〈6〉

 寝ぼけ眼は、擦っても擦ってもはっきりとはしなかった。

 目覚めてしまった。そんな絶望感を朝から感じる。

 ベッドから体を起こすのも億劫で、しばらくぼうっと天井を見上げる。染みどころか、細かく空いた穴すら数えられなかった。

 学校の教室にある天井なんかでも見られるあの穴は、防音性能を上げるためなんだとか。通っていたピアノ教室には無かった気がするんだけど。


 無駄なことを考えて、少し気休めを与えた体を起こす。


「痛ったぁ……」


 しかし、お腹の上あたりを何かにぶつけて再び仰向けに戻った。

 ベッドテーブルの上に本が積まれているようだった。腰を引き上げるようにして上体を起こし、スライド式のテーブルを寄せると、僕側の縁に、貼り紙があった。


『朝からお見舞いに来る子がいるなんて、モテるわねぇ』


 母さんだ。筆跡を見て推測するまでもない。でも、


「お見舞い? 子?」


 首を捻る。同級生の誰かだろうか。

 テーブルに置いてある、カバーのかけられた本は、数えてみると十冊もあった。

 一番上にあった本の適当なページを開いてみて、はたと手が止まる。まさか。

 ページをまたぐように描かれたパステル調の可愛らしい絵と、ささやかに添えられた文字。

 絵本だ。


「あかり……?」


 どうして、なんで。昨日、僕はあれほど酷い事を言ったのに。

 頭の中がぐるぐると回る。手が震え、本を握る力が弱まる。すると、表紙とページの隙間から、小さな封筒が二つ抜け落ちてきた。

 一つは、乱雑な字でスペースいっぱいに「母さんより」と書かれたもの。

 もう一つは、中央あたりにちょこんと丁寧な字で「あかりより」と書かれたもの。

 なんとなく、あかりの方から見るのが怖くて、母さんの封筒から開ける。封はされていなかった。出てきたのは、小さい封筒に対して随分小さい、メモ帳の一枚だった。


『ごめん痛かった? でもこうでもしないと、見向きもしなかったでしょう?』


 余計なお世話だと思う。むしろダメージを負わされた方が、普通は見る気を無くすものだ。


「普通は、か」


 一人ごちて、目を閉じる。やめよう。考えれば頭が重くなるだけだ。

 ふぅ、と深呼吸をしてから、あかりの封筒に指を入れる。

 出てきたのは、水色地に黄色の枠線で囲まれた、ファンシーな便箋が一枚。顔を近づけてみると、黄色は枠線じゃなくて、大小散りばめられた星だった。












 冬彦へ。


 まだ冬彦がお寝坊してるから、月香さんに勧められて手紙を残すことにしました。

 昨日は怒ってごめんなさい。

 まだ、あんなことがあった後だから、冬彦も不安なんだよね。

 でも、やっぱり私は怒っているんだよ。うん、怒ってる。

 冬彦が普通に過ごそうって言った理由、お母さんから聞いた。

 バカ。バカ。ほんとうにバカ。

 お母さんが変なことを言ったのも信じられないけど、

 あの時冬彦は「お節介始めたら、あかりの方から離れます」って言ったんだって?

 なら私が離れるのを待ってよ、バカ。

 冬彦は、いっぱい、いっぱい、私にお節介を焼いているでしょ。

 喫茶店では予約を入れてくれて。

 ピアノを聴かせてくれて。

 あの時だって、私のために言い返してくれて。

 大変な怪我までして。

 ありがとう。

 今さら離れてなんて言われても、離れないから。

 冬彦がどれだけ不安なのかは、私には解らない。

 私は、産まれてからずっと、音のない世界が当たり前だったから。

 目を閉じて歩いてみるだけじゃ、失う怖さは解ってあげられないと思う。

 それでも、冬彦だから一緒にいたいんだよ。

 バカだけど、冬彦だから。

 ねえ冬彦、まだ少しは見えるんだよね?

 行きたいところとかあったら言ってよ。

 あ、でもバカだから、ゆっくり考える時間欲しいよね。

 だから、今日の夜はお見舞いに来ません。


 でも、必ずまた来るからね。また一緒に笑おうよ。

                冬の彦星様へ あかりより




 追伸

 意見に個人差がありますが、これは私の本当の気持ちです。











 三枚目の頭に突入していた便箋の余白に、僕の似顔絵らしい笑い顔が描かれていた。かなり美化されている気がするけれど、その絵がとても温かいことはよく見えた。


「バカバカ言いすぎだよ……」


 出し切ったと思っていた涙が、また滲んできた。今までと違って、頬に伝わる雫が熱いことに気付く。なんか、ここ数日で泣きすぎだなぁ。

 あかりには敵わない。どれだけの光をもらえるか分からない。


 でも、やっぱり見えなくなるんだよ。


「……ごめん」


 手紙には、お節介って書かれていたけれど、


「あれは、ただのカッコつけだったんだよ」


 あの時、僕が本当にあかりのことを考えていたのなら、あかりが関わるなと言った時点で引き下がれたはずなんだ。

 だからこれは、罰。大切なことは何か見失って、しゃしゃり出た愚か者への見せしめだ。


「やっぱり、もう終わりにしよう」


 盲目的に笑顔を信じているあかりに、世界中の不幸を望む僕のような人間が付いていてはいけない。


 僕は手紙を封筒にしまうと、絵本の山ごと、隣の空きベッドに隔離した。

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