第3話 齧歯の彼岸からー2
昔々、地球を飛び出した人間は天の川の向こうで、違う星からきた人間、異星人とであいました。
異星人は人間よりずっと賢くて豊かだったので人間は異星人と仲良くしたいと思いました。異星人は人間よりずっと賢かったので人間が嘘つきでどうしようもない生き物だということにすぐに気がつきました。
しかし知性あるものの勤めとして、異星人は愚かな行いをくりかえす命を見過ごすこともできませんでした。
そこで異星人は人間を正しい方向に導く方法を考えました。
悪い人間を取り締まり、良い人間を守る生き物をつくろう。それには地球にいる生き物をベースにするのがよいだろう、異星人はそう考えました。その方が見知らぬ異星人にとやかく言われるより、地球の人間も親しみがわくと思ったからです。
異星人は何年もかけて地球を調べ、ふさわしい生き物を選びました。それがワタリガニです。知恵と強い体をもらったワタリガニはそれ以降、異星人のかわりに人間が正しく暮らせるように助けてくれています。人間が賢いカニさんの言うことをきいて良い子にしていられるのなら、きっと異星人とも仲良くなれるでしょう。
でも人間はおろかだったので、悪いことをしてはカニさんに叱られることを繰り返しました。やがて異星人はあきれて地球を去っていったとさ。
人間が反省してカニさんと仲良くなれれば、きっと異星人も人間と仲良くしてくれると思います。だからよい子は大人の言いつけをしっかり守ってたくさん勉強しましょう。嘘をつくのもだめですよ。
……なんでワタリガニを選んだかって?おれは地球人だから異星人の考えることはさっぱりわからん。とにかく、地球の秩序は異星人から押し付けられたワタリガニのミュータントのハサミに守られているということだ。
「聞きたいこと?」
無線の向こうから外骨格の関節がすれる音がする。
「ミヤモト、そこにチンチラがいるだろう?自分は蟹骨格警官として違法船の船長をカニばさみ尋問し、お前を追っていた一人だ。だから知っている。そこにはチンチラがいるだろう。猫ではない。ねずみのチンチラ」
「……いる。いやチンチラといっていいのか?チンチラみたいなロボットはいるが」
「チンチラはチンチラです!」
チンチラを名乗るロボットがきいきいと反論する。無線の向こう側からおお……と冷えた声が聞こえた。
「自分はチンチラに会いたい。コンテナのリアドアのキーを開けてもらえないか。自分の船の触手がコンテナに密着している、開け放っても気密が損なわれる心配はない」
「……押し入ってこないのか。その船のくちばしをブッ刺して」
「それはよくない。チンチラを驚かしたくない」
「……」
「こちらには自分しかいない。武器は船に置いていこう」
よく喋る蟹骨格警官など聞いたことがない。無線機の隣でチンチラは背筋と首をのばして耳を立てている。普段はまんじゅうのように丸いのに、こんなもちのように伸びるのか。俺はぼんやりそう思った。
「自分はワタリ。三年目のワタリだ。知っているだろう、蟹骨格警官は三年の命だ。地球カレンダーの四月一日になれば、自分は高熱処理され砕かれスープにされる運命。今日は三月の二十日。自分には時間がない」
おかしなチンチラロボット、おかしな蟹骨格警官。いつの間に喉がカラカラに渇いていた。
「なぜ自分たちが三年の命であるかまでは知らないだろう?製造年月が経った蟹はエラーを起こすからだ。自分たちに自我はない。だが、使命を遂行するために判断機構にある程度の遊びがある。この遊びが年を経ることで拡張しすぎることがある。歪みが大きくなれば蟹骨格警官の役割を逸脱する。このワタリのように」
ぷうとチンチラが鳴いた。
「よくわからんが……俺のことは見逃すと約束するか」
「ああ。自分はワタリだ。約束ができる」
ここで悩んでいてもワタリが引くとは思えない。俺は震える手でコンテナのリヤドアのロック解除スイッチを倒した。
「ロックは解除した」
「チンチラはケージの中に入っているか。檻だ。適切な檻に入っているか」
「いや、こんなものはこの船にない」
「ない?ではしっかりとチンチラを抱っこしろ。しっかりと、だが力は入れすぎるな。片手で前足のあたりをすくい上げ、もう片手でちゃんと後ろ足を支えるのだ。おまえの腹にチンチラをくっつけるようにするといいだろう」
おかしな蟹骨格警官は口調も普通の蟹骨格警官とまったく異なるようだ。普通の蟹警官の、まるで人間を深海に引きずり込むような威圧的な低音の一言一言区切るような喋り方とは違い、ワタリの喋り方は妙に早口だ。
