29.

「大森さん……っ」


 鎖骨に顔をうずめて情けない声で喘ぐ。

 あちこちに触れる大森さんの肌はムチムチと柔らかく、熱を帯びている。

 全身で浴びる『女の子』にドキドキしつつも、それを打ち消して余りある安心感を感じていた。


「よしよし。有間くんは本当によく頑張ってます」

「うぅ、うぅ……っ」

「ふふ、いっぱい泣いてスッキリしてください。私には見えませんから」

「雲来……ちゃん…………。って、はっ」


 やってしまった、初めての下の名前呼び。

 俺の脳はもうダメダメだ。大森さんの優しさに蕩かされ、ベタベタと彼女を求めてしまう。

 ……ここぞという時のこのがっつき感、やはり自分にはみつねと同じ血が流れているんだと思わされる。


「あ、優心くん悪い子だ〜」


 大森さんにいじっとした視線を向けられつつ、後ろに回った手で優しく背中を撫でられ続ける。


 優心。呼応するように、俺を下の名前で呼んでくれた。


「勢いに任せて下の名前で呼ぶなんて、ホストさんとかと同じやり口では?」

「ご、ごめん……クズ臭がすごかったね……」

「はい。異性の気を引くみたいな――とにかく、優心くんらしくないですよ」


 本気で怒っているわけではなく、イジり半分で指摘される。

 おしゃる通りだ。


 ……ん? でもそういう大森さんだって。


「さ、さっきから大森さんも俺を優心って呼んでるんだけど」

「んふふ、そうですね」

「それも『異性の気を引く』ような手口になるんじゃないの、かな」


 俺が口火を切ったのは認めるが大森さんらしくもない。

 お互いの放射熱を相当な密着度で浴び、互いに思考がボケっとしてしまっているみたいだ。


「気、引けてますか?」

「……ドキッとしてるかってこと?」


 もたれかかる俺の頭をぽんぽんしつつ、大森さんがニコッと笑んだ。少し不敵に。


「うん、するに決まってるよ。……大森さん、柔らかいしすっごくいい匂いするし。おまけに名前でも呼ばれて」


 思ったことをそのまま垂れ流しすぎだろ、バカ。

 大森さんのママみにより、思考レベルがバックトゥ胎児している。


 だが大森さんはガバガバになった俺さえもすべて、丸く優しく包み込んでくれる。


「正直者なんだから、もう」


 やめて。そんなになでなでされたらもうここから出られなくなっちゃう。

 いや、まだやめないで。


「ふふふ。まあ、ホントにドキドキしてくれてるんだって伝わってきて嬉しいです」


 大森さんは満足げに鼻を鳴らし、


「私、優心くんの気を引きたくて仕方ないですから」


 そう言った瞬間の大森さんは、今まで見てきたどの表情より可愛く見えた。

 ほんのりほっぺたを赤らめつつ、でも真剣にこちらを見据えて。


 ボコボコになった心の隙間に大森雲来という女の子が入り込んできて、瞬く間に俺の中でいっぱいになる。


 ……もう、夢中になってしまう。


「優心くんはとっても、と〜っても特別な男の子です」


 鎖骨に感じる俺の鼻息は、きっと格段に荒くなっているだろう。

 だが大森さんはそんなことを気にも留めず――いや、むしろ赤ちゃんをあやすように、俺の頭をクシュクシュ撫で続ける。


「優心くんは一緒にいてとても楽しくて、幸せな気持ちにさせてくれます。私のわがままだっていっぱい聞いてくれます」

「……」

「私、優心くんが世界で一番優しい人なんじゃないかって思ってますよ。お名前のとおり」


 大森さんの声音は、教会のオルガンのように全てを包み込む心地良さを携えていた。


「きっと優しいから――優しすぎて、悩んじゃうんですよね。みつねちゃんのことも」

「まだ細かい事情は言ってないのに……」

「いくらなんでも、複雑な事情があるんだろうなぁとは察しました」

「バ、バレたか……」

「みつねちゃんの愛情が深いのにもワケがありそうですもんね。仲良しなのはとっても良いことだと思いますけど」


 大森さんの洞察力がこんなに鋭いとは予想外だった。失礼ながら。


「優心くんのこと、どれだけ見てると思ってるんですか。みつねちゃんが自分の部屋に引きこもってからパニックになってることぐらいはわかります」


 そんなに俺のことを気にかけてくれてるんだ。

 一緒に過ごすのはお昼休みがまだまだメインだけど、きっとそれ以外の時間も……。


 すっかり彼女と距離が縮まってるのを実感して嬉しくなる。


 と、心をホカホカさせていたところで、


「今から言うこと、笑わないでくださいよ?」


 声に真剣味が宿る。


「……いますっごくニヤニヤしちゃってるのはノーカウントでね」

「私とぎゅ〜ってしながら頭を撫でられてるから?」

「それ以外にないでしょ」

「か、かわいいっ…………寂しくなったら私のお胸、貸してあげます」


 胸を貸せ。お胸っていうとどことなくえっちぃなニュアンスが……あ、でもお胸もずっと当たっちゃってるんだよな。


「ごめん、話逸らしちゃった。何を言おうとしてくれてるの?」


 頭や背、力の抜けた俺の部位をさすっていた大森さんの手の動きが止まる。

 そして、はっきりと、力強く、こう言い放った。


「私が優心くんたちを幸せにします」


 耳障りだけならとても臭く、大袈裟な言い回し。

 事実、大森さんは下唇を噛んで俺の返答をうかがっている。


「好きな人にはずっと笑顔でいて欲しい。悩みごとなんて抱えて欲しくないんです。それに、その大切な人にももちろん幸せでいて欲しい」


 笑う?

 そんなことするはずがない。大森さんの頼もしい言葉、ここまで俺を思いやってくれていること。


「だから――私にできることがあれば、なんでもします。頑張らせてください!」


 そのどれもが、俺の心にド直球で届いているから。


「ありがとう、大森さん」

「……うん」

「話すよ。俺たちの複雑な事情、家庭環境、ぜんぶ」


 可愛いスーパーヒーローの力も借りつつ、2枚岩になって頑張ろうと決意した。


 これは俺と――俺にとって1番大切な家族が幸せになるための戦いだ。

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