スペースうそチンチラ☆足立区への旅
ベンジャミン四畳半
第1話 チンチラよチンチラ
チンチラよチンチラ ぴょんぴょんと跳ね
夜のしじまの荒野で
いかなる不滅の腕が眼が造り得るのかその畏るべき愛らしさを。
『チンチラ詩集』より
「輸送船荒野のチンチラ号。船長はすでに拘束した。逃亡を続けるならば宇宙の藻屑となってもらう」
「チンチラは自由です!誰のいうこともきかないです!」
ハックされた船内無線から蟹骨格警官の深海よりも冷たい声が響く。負けじと航海補助AI搭載のチンチラロボットがきいきいと叫んでいる。俺は硬い操縦席にハーネスで固定され、なすすべなくコントロールパネルの上を跳ねまわるグレーの毛玉を見ている。ウサギに似た姿をしているが、モデルとなった動物は齧歯類……ねずみらしい。
「おれをはめたなクソめ!離せ!おれのせいじゃない!」
「静かにしろ。カニばさまれたいか」
無線の向こうで船長と蟹骨格がもめている。何がおれのせいじゃない、だ。うまい仕事があると俺を騙してナマコ相場センターへ送り込み借金漬けにした上、違法な金塊輸送の片棒を担がせやがって!
しかし無慈悲な蟹骨格警官に捕まるぐらいなら、船長にどつかれながら怪しい荷物を運んでいる方がマシだ。やつらの凹凸だらけのハサミで行われる執拗なカニばさみ尋問で廃人になった奴は数しれない。船長はおそらくもうダメだろう。無理矢理引き出された船長の証言で俺も黒だ。カニばさみ尋問からのカニ処刑で骨すら地球に帰れない。足立区旧市街地のボロアパートで背中を丸めてこたつに入っている母の姿を思い出し、俺は思わず涙した。
三畳たらずのせまいコックピット内はけたたましいサイレンで満ちている。目の前では二本の操縦桿が時折、右へ左へ傾く。それが何を意味しているかわからない。俺は船の免許なんか持ってない。頼れるのはねずみのチンチラを自称する、おかしなAIだけだ。終わっている。
「チンチラは自由です!」
「ならば藻屑となれ」
チンチラロボットが叫ぶ。スピーカーの向こうの蟹骨格警官の声はテンポも音程も変わらないまま、ただボリュームが大きくなっていく。奴らに感情などないからだ。ビリビリと船内スピーカーがハウリングし、船が大きく揺れた。奴らの蟹々ミサイルが船のそばで炸裂したのだろう。大きな耳をピンとの立てたチンチラロボットは操縦桿に前足を置くとヒゲを揺らし、操縦桿の端についた赤いボタンを器用にそろえた前足で押した。
「お、おい……俺はどうすればいい?」
ふかふかな人工毛に包まれたロボットは本物のチンチラのようにぷうと鳴いた。
「カイカイなさい!」
「かいかい……?」
「あなたはチンチラの世話をなさい!チンチラはよいニンゲンに世話をされるものです!ここがアンデスの高原でないなら、そういうものなのです!」
ヒゲ袋から突き出た無数のヒゲが扇のようにぱぁと開いている。ふすふすと鼻をひくつかせるとヒゲがゆれる。ぷうぷうぷうとねずみ言葉でささやく。
「さあまずはカイカイなさい!はやく!」
チンチラは首を傾げ、やわらかい毛でおおわれた胸から短い腕のラインを俺に向けて静止している。その隣には狂ったように前後左右に揺れる操縦桿。俺は意を決し、指をのばす。
「ひっ!」
毛玉ねずみは思ったよりずっと毛深い。人差し指が柔らかい毛の中に第一関節ほどまで飲み込まれて俺は悲鳴を上げた。ぷうぷうぷ。ねずみ言葉が促す。おれはそっと指で毛深いチンチラの首筋を掻いた。
「おお・・・・・・よいです。もう少しつよくなさい!」
毛をかき分けるにように掻いてやるとチンチラはうっとりと眼を細めた。その体は徐々に反っていき、俺は導かれるように背中もカイカイしてやる。
「次弾装填完了。藻屑となれ」
「やめろ!俺の金塊に何をする!」
「おとなしくしていろ。貴様は別途藻屑だ」
「ぎゃあああカニばさみ!不当な尋問はやめ~ろ~~うっ~~た~~え~~」
スピーカーの向こうから聞こえる船長の悲鳴がゆがみ始めた。チンチラはジュッと一声鳴き、俺の指を前足ではねのけてコントロールパネルの片隅にある奇妙な壺のような形をした補助AI用収納ポット、通称『チラツボ』に収まった。
「ああああああああ?!」
中古の小型運送船が激しく揺れ始める。月面野ざらしで処分価格だったこの船に船長はどんな改造を施していたのだろうか。コントロールパネルのランプが点滅を繰り返し。船室が軋みはじめる。俺は強い圧で操縦席に押さえつけられ、口から体中の空気が全部出た。
目の前のモニターに映った星の海がすべて後方に流れ、やがて消えた。俺の意識ごと消えた。
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