第58話 球技大会(その3)

 ニアは考えていた。


 この競技、ドッジボールにおいて、主導権を握るのはボールを持っている側であると。


 ボール支配率が高ければ、勝率は高くなる。そう考えたのだ。


 そして自分にはハンデキャップがある。3回当てられてもアウトにならないのだ。おまけに飛んでくるボールは手加減された勢いのない球速。


 ニアはキビルの前に立った。


 キビルが不思議そうにニアを見おろす。


「キビル、オレに任せてくれないか?」

「何か考えがあるのか?」

「次のボール、取って見せる!」


 勇気を出してキビルの前に立つニアに、ハイマンは男同士の勝負を挑む。


「その心意気や良し。乗ってやろう。だが生ぬるい球が飛んでくると思うなよ?」


 ハイマンは軽く振りかぶって、9歳の子どもが取れるか取れないかギリギリの球速で投げつけた。


 ニアには豪速球に見えていた。目を瞑りたくなるのを必死に堪えて、どこに飛んでくるのか見定める。

 ボールはニアの腹部を狙っていた。両手で抱え込むようにボールをキャッチする。それと同時に腹部にボスンという経験したことのない衝撃が走った。


「うぐっ!」


 体が硬直し、ボールを抱えた両手が僅かに開く。ボールはニアの両腕からこぼれ落ちた。


 腹部に鈍い痛みを感じながら、タンと音を立てて床に弾むボールを、ニアは必死に追いかけて、倒れ込みながらキャッチした。


「くっ、ふへへ」


 ニアの狙いは初めからボールを――主導権を握ることだった。特別ルールで与えられた自分の3回のヒットポイントを1回減らしてでもボールを奪うことに全力を尽くしたのだ。


「よくやったニア。男らしかったぞ」


 キビルはニアに手を貸し、立たせた。ニアからボールを受け取り、敵陣の位置関係と、外野のミナスの位置を確認する。


 ミナスと目があった直後、ミナスはコートの端に移動した。それと同時にキビルが速球でパスを送る。


 ハイマンはコート中央に陣取り、ミナスとキビルの素早いパス回しを冷静に見送っていた。

 モモとタコタは、パスが送られる度にコートを前後に走り、できるだけボールの持ち主から離れる。


「モモ、タコタ、それでは疲れてしまうぞ」

「はあ! はあ! はあ!」

「ぜえ! ぜえ!」

「ほれ、言わんこっちゃない」


 一瞬、逃げるのが遅れたタコタに、キビルの一撃が迫る。それは足元を狙ったコースで、ジャンプしなければかわせない速球だった。


ドターーーーン!


 誰もが目を疑う光景だった。身長2メートル、体重200キロの巨漢が倒れ込みながら、床スレスレのボールに飛びついて見事にキャッチングしたのだ。


 タコタからハイマンまでの距離は3メートルはあった。ハイマンはタコタを狙う球が甘い速度であると判断すると、瞬時に跳躍してボールに飛びついたのだ。


 まるで一流のサッカーのゴールキーパーのようなセービングだった。


「グハハハハ! 甘いぞキビル!」


 ボールを片手にノッシノッシと中央線に迫るハイマンに対して、ニアとキビルは外側のラインギリギリまで後退した。


 ニアがキビルの前に立つと、ゴードンが素早く横に移動してパスを促す。

 この時、アンナはハイマンから見て左側方のアウトサイドに外野として立っていた。


 ハイマンはふわりと高いボールでアンナにパスを送った。


 その瞬間、キビルがパスカットを試みて飛び出す。


 それはハイマンの罠だった。ゴードンとのジャンプボール対決を見ていたハイマンは、キビルのジャンプ力を把握して、ギリギリ届かない高さにボールを上げていたのだ。


「ぐうう!」


 歯を食いしばってジャンプするも、キビルの手がボールに届くことはなかった。


 まだ空中にいるキビルの側で、アンナがボールをキャッチする。


 アンナにとって絶好のチャンスだった。


「えいっ!」


ボスン!


 ボールはキビルのお尻に当たって、再びアンナの元へ帰ってきた。


「アンナ!」


 ゴードンがパスを要求する。その側にはニアが棒立ちになっていた。


 アンナの精一杯のパスは、素早くゴードンに渡り、ゴードンは目の前にいたニアの背中にボスっとボールを当てた。


 3回のボーナスの内、2回当てられた。慌てて逃げるニア。


 しかしゴードンはそれを読んでいた。電光石火でハイマンに鋭いパスを投げると、ハイマンはニヤリと笑みを浮かべて、慌てて引き返そうとするニアの足元にシュッとボールを投げつけた。


