08 憩いのひととき

 新一年生の仮入部から、あっという間に四日が過ぎて――四月の第三土曜日である。

 水曜日と金曜日に新一年生のレッスンを受け持ったため、この土曜日は朝から晩まで『KAMERIA』がメンバー水入らずでバンド練習に励むことが許された。それでめぐるが思うさま熱情を叩きつけていると、曲の合間で町田アンナが「あはは!」と笑った。


「なーんかめぐるは、キキセマル感じだねー! そんなにウップンがたまってたのー?」


「べ、べつにそういうわけではないのですけれど……けっきょく昨日も、バンド練習はできませんでしたから……」


「それだけで、あんたの鬱憤はマックスってわけね。そのストレスを生んでるのがあんたの信奉者だってんだから、皮肉なもんだ」


「ス、ストレスとまではいかないし、信奉者って言い方もやめてもらえないかなぁ? 野中さんは……きっといつか、目が覚めるよ」


「いえ。磯脇さんの物言いはともかくとして、遠藤さんに憧れるというのは何もおかしな話ではないはずです」


「おやおや。栗原さんがリィ様ばりの冷酷っぷりだねぇ。あたしこそ、同じクラスになったことで栗原さんにストレスを与えまくってるのかな」


「い、いえ。決してそういうわけではなくて……ただ、遠藤さんを心配しているだけです」


 と、『KAMERIA』のメンバーだけで寄り集まれば、いつも通りの賑やかさと和やかさであった。

 おそらく新入部員の指導となるとこういう時間も削られることになるため、めぐるはいっそう何かを抑圧されてしまうのだ。昨日の窮屈な時間の反動で、めぐるはますます練習に力が入ってしまうのだった。


(だから悪いことばかりじゃないって、前向きに考えるべきなのかなぁ)


 出会ったばかりの人間を相手にベースのレッスンをするなど、めぐるにとっては負担以外の何ものでもない。そして相手がめぐるなどに憧れているとあっては、なおさらである。野中すずみの仮入部から五日目となる現在も、めぐるは悪い冗談を聞かされたような心地のままであった。


 しかし、軽音学部の部室で練習を楽しむには、部員としての責任を果たさなければならない。めぐるはこの楽しいひとときのために、歯を食いしばって責任を果たそうとしているばかりであった。


「ウチはけっこー楽しいし、めっちゃ刺激も受けてるけどなー! シマ坊のやつ、めっちゃギターが上手いんだもん!」


「それでも悔しがらないのは、あんたの度量の大きさなのかねぇ」


「だってシマ坊はウチよりキャリアが長いんだから、上手くて当然じゃん! それに、ウチが目指してるのは上手いギタリストじゃなくって、かっちょいーギタリストだからさ!」


「うん。それに嶋村くんは、これからエレキギターの技法を学ぶところだもんね」


「うんうん! やっぱアコギやクラシックギターって、エレキと全然違うみたいだねー! そーゆー意味でも新発見があって、面白いかなー!」


「磯脇さんは、どうですか? 素人目には、北中さんも初心者としてはお上手なように思うのですけれど……」


「パワーはあるし、呑み込みも早いほうなんじゃないのかな。まだあたしが嫉妬を覚えるほどのレベルではないけどね」


「あはは! りっちーがどんなに上手くなったって、和緒が悔しがる必要はないさ!」


「あ、あの……それよりも、練習を進めませんか? おしゃべりは、練習の後でもできますし……」


「出たよ、強欲なプレーリードッグめが」


 そんな感じに、合間におしゃべりをはさみつつ、その日の練習の時間は瞬く間に過ぎ去っていった。

 そうして午後の六時となったならば、大急ぎで撤収する。本日は、この後に小さからぬ予定が控えていたのである。


 めぐるたちが機材を抱えて裏門をくぐると、その道連れとなる面々が待ちかまえていた。

 つい四日前にも顔をあわせている浅川亜季と、二月以来の再会となるフユである。二人はフユの所有する巨大なワゴン車に乗っており、めぐるたちが近づくと浅川亜季が助手席から降りてきた。


「みんな、お疲れぇ。機材は後ろに積んじゃってねぇ」


「どうもありがとー! フユちゃんの車はめっちゃひさびさだから、楽しみにしてたんだー!」


 ということで、今度はワゴン車に搬入の作業である。

 それを終えてから後部座席に乗り込んだめぐるは、心臓を高鳴らせながらフユに挨拶をすることになった。


「フ、フユさん、どうもおひさしぶりです。今日はまたご面倒をおかけしてしまって、どうもすみません」


「うるさいな。会った早々、辛気臭い言葉を聞かせないでよ」


 と、フユは相変わらずのクールさである。

 すると、助手席に戻った浅川亜季が「あははぁ」と笑った。


「フユこそ、いきなり冷たいじゃん。さては、二ヶ月近くも会えなかったから、すねてるんだねぇ?」


「誰がすねるかい。あんまりふざけたことを抜かすと、高速の途中で叩き出すよ」


 ミラーに映るフユは切れ長の目を半眼にしており、内心を見て取ることも難しい。それでめぐるがまごまごしていると、町田アンナが元気に割り込んできた。


「めぐるもさ! こーゆーときは謝るんじゃなくって、お礼を言うんだよ! フユちゃん、わざわざありがとねー!」


「あ、は、はい。フユさん、どうもありがとうございます」


「だから、うるさいってんだよ」と答えるフユは、シャープな頬をわずかに赤らめる。それでようやく、めぐるは安堵の息をつくことができた。


 浅川亜季とは『リペアショップ・ベンジー』で顔をあわせる機会があったが、フユやハルとは『V8チェンソー』企画イベント以来、再会の機会がなかったのだ。二月以降、『V8チェンソー』は都内を中心にライブ活動を行っており、『KAMERIA』の一行はことごとく観戦の機会を逸していたのだった。


