02 リハーサルと新メンバー

 町田家の母親がいったん帰宅するのを見届けてから、『KAMERIA』の一行は機材を地下の客席ホールに運び入れた。

 やはりそちらでは、PAのスタッフによってマイクのチェックが行われている。そして、バーカウンターの清掃に励んでいたスタッフ――『ヒトミゴクウ』のベーシストたるスキンヘッドの若者が笑顔で近づいてきた。


「お疲れ様です。今日もこっちのバーの担当になれました。『KAMERIA』さんのイベントを最初から最後まで拝見できるなんて、役得です」


「あはは! どうもありがとー! 仕事しながら、たっぷり楽しんでねー!」


「はい。期待しています。それじゃあ、セット表をお願いします」


 バインダーに留められたセッティングシートが手渡される。

 そしてもう一枚、チケットの受付表というものも二枚目にはさみこまれていた。普段はそこに、前売りチケットの取り置きをする人間の氏名を記載するのだ。本日は当日チケットも同額であるので氏名を記載する必要はなく、ただ何枚のチケットが売れたかを記載するための表となる。そしてそこに、バンドのスタッフの氏名を記載する欄があった。


「ココだけウチが書いちゃうから、その後はリィ様がよろしくねー!」


 町田アンナが可愛らしい筆致で、スタッフの氏名を書き記していく。それでめぐるは、町田家の母親がゾーイという名を持つことを再確認することになった。


「ゾーイって、素敵な名前ですよね。……あ、もちろん、アンナって名前も素敵ですけど……」


「あはは! めぐるって名前もかっちょいーから、ウチは大好きだよー!」


 役目を終えた町田アンナはセッティングシートを栗原理乃に受け渡し、ギターのギグバッグを開帳する。めぐるも慌てて、それにならうことになった。

 午後の三時に至ったならば、すぐさま『KAMERIA』のリハーサルであるのだ。『KAMERIA』がトリを務めるのは初めての話であったので、この慌ただしさも初の体験であった。


 すると、リハーサルが開始される前に、新たな一団が到着する。『V8チェンソー』の三名だ。彼女たちの出番は、もちろんトリ前であった。


「おー! みんな、おつかれー! ずいぶん早かったねー!」


「今日はハルも一緒の車だったからねぇ。そうでなくとも、『KAMERIA』のリハは見届けておきたいしさぁ」


 リハーサルでは、ゲストプレイヤーのサウンドチェックも行われるのだ。『V8チェンソー』などはぶっつけ本番で四名ものゲストプレイヤーを招いていたが、『KAMERIA』は慎重を期すことに取り決めたわけであった。


「リハの段階でみんなとご一緒できるなんて、役得だなー! フユちゃん、羨ましいでしょ?」


「どこに羨ましい要素があるんだよ」と、今日は珍しくハルの頭が小突かれた。

 そのタイミングで、『天体嗜好症』のメンバーも到着する。『KAMERIA』に参加するのはミサキのみであったが、こちらもメンバー総員の登場だ。


「やあやあ、お疲れ様。今は慌ただしいだろうから、そっちのリハが終わってから新メンバーを紹介させていただくよ」


 黒い釣り鐘型の帽子をかぶったアリィが、不敵に微笑みながらそう言った。『天体嗜好症』は本日から、ドラムの正式なメンバーを加えてライブに臨むのだ。その人物は、ナラの背後を守るような位置取りで、緊張しまくった顔をさらしていた。


「うん! テンタイのみんなも、今日はよろしくねー! ……ていうか、ずいぶんな荷物だね!」


「ところがどっこい、まだ搬入の途中でね。かなり楽屋を圧迫することになるだろうけど、こればっかりは譲れないんでご容赦くださいな」


『天体嗜好症』も機材の質量は、他のバンドと大きな差はない。しかし、それとは別に巨大な衣装ケースをふた箱も持ち込んでいたのだった。


「あー、テンタイはステージ衣装がめっちゃかさばりそうだもんねー! にしても、すごい量じゃない?」


「そりゃあ今日は『KAMERIA』さんの主催イベントだから、こっちも気合が入ってるのさぁ」


 糸のように細い目をいっそう細めながら、アリィはくすくすと笑う。

 いっぽうミサキはバイオリンのケースをかき抱きながら、緊迫の面持ちであった。


 そうしてリハーサルの開始が目前に迫った頃、ゲストプレイヤーの最後のひとりである坂田美月が到着する。ギグバッグとエフェクターボードを抱えた坂田美月は、朗らかな笑顔にひとしずくの汗を垂らしながら「セーフ!」とのたまわった。


