がっている光景を見て叫び声を上げた。
その声に反応したのか、何かがすごい勢いでこっちに向かってくる音。
反応する間もなかった。
対応する間もなかったんだろう。
口を手で押さえて立ち
お姉さんは声にならない悲鳴を上げてその場に倒れた。首からはドクドクと血が流れ出ている。
そこには――大きな虎がいた。
テレビで見たことがある、動物園で会ったことがある、あの虎だった。
お姉さんの様子から察するに、取巻湖ちゃんはあの虎に殺されていたんだろうな、やっぱり野生動物が怪物さんの正体だったんだ、でも野生の虎って日本にいるんだっけ、などとボクの頭は妙なくらい冷静に状況を分析する。
「…………!」
模部くんは判断が早かった。
危険を察知するや、
模部くんは手を伸ばした。
固まっているボクを引っ張っていってくれるつもりだったんだろう。
でも、模部くんがボクの腕を
お姉さんと同じように、深々と首に
「……! ……!」
模部くんは虎を引き
やがて、模部くんは動かなくなった。
そんなことを何となく考えている間に、虎は最後に残ったボクに向かってきた。
抵抗することもなく虎に押し倒されたところで、
でもそうなったとしても、虎にのしかかられていてはどっちみち動けないことに変わりはなかったけれど。
「…………」
さっきから水の中に
全てがくぐもっていて、現実から切り離されているような感じ。
虎は牙を
ボクは虎の目を見た。
その目に
ボクが
「……師匠……?」
瞬間。
ボクがそう言った瞬間、虎はピタリと動きを止める。
目に、光が
「……
その虎ははっきりと
でも、ボクはそれを不思議だとは思わなかった。
ボクは目の前にいる虎を師匠だと何の抵抗もなく受け入れる。
状況を受け入れる。
胸がキュッとなる。
恋い
ボクは込み上げる気持ちを
「こんなところにいたんだね、師匠」
やっと。
やっと、会えた。
数年前から想い続けていた人との再会は、想像していたよりもずっと唐突だった。
3
ボクと師匠は並んで座りながら会話をする。空白の二年間なんて感じさせないくらい自然な調子で。
ボクは嬉しかった。幸せだった。
この時間だけがいつまでも続けばいいと思った。
「でも師匠、一体何で、全体何で虎になっちゃったんだろうね?」
ボクは首を
「思い当たることはある。思い
「……そんなに悪いことなのかな? 傷つきたくないって思うことは、人間じゃなくなるくらい、人間でいられなくなるくらい、人間として
「度を
ところで、と師匠はそばに転がっている死体に目をやりながら言う。
「あの三人は君の友人だったのかな? だとしたら君には申し訳ないことをしたね。私は人間として意識がある時と獣の意識に支配されてしまう時を交互に繰り返している。今は人としての意識が顔を出しているが、
「ううん、いいんだ、師匠。二人はただのクラスメイトだし、もう一人は今日知り合ったばかりで何の思い入れもない人だから。別に友達ってわけでも大事な人ってわけでもないよ」
友達だったら、怒ったんだろうか。
もしも友達だったら、ボクは腹を立てたんだろうか。
「…………」
多分、何とも思わなかっただろう。
自分が傷つかないように心を切り離すことを繰り返すうちに、ボクは他人の痛みに
人として重要なものを失ってしまったのかもしれない。
そうか、と
「こんな異形に身を落としてから気づいた。私はこんな異質に身を落として初めて自覚した。私はね、人を好きになっていたんだよ。人に
トクン、と。
ボクの心臓が、自己主張するように
「その子は私と似ていた。私と同じように異常なほど傷つきやすく、私と同じように自分が嫌いで、私と同じように生まれたことを後悔していた。その子は鏡の向こうにいる私のようだった。その子と過ごす時間は楽しかったし、私を
「師匠……」
「しかしこんな姿になってしまった今となっては、もう何もかも……」
師匠は
「……さあ、そろそろ立ち去った方がいい。最近の私は人間の意識でいられる時間が
「……師匠、ボクね、決めたよ。決めたんだ、ボクの《会話》の名前。何だと思う?」
「…………」
「《
「……君は……」
「いいよ、師匠」
ボクは笑顔で師匠を真っ直ぐ見る。
「師匠にならいいよ、食べられても」
「食べられても、食い
「……こんな私であってもか……?」
「姿なんて関係ないし、形なんて問題ない。師匠は師匠だから。ボクにはそれで十分だよ。十分すぎるほどに十分なんだ」
ボクは宣言するように言う。
「ボクの全部、師匠にあげる。だってボクは、
「兎姿下……」
どちらからともなく。
ボク達はゆっくりと顔を近づけて。
そして
師匠がさっき殺した知人の血の味がしたけれど、特に気にならなかった。
ボクは目を閉じる。
目を閉じて、師匠をもっと感じようとする。
手を広げて、師匠の大きな身体に抱きつく。
「師匠……大好きだよ」
その言葉を肯定するみたいに、師匠は大きく
それが自然であるように。
それが必然であるように。
ボク達はお互いを求めた。
時間が動き出すまで。
魔法が解けるまで。
夢から覚めるまで。
ボク達はそうしていた。
ずっと、永遠に、そうしていた。
(終)
………………。
…………。
……。
……続いてのニュースです。本日未明、G県N市
特に一途ちゃんの遺体は激しい損傷が見られ、死後、暴行を受けた
(完)
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