「高校生が都内まで出向くのは、それなりに大ごとだろうからねぇ。無理して遠征する必要はないよぉ」


「うん! タイミングが合えば、都内でも行ってみたいんだけどねー! ここ最近は、ウチらもけっこーバタバタしてたからさー!」


「うちらもまた五月にジェイズのブッキングが入ってるから、おひまだったらよろしくねぇ。『KAMERIA』のライブも、次こそ拝見するからさぁ」


 無表情に運転をするフユの隣で、浅川亜季はのほほんと笑っている。実は本日のイベントも、巡り巡って彼女が起点になっていた。


 ことの起こりは四日前、新入部員を連れて『リペアショップ・ベンジー』まで出向いた日のことである。部室の機材を預けて、野中すずみに関して相談に乗ってもらい、めぐるがヘフナーのベースを購入し、いざ帰路を辿ろうとしたとき――浅川亜季が「そうそう」と語り始めたのだ。


「実はハルから、ちょっとした相談を受けててさぁ。いいタイミングだから、あたしがちょっかいを出させていただくねぇ」


 何やら不穏な出だしであったが、その内容は実に穏便なものであった。

 実は本日、この土曜日に、13号ことミサキのバンドがライブを行うのである。なおかつ、ハルがヘルプでドラムを叩くのだという話であった。


「でさ、めぐるっちたちの卒業ライブに、ミサキっちも駆けつけたってんでしょ? 本当はその日、ミサキっちもライブに誘いたかったみたいなんだよねぇ」


 しかし、きわめて繊細な人柄をしているミサキは、最後までその一件を伝えることができなかった。そしてスタジオ練習の場で、さめざめと涙をこぼしていたというのである。


「みなさんは卒業ライブで盛り上がってるのに、部外者のボクがそんな図々しい話を切り出すなんて……どうしても、勇気を振り絞れなかったんです……」


 ミサキは涙ながらに、そんな風に語っていたらしい。

 それで親切なハルが、自分から声をかけようかと提案したのだが――それも断ってしまったのだそうだ。


「ハルさんはヘルプのメンバーさんなのに、そんなあつかましいお願いはできません……それに、めぐるさんたちはお家も遠いですし……きっとご迷惑でしょうから……」


 それでハルは迷ったあげく、『KAMERIA』のメンバーではなく『V8チェンソー』のメンバーに相談を持ち掛けたのだという話であった。


「ハルも気ぃ使いだから、ミサキっちの意見を尊重するべきかって悩んじゃったみたいなんだよねぇ。だから、デリカシーの欠片もないあたしがひと肌ぬごうと思ってさぁ。……フユに送迎させるから、めぐるっちたちも遊びに行かない?」


 そんな話を聞かされては、めぐるたちもとうてい断る気持ちにはなれなかった。フユに送ってもらわずとも、電車で駆けつけようという話になったのだが、最終的にはこうしてフユのお世話になることになってしまった。


「ここから柏まで、電車でたっぷり一時間はかかるもんねぇ。ま、車でも、せいぜい十五分ぐらいしか短縮できないけどさぁ」


「……文句があるなら、ほっぽりだすよ」


「文句なんて、あるわけないじゃん。あー、ありがたやありがたや」


 浅川亜季がおどけた調子で合掌すると、フユは小さく舌打ちをした。

 出会った当初であればめぐるもやきもきするところであるが、今はこれが彼女たちのペースなのだと理解している。そうしてめぐるがやきもきでなくうずうずしていると、隣の和緒が頭を小突いてきた。


「しゃべりたいことがあるなら、好きなだけしゃべりなよ。フユさんとは二ヶ月ぶりなんだから、積もる話があるんでしょ?」


「え、あ、うん。だけどそれは、みんなも一緒だし……」


「あたしらはスマートフォンっていう文明の利器を持ってるから、いつでもどこでもコミュニケーションできるんだよ。ほらほら、フユさんも何を告白されるんだろうって期待してらっしゃるよ」