「いやー、予想より道が混んでて、焦ったよー。みなさん、今日はよろしくお願いしまーす」


「ミヅキチちゃんも、おつかれー! こんな暑いのに、走らせちゃったんだー? ありがとーね!」


「いやいや、走ったのは店に入ってからだよー。店の前まで、車をつけてもらったからさ。で、レンレンに運転をパスして、パーキングに回してもらってるの」


「えー、それじゃあ『マンイーター』も、メンバー全員そろってるの?」


「うん。考えることは、みんな一緒だね」


『V8チェンソー』と『天体嗜好症』のメンバーを見回しながら、坂田美月はにっこりと笑う。

 けっきょくこの時間から、出演バンドの全メンバーが居揃うことになったのだ。めぐるはそれだけで、何だか胸が詰まってしまいそうだった。


「……それじゃあ三時になりましたんで、準備をお願いします」


 愛想はないが真面目そうな容姿をしたPAのスタッフから、ついにそのように告げられてくる。『KAMERIA』の一行はハルとミサキと坂田美月を引き連れて、いざステージに向かうことになった。


 ジャズコーラスのアンプを使用する坂田美月は町田アンナの隣、自前のパーカッションセットを組むハルはめぐるの隣、バイオリンを担当するミサキは栗原理乃の隣という配置だ。七名もの人間がステージに上がる窮屈さは、否が応でも『V8チェンソー』の周年イベントを思い出させて、めぐるの胸を高鳴らせるばかりであった。


 まずは自分のセッティングを完了させてから、めぐるはゲストプレイヤーの様子をうかがう。

 ハルが準備したのは、ボンゴという小ぶりの打楽器と小さなシンバルのセットだ。ボンゴを設置するスタンドに、シンバルのアームがジョイントされている。それを手の平やスティックではなく、小さな可愛らしいマラカスで叩くというスタイルであるようであった。


 いっぽうミサキは、奇妙なバイオリンを携えている。めぐるが見知っているひょうたんのような形ではなく、下部だけが丸く広がった涙のしずくのような形であるのだ。なおかつボディは立体ではなく、薄い板状のパーツがくにゃりと曲線を描いている格好であった。指板は鮮やかなレッド、ボディはブラックというカラーリングで、なかなかに華やかだ。


「ず、ずいぶん変わった形ですね。そんなバイオリンは、初めて見ました」


 ハルのパーカッションにマイクを設置するのに時間がかかっていたため、めぐるはおずおずとミサキに語りかける。緊張の面持ちであったミサキは頬を赤らめながら、「は、はい」とうなずいた。


「こ、これは、エレキのバイオリンです。以前にも話したかと思いますが、もともとはテンタイでもバイオリンを使ってみようかという話があがっていたので……そのときに、買っておいたんです」


「ああ、エレキのバイオリンなんていうのもあるんですね。色も綺麗ですし、ミサキさんにとても似合っていると思います」


「と、とんでもありません。……それより、ベースを構えためぐるさんのほうが、もっと素敵です」


 そうしてめぐるとミサキが一緒になってもじもじしていると、セッティングを終えた和緒がクールな声を投げかけてきた。


「何だか今になって、アリィさんたちが目くじらを立ててた理由が理解できたような気がするよ。会話の内容が聞こえないと、いちゃついてるように見えなくもないもんだね」


「そ、そんなことないよ。今はただ、バイオリンの話を――」


「いいさいいさ。あたしが背後から見守ってるから、思うさまいちゃつきなさいな」


 和緒はすましたポーカーフェイスだが、切れ長の目だけが笑っている。めぐるは気恥ずかしさを払拭しきれずにいたが、それでも安堵の息をつくことができた。


 その間にセッティングを終えたハルが、ポコポコとボンゴを打ち鳴らす。ギターの坂田美月はとっくにセッティングを終えているので、これで準備は完了したようであった。


『それじゃあ、リハーサルを始めます。まず、ドラムのキックからお願いします』


 そうしてPAスタッフの不愛想な声とともに、『KAMERIA』のリハーサルは開始されたのだった。


                   ◇


「いやぁ、なかなか愉快な仕上がりだったねぇ。こりゃあ本番が楽しみだよぉ」


 リハーサルを終えためぐるたちがステージを下りると、チェリーレッドのレスポールを抱えた浅川亜季がのんびり笑いかけてきた。


「ツインギターやパーカッションはともかく、バイオリンが入ると雰囲気が変わるねぇ。それに、新曲もいい感じだしさぁ。本番でも、たっぷり堪能させていただくよぉ」


「は、はい。どうぞよろしくお願いします」


 めぐる自身、三名のゲストプレイヤーと音を合わせたのはこれが初めてであったので、まだその昂揚を引きずっていた。リハーサルの時間には限りがあったので一曲のワンコーラスしか合わせることはできなかったが、それだけでも大きな期待をかきたてられる出来栄えであったのだ。


(うまくいけば、すごく格好よくなるかもしれない……まさか、ここまで気持ちよく演奏できるなんて、想像してなかったなぁ)


