第6話 龍江の村
レントはすっかり元気になると、パズーの仕事を手伝うようになった。以前のように案山子として立つ暇なんてないくらいに、毎日が忙しい。
林の獣も川の氾濫が起きようとしたせいで逃げ出したのかと思うくらい、獣一匹見かけなくなった。みんな、レントが河神様を鎮めてくれたおかげだと言う。
パズーの子になるという話は、まだレントの中で決めかねている。イシュカは気軽に「子供になっちゃえばー?」とか言っているけれど、レントは彼と一緒に広い世界を見てみたい。このままパズーの家の子になってしまえば、それができなくなるかもしれない。もっと言えば自分がパズーを父と呼ぶ姿も想像できないしで、答えは保留にしたままだ。
そうして川の氾濫もなく、平和な日々が戻る……と、村人は思っていたけれど、この村の外はまだ騒々しかった。
「レント。今、龍江軍の方々がいらっしゃっている。危ないから、あんまり外に出るんじゃないぞ」
川の氾濫状況の調査と行方不明者の捜索はまだ終わっていないようで、この村にもようやく偉い人からの手が入るとパズーは話した。
聞き覚えのある名前に、朝食を食べていたレントの耳がぴくりと動く。レントのおこぼれに預かって平ぺったく焼いた芋餅を頬張っていたイシュカもパズーに視線を向けて。
「りゅうこうぐん……アーヴィンもいるのか?」
「アーヴィン? 誰だ?」
「ちょっと前に畑を襲ってきたヘンなやつがいたんだけど、おれ、追い払えなくて。アーヴィンが助けてくれたんだ」
「あぁ、あの方か。あの方もいらっしゃるが……会うことは難しいぞ」
パズーが困ったように眉をへにょりと垂れさせた。よく分かっていないレントに、パズーはきちんと物の道理というものを教えてやる。
「レントを助けてくれた方は、龍江軍の中でも偉い方でな。将の方なんだ。だからとても忙しい」
それでもレントが目をぱちくりと瞬いているだけなので、パズーは顔を引きつらせた。
「おいおい、待て待て、レント、龍江軍は分かるよな?」
レントはおもむろに首を縦に振る。アーヴィンからその言葉を聞いたから、知っている。
「じゃあ将の方が偉いってこと、アーヴィン様も偉いってことは分かるな?」
よく分からないけれど、首を縦に振ってみた。とりあえずアーヴィンが偉いことは分かったから。
そんなレントの頭を、芋餅を頬張っていたイシュカがぐりぐりと撫で回す。
「レントくーん、分からないことはちゃんと分からないって言わないとだよ?」
「分かってるよ! 今分かったから!」
「ふーん? じゃあレント、龍江軍のことを教えてよ。僕、この国のことあんまり知らないからさ〜」
「え、えぇと」
イシュカにねだられ、しどろもどろになりながらも、レントは今聞いたことと知ってることを反復してみる。
「龍江軍はアーヴィンがいるところで……なんかイシュカみたいなのを倒す人たちのこと?」
「僕みたいなの?」
「アーヴィンは幻獣って呼んでた。なんか、緑で、毛むくじゃらで、ヘビなのにクマみたいで、毒があるって」
「幻獣か」
「毛むくじゃらペルーダじゃん〜」
レントの言葉に、パズーとイシュカの声がかぶる。
パズーとイシュカは顔を見合わせた。
「イシュカ殿は幻獣に詳しいのか?」
「詳しいっていうか、たぶんその幻獣って、僕の国の――」
「あー! パズー! やっぱりおれ、ぜんぜん詳しくない! 龍江軍について教えてくれ!」
イシュカがうっかり口を滑らしそうになったのを、レントは察して声を張り上げた。
(そうじゃん! イシュカが幻獣ってバレたら、アーヴィンに殺される!?)
