神聖喜劇、極楽フルーツバスケット
@jegor
プロローグ 幼少の頃の記憶
幼少の頃の記憶。
震えるほどの寒い昼。腰の高さまで育った草をかき分け、私はナイフを持って歩いていた。
空を見ると、太陽はしっかりそこにあって光を届けてくれているのに、温かさは微塵も感じない。
後ろを振り返ると、私と身長が同じくらいの、悪魔としか形容できない姿が脚立を持って付いてきていた。
白い逆三角形の頭から曲がりくねった体が伸びている。そこには黒い鱗が隙間なく並び、背中からは背びれと翼が生えていた。腕と足も生えているが、おおよそ人の形ではなく、むしろトカゲとか……そうだ、恐竜に近い。
いつ見ても不思議な姿だ。
「ねえデルコマイ。最近何かおもしろいことあったっけ?」
振り向いたついでに、湿気がこもらないようマフラーを離して語りかけた。
彼は首を横に振った。しかし人差し指を立てて左右に揺らし、最後にサムズアップした。
「”何もないけど、それが一番?”……やっぱり何もないよねぇ。ニュースだと色々やってたけどさ」
発音ができない彼とは、ジェスチャーで会話をする。
施設に初めて来たときは驚いた。
その異質な見た目もそうだが、私が注目したのはその性質。
どんな生き物の心でも読めた、私の”テレパシー”が通用しなかったのだ。
あまりの衝撃で冷静さを欠き、幼子の様に突っ込んでしまった。
『ねぇ! 名前は? どこから来たの? なんでそんな見た目なの? なんで――』
あそこまで活動的になったのは生まれて初めてだったかもしれない。まだ6歳だけど。
しかしグイグイ行ったおかげか、名前を聞き出すことには成功した。
『デェ――ラコマ――』
醜く聞き取りにくい発音だったので、もしかしたら間違えているかもしれない。しかし、もはや定着してしまった。
まあ、彼も否定してきた事はないのだし、別に問題はないだろう。
過去を回想していると、デルコマイは前を向いた。
私も釣られて視線を移動させるとそこには、春の美しさがすべて散ってしまった桜が生えていた。
夏の緑葉も秋の紅葉も、冬の寒さにすべて死に絶え今や新芽を待つだけのモノ。
今度はそれを指して、手を前後に動かす切るような動きと、掘った後に手を添える、何かを植えるような動作をしてきた。
「……だね! とりあえず今は接ぎ木に集中しよう」
接ぎ木をやろうといい始めたのはどっちだったか。
まあ、どっちでもいいか。
「そこに脚立置いてくれる?」
木の右を示してデルコマイに伝えた。
彼が地面に脚立を設置すると、自動で私の頭より少し下まで伸びた。100cmくらいかな?
大人たちによると、これは少し昔の物らしい。ただ別に壊れているわけではないので、快く貸してくれた。
丁度枝に手が届くよう、デルコマイが高さ調整した。
そのまま支えてくれているので、安定した脚立を登る。
風で揺れる木の枝を、餌を探す魚みたいに目で追った。
接ぎ木に適した枝を見つけたかったが、何がどうなのか全然わからないし、ちょっと恥ずかしくなってくる。
結局、一番近くにあった枝を掴んでナイフを構えた。
切込みを入れて、それに合わせて前後に動かすと、下手なバイオリンみたいな音が鳴り始めた。
今度は強い風が吹いて、今日の寒さを倍加させる。丁度切り終わったので、急いで残りの作業を始めた。
湿らせておいた布を、切り落とした枝の切り口に巻き付ける。そしてビニール袋に入れて終了。
降りようと思って下を見ると、デルコマイが不安そうな目でこちらを見つめていた。
「どうしたの? 寒い?」
彼は首を振った。しかしこちらを見る目は尚も何か言いたげだ。
少し急ぎ目で脚立から降りる。
地面に着いて、足元の土をはらいながらデルコマイの方を向いた。
すると彼は、手と足と翼をバタバタと動かした。
「わっ。なになに?」
私の頭に手を持ってきた後、私たちの居た施設の方へ向ける。
「テレパシー使ってほしいの? いいけど」
なにもわからないまま使う。
目標は、施設の人間。大人でも子供でもいいか。
とりあえず視界を盗み見られればそれでいいだろう。
私の脳に映った視界は、普段の私の視界より高い位置にある。
大人だ。
そこには大量の小さい子供たちがいて、思い思いに遊んでいる。
絵を描いていたり、かけっこしていたり。
この目の主はそれぞれの相手をしているようだ。
今のところ何も異常はないように見える。
無理に話しかけて邪魔をしても悪いし、とりあえず接続を切った。
「いつも通りの施設だったよ」
デルコマイは動きを止め、首を傾げた。
しかし、普段の彼はつまらない冗談をいう奴ではない。
落ち着いていて、困っている人がいると放っておけない、漫画の主人公みたいな人物。
それがデルコマイだ。
彼は今も、自分の感じた何かと、私の見た景色を照合しているようだ。
「ま、とりあえず急いで帰ろっか」
そう言うと彼は頷いて、すぐに脚立を片付けた。
ここから施設までは少し距離がある。
デルコマイが急いでいるのもあって、小走りで向かった。
また草をかき分けて移動する。
私の先をデルコマイは走っていた。彼の足は獣に近い。だからなのか、脚立を持っているというのに速度が段違いだ。
もしかして、私も背負ってもらった方が早く移動できるんじゃないか?