 そうしてめぐるが演奏の余韻にひたっていると、ワーウィックのベースを抱えたフユがじろりとにらみつけてきた。


「あんたの出番は、こっちでひと通りの音をチェックしてからだからね。それまで、おとなしくしておきな」


「あ、はい。フユさんも、頑張ってください」


「ふん。リハで頑張る筋合いはないよ」


 素っ気なく言い捨てて、フユはステップを上がっていく。めぐるは『V8チェンソー』のステージにゲスト出演する身であるが、ベースのサウンドチェックは完了しているので、リハーサルの終わり際にお邪魔するのだ。ステージの上では、めぐるのベースとエフェクターボードが出番を待ち受けていた。


 パーカッションのセットを片付けたハルはスネアとバスドラペダルを手に、再びステージに上がっていく。

『KAMERIA』がリハーサルをしている間に柴川蓮と亀本菜々子も到着していたので、坂田美月はそちらと合流した。そうして『KAMERIA』のもとに近づいてきたのは、『天体嗜好症』の面々である。


「それじゃあ、あらためて紹介させていただくね。こいつが『天体嗜好症』の新ドラマー、ステージネームはオーマだよ」


「よよよよろしくお願いします」


 上ずった声をあげながら、そのオーマなる人物はぎくしゃくと頭を下げた。

 なかなかに大柄で、背丈は百七十センチほどもありそうだ。太っているようには見えないが骨格がしっかりしているのか、男性のように逞しく見える。顔立ちはのっぺりとしていて無個性だが、ぼさぼさのショートヘアーは大胆な紫色に染められており、大柄な体には黒い甚平を着込んでいた。


「おー、オーマちゃんはいいカラダしてるねー! なんかスポーツでもやってたの?」


『KAMERIA』のスポークスマンたる町田アンナが笑顔で呼びかけると、オーマは「ととととんでもありません」とまた頭を下げた。


「ううう生まれつき図体がでかいだけで、運動神経はゼロです。むむむ無駄に幅を取ってしまって申し訳ありません」


「そんなキンチョーすることないよー! オーマちゃんも、たぶんウチらより年上っしょ?」


「ははははい。じじじ自分は二十四歳です。むむむ無駄にトシを食ってて申し訳ありません」


「おー、ハルちゃんあたりとおんなじぐらいかー! ハルちゃんもだけど、若く見えるね! てか、それならテンタイでも最年長なんじゃないの? アリィちゃんとナラちゃんのトシは知らないけど!」


「うちらは年齢も本名も非公開だよ。……って、事前に言い聞かせておいたんだけどねぇ」


「ももも申し訳ありません。ははは初のステージで緊張してしまっているもので……」


 そうしてオーマが床に膝を折ろうとすると、アリィが甚平の襟首をひっつかんだ。


「人前での土下座も禁止って言い聞かせたよね? あんたは本当に、間違ったほう間違ったほうに転がっていくねぇ」


「ももも申し訳ありません」と、オーマは三たび頭を下げる。

 気が小さい――というよりは、ずいぶんせっかちであるように見えてくる。言葉がやたらとたどたどしいのも、考えるより前に口を動かしているという印象であった。


「ご覧の通り、コミュニケーション能力はアレだけどドラムの腕前はなかなかのもんだから、とりあえずメンバーに加えてみたんだよ。この二ヶ月ちょっとでみっちり鍛えあげたから、磯脇さんに見劣りすることはないんじゃないかな」


「あたしはキャリア一年ちょいの初心者ですってば。ちなみにそちらは、どれぐらいのキャリアなんです?」


「こいつはテンタイの初代ドラムが脱退してから、その後釜を狙うために練習を始めたんだってさ。だから、キャリアは二年足らずってところかな」


「二年近くも、ひたすら練習をしてたんですか? その間、他のバンドを組むでもなく?」


「うん。電子ドラムを買い込んで、ひたすら自宅練だってよ。それでようやく納得のいくレベルに達したから、満を持してメンバー加入を申し込んできたんだとさ。……その間に他のドラムが加入するとは考えなかったのかねぇ」


 そう言って、アリィは薄い唇を吊り上げた。


「ま、ちょっとぐらいネジが外れてないと、うちの正式メンバーは務まらないだろうからさ。こんなバンドを組んでる業の深さを噛みしめながら、気長に調教していくつもりだよ」


「あはは! テンタイって、マジで個性的なヒトの集まりだよねー! でも、オーマちゃんがどんなドラムを叩くのか、すっごく楽しみだなー!」


 めぐるも基本の部分では、町田アンナと同様の心情であった。部外者であるめぐるにとって重要であるのは、彼女の人柄ではなく演奏の実力であるのだ。


(それに……こういう謙虚な人のほうが、ミサキさんやナラさんも馴染みやすいんだろうしな)


 ミサキはどこかハラハラとした面持ちで、オーマの挙動を見守っている。それは何だか、保護者のような眼差しであり――ミサキのそんな常ならぬ態度が、むしろめぐるの心を安らがせたのだった。

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