うっかり自分がなんて危ないことを言おうとしていたのかを自覚して、レントは青ざめた。
レントはイシュカと契約している。もし幻獣の味方、アーヴィンの敵と思われたら、すごく悲しい。
悲しいだけじゃなくて、あの毛むくじゃらのやつみたいに、イシュカが殺されたら。
ふるりと震えたレントに気がつき、イシュカがぽんぽんと頭を撫でてくれた。
そんな二人を見て、パズーはやれやれと肩をすくめる。
「レントの言う通り、龍江軍の一番の使命は幻獣から人々を守ることだな。それが諸王の御威光であり、ひいては皇帝の御威光につながる」
「また知らない言葉が出てきた〜。なに? しょおー? こーてい?」
「イシュカ、お前も旅人とはいえ、物を知らなさすぎた。よくそれで旅ができたな」
けらけら笑うイシュカに、パズーは呆れ顔だ。
それでも一番物を知らないレントのために、色々と教えてくれる。
「この大陸は中央に
レントが首をひねる。ちんぷんかんぷんだと言わんばかりの顔を見て、パズーは苦笑した。
「こんな村のすみっこまで王侯が来ることはないから、雲の上の人だよ。うちに直接関わるのは、王侯の代わりに村を見回る王侯軍の軍士様だ。アーヴィン様はその軍士様の中でも偉い方で、何人もの軍士様を束ねる将のお方だ」
軍士の仕事は王侯の手足となること。治める土地で問題が起きれば対処する。幻獣の討伐もその一つだし、災害への対応も軍士の仕事だ。
「軍の中には呪術を使う術士もいる。レントの両親もどこぞの術士だったそうだから、伝手さえあればレントにその素質があるかも分かるんだけどなぁ」
そればかりは下々の村人にはどうしようもできないな、とパズーは笑った。
術士の素質と言われて、レントはイシュカを見る。
イシュカとの契約と、その術士の素質というものは同じなのだろうか。イシュカと契約できたのは、顔も知らない父と母のおかげなのだろうか。
もしそうであるなら、レントの命を救ってくれたのは自分を産んでくれた両親だったのかもしれない。
そう思うと、見ず知らずの両親に対して、なんだか胸のあたりが温かくなるような気がした。
子供たちが軍士の邪魔になってはいけないということで、子供たちはしばらく家の中に閉じこもることになった。それはレントも同じで、その間、パズーの家に住むことになる。
外の仕事ができないなら、子供は母について家の中の仕事をしないといけない。レントはパズーの嫁に教えてもらいながら食事の支度や着物の繕い、家の掃除などをこなす。不慣れなことばかりでレントは苦戦した。
それはレントにくっついているイシュカも同じだったようで、パズーの嫁に叱られながら一緒に仕事をこなした。
慣れないことで四苦八苦しながらもレントが投げ出さずに仕事ができたのは、パズーの嫁の話し語りのおかげだったかもしれない。村の子どもたちが寝物語に聞いて育つ小話を、パズーの嫁は手仕事の間に語ってくれた。
その中でもレントの心を惹いたのは、河神の話だった。川の底には神が眠っている。ある日、一人の少年が川で溺れて神に助けてもらった。その神は馬の上半身に魚の下半身を持っていて、少年を神の国に連れて行き、神の国で少年は幸せに暮らしたというものだ。
この神の国というのは死んだ人の行く世界なのだそう。パズーの嫁は不用意に川へと近づかないようにと最後に付け足すのを忘れなかった。
(もし、イシュカがこっちの世界じゃなくて、イシュカの世界を選んでいたら……おれも死んでたかもしれない)
今更ながら、イシュカがここにいることを不思議に思ったくらいだ。
「なぁ、イシュカはどうしてこっちの世界に来たかったんだ? イシュカの世界はここより良いところじゃないのか?」
夕食になる芋の皮を剥きながら、レントはイシュカに尋ねた。イシュカは野菜の葉に虫がいないか執拗なくらいに目を細めて検分している。昨日のスープに芋虫がいたことが、イシュカはどうしても許せないらしい。
「んー? そうだねぇ。昔は住みやすかったけど……今は、そう思わないなぁ」
「なんで」
「幻獣にも色々といるからねぇ。あんまり楽しい話じゃないし〜。そうだなぁ……レントが大きくなって、もっとたくさん世界見聞を知ったら、僕の世界の話をしてあげる」
レントの質問に、イシュカは答えてくれなかった。