「うわああああ!」


 ニアは必死にジャンプして足を畳んだ。しかし、非情にもボールはニアの踵に当たり、ハイマンの方へと転がっていく。


「くそおおおお!」


 ニアは着地と同時にボールを追いかけた。相手コートに入る前にボールを捕らえれば主導権を握れる。内野には味方はいない。ボーナスもない。



 ニアはボールに飛び付いた。



 しかし、手が届くことはなかった。



 目の前にはボールを持ったハイマン。自分は中央線の手前で倒れて背中を晒している。絶体絶命だった。


「立て。小僧」


 ハイマンはボールをニアの背中に当てれば試合終了という場面で、ニアに立ち上がり構えるよう促す。


「貴様と我輩の一騎打ちだ。我輩が投げたボールを掴み取れたら貴様の勝ち。我輩は外野に出よう。しかし、取れなければこの勝負、決着だ。どうだ? 受けるか?」


 ニアはゆっくりと立ち上がり、コートの中央に姿勢を低くして構えた。


「受けて立つ!」


 ハイマンはニヤリと笑みを浮かべると、ゆっくりとボールを頭上に持ち上げた。


「行くぞ!」

「来い!」


 それはやや強めの速球だった。シュッという音と共に、ハイマンの長身の頭上から放たれたボールは、一直線にニアの胸に飛び込んだ。


 ボスンという衝撃音と共に、「うぐっ!」という呻き声があがる。


 ニアは懸命にボールを抱えた。しかし、ボールはするりとニアの両腕からこぼれ落ち、床に向かって自由落下を始める。


「くおおおお!」


 ニアは床に倒れ込んでボールを掬い上げた。ボールは床に接触する寸前でニアの正面に弧を描き飛んでいく。


 ニアはボールに飛び付いた。


「くああああ!」


 必死に伸ばしたニアの右手は、中指の爪でボールを引っ掻き、遂にボールは床へと落下し、試合終了の音を奏でた。


「うわあああああ!」


 ダンスホールにはニアの泣き声がこだました。ニアは生まれて初めて男の勝負に負けたのだ。しかし、食べ物を無慈悲に奪われた経験のあるニアには、これが正々堂々とした勝負で、決して悪いものではないということも理解できた。



ピピーーーーッ!



「試合終了ーーー!」


 私が大声で決着を言い渡すと、皆、キョトンとした顔で私を見た。


「え? 何?」


 ミナスが呟く。


「しあい……とは何じゃ?」

「え。試し合いって書いて試合。こういう競技の勝負のことだよ。うーん、ただの勝負じゃなくて、正々堂々とした勝負のことかな」

「ほう。試合と言うのか。いい響きだ」


 ハイマンがボールを拾いながら言う。


「ニア! 頑張ったね! 最後の飛び込みカッコ良かったよ! ほら見てごらん」


 私はニアに最後の跳躍シーンを収めた写真を見せた。


「この必死の表情が最高に良く撮れた!」


 ポロポロと涙を流すニアの頭を撫でると、その涙を一層大きな粒にして、ニアは大声で泣いた。


 勝利したゴードンチームには、小さいながらも金ピカのトロフィーをメンバー全員に配った。重さから判断して純金製だ。


 敗北したミナス達が思った以上にトロフィーを悔しがったので、残念賞としてガリガリ君を配ったら、大喜びしていた。


 その後、私は皆んなにスポーツドリンクを振る舞い、皆んなで赤いガムテープを剥がした。


 ボールはハイマンにプレゼントし、エルラドールへ帰ったら、このボールを投げたり蹴ったりして遊ぶようお願いした。


「さあ! 着替える前に皆んなで銭湯行こう! 汗かいたでしょ? さっぱりしてから戻ろうよ。まだ時間あるし」

「妾は風呂は面倒で嫌いじゃ」

「うるせーな。汗臭くなっちゃうだろ。私が洗ってやるから入るぞ」


 風呂を嫌がるのじゃロリBBAを引きずって、皆んなで銭湯に入る。


 客はほとんどいなくて、ガラガラだった。


「ダグラスやっほー。皆んなに日帰りセット渡してあげて」

「いらっしゃいませ。かしこまりました」


 日帰りセットは、貸し出しのハンドタオルと、バスタオル、入浴後のコーヒー牛乳のチケットだ。ボディーソープとシャンプー、リンスは場内に無料で設置してある。


 服を脱いで風呂場に入ると、おばあちゃんが数名、湯船に浸かってのんびりしていた。


「モモ! こいつの体をゴシゴシしろ! 私はこの長い髪をなんとかする!」

「わかった!」

「これ! くすぐったいのじゃ! 妾は湯に浸かるだけでいいのじゃ!」

「うるせー! 湯船に入る前に洗うのがマナーなんだよ!」


 ジタバタ暴れるミナスの体を隅々まで洗い、ピカピカにして湯船に放り込んだ。


 モモがちゃぷちゃぷと湯船を泳ぐ中、庶民街から来ているという常連のおばあちゃん達と世間話をしては、ミナスに幼児向けのお風呂用オモチャを召喚し、富士山の絵が描かれた壁を見上げて一息ついた。


 この後は調印式だ。所謂メインイベントである。存分に遊んで、ハイマンとミナスの2人と親睦を深めた私は、両手でお湯をすくってバシャっと顔を洗い、調印式にむけて気合いを入れるのだった。

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