と、一瞬。
私の前に小さい影が現れた。
「!?」
驚いて、身を守ろうと前腕を上げる。
ただ、右手にナイフを持っていることを忘れていた。
刀身の、青空と太陽を反射する軌跡が、間違いなくその陰を貫いた。
「ヤバ……ッ!」
危ない、とか思う暇もなかった。
せめて何か、少しでも情報を得ようと大きく目を開いた。
ナイフで隠れた視界から、その姿が現れる。
緑の肌、長い耳、小さい角。
そこにいたのは、確かにゴブリンで。切り傷は微塵もなかった。
「なっ……!」
ニュースで見たことがある。日本の辺境にも魔物が現れたと。
鬼とか河童とか、妖怪のようなモノだった。
しかし今ここにいるのはゴブリン。西洋の魔物である。
なぜここに? だとか、なぜ傷がない? だとか。
あらゆる疑問が一気に浮かんで、動けなくなってしまった。
「――ャアッ!」
それは奇声を上げ、私に向かって手を振りかぶった。
明確な殺意。テレパシーで明確に伝わってくる。
こんなのを見るのは初めてで――
が、ゴブリンは吹き飛ばされた。デルコマイが思い切り脚立を叩きつけたのだ。
草むらに勢いよく突っ込んだそれは、緑に溶け込んで見えなくなった。
「あ、ありがとう……」
デルコマイは片手を上げて返事をした。
足を動かすジェスチャーをして、彼はまた施設へ向きなおした。
急ごう、という事だろう。
慌ててたのはこれか。
一瞬色々なことが頭を巡ったけど、すぐに振り払う。
立ち上がり、彼の意志に同意して走り始めた。
私は警戒して、一応能力を使い――
濃密な殺意を感じた。
「デルコマイ、まだだ!」
刹那、草を擦る音が聞こえた。
瞬きの間にそいつは現れて。デルコマイに飛び掛かって。
何もできないまま叩き潰された。脚立で。
……。
「えぇ……い、いや。大丈夫?」
彼に駆け寄って、傷がないか確認する。
というか、脚立を確認する。デルコマイは頑強なので、まぁ無事だろう。この前鉄を曲げていたし。
視線を移すと、脚立からは紫の煙が登っていた。
私とデルコマイは目を合わせ、同時に首傾けた。
その後、テレパシーを使って同じような思念を探したが、どこにも見つからなかった。
どこにもだ。
走って施設に向かう。テレパシーでは発見できなかったといっても、デルコマイというケースがある。
不安に駆られて、いつもより足が速い。
前を向くと、木と木の隙間から、白い金属質の建物が見えた。
私たちの家、カナテル孤児院だ。
完全に森を抜け、その全貌が露になる。
それは横に長く、全面に窓が貼ってある。ところどころ、何かのパイプが見えていて、地面につながっていた。
近づくと扉が自動で開いて、温かい空気が私たちを出迎えた。
これまでの疲労が癒されていく。
「あ! デルくん、ウロちゃん。おかえり!」
奥の方で子供と遊んでいた寺島さんが、茶髪をなびかせて振り返った。
「ウロちゃん、テレパシーで報告ありがと~。魔物に襲われたんだよね。
さすが。簡単に伝えておくだけで話が早い。
「ただいま
「東側、かぁ。うーん? どこからやってきたんだろ……」
寺島さんは顎に手を当て考えている。
(この辺りは壁で囲まれてるはずなんだけどなぁ)
「……あ。えっと、なんか他におかしいことなかった? 見たことないものがあった、とか」
ぎこちなく笑い、思い出したかのように腰を下げ、目線を合わせて質問してくる。
デルコマイの方をちらっと確認すると、まだそわそわしていた。
「デルコマイが教えてくれたから急いで帰ってきたんです。危険を察知する、とかの異能かもしれません」
「……なるほどねぇ。おっけ、とりあえず
いつの間にか尻尾に乗せていた子供を下ろして、デルコマイは頷いた。
「えー、先生別のとこ行っちゃうのぉ?」
積み木を持った青髪の女の子が、泣きそうな声で近づいてきた。
「遊ぶ約束してたのにぃ」
(あ、やばい。忘れてた)
寺島さんの心を読むと、ずさんな一面が垣間見える。
マジかこいつ……。
「ごめんね
私は腰を曲げ、しっかり目線を合わせて笑顔で語りかけた。
「それでね。今度は私が暇になっちゃったんだ。私でよかったら遊んでくれる?」
「うん! 一緒に積み木しよ、ウロちゃん!」
私は視線だけを動かして、寺島さんをみる。
「アッすみません助かります……」
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