笑ってはぐらかしたイシュカに、レントがべぇっと舌を出してそっぽを向いたらよけいに笑われる。
そうするうちに芋の皮を剥き終わったレントは次の仕事をパズーの嫁からもらう。野菜の検分が終わったらしいイシュカと一緒に居間へ行って胡座になる。さぁ今度は豆のさや抜きだと豆のさやをぶちぶち千切っていると、パズーが難しい顔をしながら帰って来た。
「おかえり」
「おかえりなさーい」
「あぁ、ただいま」
パズーは居間で豆のさや抜きをしているレントとイシュカに軽く挨拶をすると、土間で湯を沸かそうと火を焚いている嫁の隣に並んだ。細々と二人の話し声が聞こえるけれど、レントには何を言っているのかまで聞こえない。
「パズーのおっさん、なに話してるんだろ」
「えっとねぇ、うーん、……ほほぅ?」
「イシュカ、聞こえてるのか?」
「まぁねー。まー、でもそっかー。ふーん……」
一人でなにか納得したような素振りをするイシュカに、レントはむっとする。
「なんだよっ! ひとりだけずるいぞっ」
「ずるくない、ずるくない。ほら、パズーが来たよ」
食ってかかろうとしたレントをいなして、イシュカはパズーを迎えた。パズーは帰ってきたときのまま、眉間にシワを寄せて難しい顔をしている。
「イシュカ殿、申し訳ないがすぐにこの村を出たほうがいい。うちの村の馬鹿が軍士様におかしなことを吹きこんでるのを聞いた。レントを助けてくれた礼もまともにできないままで悪いが、大事になる前にこの村を出るべきだ」
「いいよー」
「はぁ!?」
パズーの神妙な申し出に、イシュカはあっけらかんと答える。それに驚いたのはレントだ。
「お、お前、村を出るのか!?」
「え? うん。僕がいると都合が悪いんでしょ?」
「うんじゃねーし! おれとの約束はどうするんだよっ」
レントがイシュカをにらみつければ、イシュカは目をぱちくりと瞬かせたあと、にこにこと満面の笑顔になって。
「レント、ちゃんと約束守ってくれるんだ?」
「あ、当たり前だっ! じゃ、なくて! 村を出てったら、約束が……!」
興奮して声を荒げようとしたレントの頭をイシュカは撫でた。
ひんやりと冷たいイシュカの手は、いつだってそうして、頭に血が上ったレントをなだめてくれる。
「だいじょーぶ、大丈夫。でもレントが不安ならそばにいるよ。軍士だって、さすがになーんにもない人間をどうこうはしないでしょう?」
「なにもないなら、話を聞いて終わるだけだろうとは思うが……イシュカ殿、後ろめたいことはないな?」
パズーの不安そうな面持ちに、イシュカはへらりと笑う。
「レントに誓おっか?」
「恥ずかしいからやめろ」
「えー、こーゆーのは大袈裟なくらいが信じてもらえるんじゃないのー?」
「恥ずかしいわ」
あれだけ怒ってたレントも毒気が抜かれたのか、スンッと大人しくなる。そんな二人を見て、パズーも笑った。
「まぁ、その様子だと大丈夫そうか。とはいえ、イシュカ殿はこれからどうするつもりだ? 旅人なんだろう? いつまでもレントの我が儘で引き止めてしまうのも……」
「そうだねぇ」
うーん、とイシュカは考えるふりをして、レントを見る。つんっと済まし顔でレントは手元の豆を見ているようだけれど、耳はしっかり大人たちの言葉を拾おうとするようにぴくぴくと動いているのが見えて、ついイシュカは笑ってしまう。
「レントがどうしたいか言えるようになるまでは、この家にいさせてよ。その分は働くし、何か餌をもってこいって言うなら、狩りもできるよ?」
「あんた……餌って……」
イシュカの言いようにパズーがつっこむけれど、当の本人は笑っているだけだ。
「まぁ、狩りができるのならありがたいな。だが忘れるなよ。お前はここじゃあ、余所もんだ。面倒ごとにだけは巻きこむんじゃねぇぞ。なにかあったら切り捨てるからな」
「いいよー、それで」
にこにこと笑うイシュカに、パズーは大きく嘆息した。
レントもまだイシュカといられると知り、ほっとする。その顔を見たイシュカに笑われてまたツンっとそっぽを向くけれど、それがレントらしくてさらにイシュカは笑って。
そう話して、笑いあった数日後。
軍士アーヴィンが幻獣イシュカを捕まえに来た。
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