「はあ……。抱っこ?」
「いやですね。チンチラは自由でいたい」
コンパネの上でチンチラはぷいと顔をそむける。
「カニの奴が言ってるんだ。しょうがないだろ」
とはいえこんな柔らかい小動物をつかむのは恐ろしい。何かを間違えたら壊れてしまいそうだからだ。だが蟹骨格警官に逆らってもいいことはない。幼いころ遠足か何かで行った動物園でモルモットを抱いたうすい記憶を呼び起こし、思い切って胴体をつかんでみた。
「うわ!細い!」
「いやです!チンチラは自由です!」
もちのようにボリュームがあるように見えたチンチラの体は見た目よりずっと細く、どこまでも指が毛に埋もれて恐ろしい。じたじたと俺を蹴る後ろ足をなんとか腹にくっつけて落ち着かせようとするが、チンチラは容赦なく暴れ、ウナギのように逃げようする。
「はなしなさい!だっこはいやです!」
「ワタリさん!もうコンテナに居るんだろ!早く入ってきてくれ!」
びちびちと暴れる手におえないチンチラを抱えたまま俺は叫ぶ。ぶしゅっと調子が悪いエアシリンダーの音とともにコンテナとコックピットを繋ぐ扉が開いた。
扉の向こうで長身の影がゆらりとゆれる。
「……」
俺は息をのんだ。何度見ても異様な蟹骨格警官の姿を見慣れることはない。人間より細身だが身長はずっと大きい。トゲだらけの蟹の顔を不自然に傾けて扉を潜ってくる。目は頭頂に近くにあり左右に飛び出している。そして目の間には感覚器官だという触角が数本伸びて、たえず動いていた。
「チンチラ……スタンダードグレー……」
何よりも口が怖い。呼吸と一緒にパカパカと動く殻の下に人間とは違う縦型の口が開いている。そこから人間に似た声を出しているが、声に合わせて小さなハサミが付いたヒゲのような
「チンチラは自由です!」
「お、おい危ないぞ」
暴れ続けるチンチラが俺の手を抜け出し、ぽてんと床に落ちる。ワタリの口がガバリと開き、二対の顎脚がめいっぱい伸びた。俺はまた腰を抜かした。
「おお…チンチラ、ケガはないだろうか?」
ワタリはそうつぶやくと、長身を畳むように正座し、両腕のハサミを重ねるように折りたたみ膝の上に置いて固まった。尖った爪が外に向かないようにかなり無理に曲げているのが俺からでも見て取れる。わけがわからない。
「チンチラはチンチラです!」
ぶう!ぶう!とチンチラが威嚇するとワタリは首を左右に傾けた。
「これは…かなりねずみ性が高い。チンチラに近い。ミヤモト、このチンチラの個体名は?」
「いや、その、無いです。こいつはただの航行補助AIロボットなんで……」
「無い?よくないぞ」
ぐわと口の周りの顎脚の爪が開き虚空をひっかく。
「チンチラに名前を付ける。それは人間の数少ない特権だろうが。怠るなミヤモト。カニばさむぞ」
ワタリは目玉を激しく動かし俺とチンチラを交互に見ているようだ。
「ええ?しかしこいつは俺のチンチラでは……痛い!」
四肢を突っ張って緊張していたチンチラが急に俺に飛びつき、二の腕にがぶりと噛みついた。
「良き人間はチンチラの世話をするものといったでしょう!チンチラの名前を呼びなさい!」
正座のまま俺をにらみ上げる蟹骨格警官、ぶうぶうと怒りの声を上げ四つ足で跳ねまわる濃い灰色の毛玉。
「名前……俺、ペットとか飼ったことがないんで、そういうのは思いつかない」
「ミヤモト、お前がこれから何百何千回と呼ぶ名前だろう。逃げるな…これは責任だ」
頭がおかしい蟹骨格警官のワタリは決して折れない。
「責任をとりなさい!」
同じくおかしなAIチンチラロボットもけっして諦めない。何度も手を噛んでくる。
「痛い!わかった!噛むな!名前を付ける!」
前足をきゅっと揃え俺を見上げるチンチラを眺めまわす。もちのように伸びるねずみ…何かを思い出す……濃い灰色の背中、白い腹毛……まるで地球で食べたあの菓子を思い出す毛色……。
「ご、ごまもち?」
チンチラ……ごまもちはふさふさした耳を俺に向けて、きゅっと鳴いた。
「ごまもちです!チンチラはごまもち!」
「ごまもち。ふむ、ごまもちか」
顎脚を口殻の中に納め、ワタリは静かに呟く。
「なかなか良い」
ワタリが俺の方を見るたびにワタリの体中にある節がきしむような音がする。カニの目からは感情の色が読み取れず、好意的に聞こえるその言葉とは裏腹に次の瞬間ハサミで殴られるのではないかという不安が消えはしない。
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