 それでもめぐるがまごまごしていると、今度は浅川亜季がチェシャ猫のような笑顔を届けてきた。


「ちなみに、あたしはめぐるっちの個人情報をフユに伝えてないから、そのつもりでねぇ」


「え? あ、そ、そうだったんですか?」


「うん。めぐるっちも、自分の口で伝えたいだろうと思ってさぁ」


 それでめぐるはいっそう泡を食いながら、シートの向こう側に語りかけることになった。


「フ、フユさん、実はその……わ、わたしもヘフナーのベースを買ってしまったんです」


 フユは彼女らしくもなく、「はあ?」と裏返った声をあげた。


「あんたが、ヘフナーを? いつ? どこで?」


「よ、四日前に、浅川さんのお店で……ま、まだエフェクターもお返ししていないのに、どうもすみません」


「そんな話は、どうでもいいよ! ヘフナーの、どのモデル? カラーリングは?」


「カ、カラーリングはメタリックレッドで、モデルは、ええと……」


「イグニッション。フユとおんなじ、バイオリンベースだよぉ」


「……なるほど。それで中古なら、お手頃価格だろうね」


 と、フユの声がようよう平静さを取り戻した。


「……それで?」


「は、はい? そ、それでと仰いますと……?」


「だから、弾き心地や音についてだよ。それ以外に、何があるってのさ?」


「あ、はい。音はすごく好きな感じですし、弾き心地は……基本的には、弾きやすすぎるぐらいです。ただちょっと、右手の力加減が難しいですけど……」


「あんたは、アタックが強いからね。いつもの調子で弾いたら、ブリブリに歪みそうだ」


「は、はい。その寸前ぐらいに力を抑えたほうが、好きな感じの音が鳴るみたいです。ただ、すごく生音が大きいので、深夜に弾くのはちょっと気が引けちゃいますね」


「また生音でばっかり弾いてるの? そりゃあヘフナーは生音も最高だけど、やっぱりアンプに通してなんぼでしょ」


「は、はい。アンプは、お店で試奏したときだけです。……確かに買ったばかりのベースだと、余計にアンプで鳴らしたくなっちゃいますね」


「それが当然の話さ。ベースを買うお金があるなら、そろそろミニアンプでも買ったら? ヘッドホンもそろえれば、近所迷惑にはならないでしょ」


「そ、そうですね。でも、以前に生音の練習を怠るなってお話をされましたし……アンプを買ったら、生音で弾く機会がなくなっちゃいそうで……」


「そこは、きっちり自制しなよ。……ていうか、あんたもさんざん生音の練習を積んできたんだから、そろそろアンプ主体の練習に切り替えてもいいんじゃない?」


「そ、そうですか……あ、あとひとつ、悩みっていうかご相談したいことがあって……バイオリンベースって、スラップが難しくないですか?」


「はあ? あんた、バイオリンベースでスラップなんて弾こうとしてるの?」


「は、はい。バイオリンベースって中身が空洞のせいか、何だか太鼓を叩いてるみたいな感覚で、とても楽しいんです。ただ……バイオリンベースって、ネックの付け根にピックアップがくっついてるじゃないですか? だから、指板の上を叩くことができませんし、ピックアップの後ろ側だと人差し指が深く入りすぎちゃうんですよね」


「まったく……そんなにスラップがしたいなら、いっそフィンガーランプでもくっつけてみたら?」


「ふぃ、ふぃんがーらんぷ? って、なんですか?」


「フィンガーランプはフィンガーランプだよ。ピッキングする場所に板か何かを張りつけて、指が深く入らないように細工するのさ。そうすると指弾きなんかでも隣の弦に当たる前に指が止まるから、回転数を上げやすくなるんだよね」


「ええと……ちょっとよくわからないのですけれど……とりあえず、ボディと弦の間に板をはさんで、隙間をせまくするということですよね? そういう道具が、お店で売ってるんですか?」


「普通に売ってるけど少しばかり値が張るし、専用の形に加工されてるのはジャズベとプレベぐらいかな。自分で適当な木版かプラ板を買って加工したほうが安上がりで手っ取り早いし、厚みも好きに選べるね。どっちみち、両面テープで固定することになるだろうしさ」


「ええ? ボディにテープを貼るというのは、ちょっと気が引けるのですけれど……」


「貼り直しがきくタイプのテープだったら、塗装に影響が出ることはないんじゃないかな。まあ絶対の確証はないから、よくよく考えたほうが――」


 と、フユはそこでいったん口をつぐみ、すぐさま険悪な声をあげた。


「……あんたは何を、にまにま笑ってるのさ?」


「いやいや。フユもめぐるっちも楽しそうで何よりだなぁと思ってさぁ。やっぱ、二ヶ月って長いよねぇ」


「う、うるさいよ! 誰か、こいつを引っぱたいて!」


「あはは! アキちゃんの頭を引っぱたくのは恐れ多いなー! それに、ウチもおんなじ気持ちだったしねー!」


「あ、あんたも車を降りたら、覚えておきなよ!」


「町田さんはご両親から暴力の行使を禁止されてるから、フユさんはいたぶり放題ですね」


 和緒までもが加わると、いっそうの賑やかさである。

 ついついフユとの会話に熱中してしまっためぐるとしては、気恥ずかしい限りだが――しかし、胸の中は温かい気持ちで満たされていた。やっぱりめぐるは初対面の新入生たちを相手取ることで、少なからず疲れていたのだろう。それがこのひとときで、瞬く間に癒やされたような心地であったのだった。

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