Happiness In The World 奇跡のソウル

荻野 亜莉紗

第一章 不思議な絵日記

01


 坂道に立ち並ぶ、洋風の一軒家。


 神扉こうひ市中央区南野町の洒落た住宅街に、立派なレンガの家を建て、とある穏やかな一家が暮らしていた。


 そこに住む若い美形の夫婦の間には、二人の様に整った顔立ちをした、一人息子が居た。


 夢野家の大黒柱である昴が、まだ小学生にも満たない子供へ、不思議な話を聞かせていた。


「お父さんは子供の頃、世界を救った事があるんだ。こことは異なる、別の世界をね」


「えっ? どこの世界? お父さんは、何をしたの?」

 

 綺麗な瞳を輝かせ、幼い少年は無邪気に父へ尋ねた。


「どこの世界かと聞かれると、上手く説明するのは難しいな。それに、まだ小さな奇星矢きらやには、理解出来ないだろう。簡単に言うと、誰もが入れる世界ではない所だね。僕は、その世界で暴れる悪党を退治して、平和を取り戻したんだ」


「わー凄いよお父さーんっ! ヒーローみたいで、かっこいい」

 

 普通なら頭のおかしい人間だと思われる様な非現実的な話を、素直な園児は本気で信じた。


 そんな純粋な少年は昴に、「困っている生き物が居たら、必ず助けなさい。生きていく上で、全ての生き物の命を大切にし、思いやる事を決して忘れてはいけない」と言われ、育てられた。


 彼は父親の言葉を真面目に受け止め、誰にでも親切に出来る心優しい人間へと成長していった。


 そして、幼いながらに、救う対象を人に限定しなかった昴に感心していた。


 昴からの教えを守ってきた事で、己の運命が大きく変わるとは、この時の少年には想像もつかなかった。


 人間性に優れた夢野奇星矢ゆめのきらやと言う少年の物語が、幕を開ける。



「いつまでも、その心を忘れてはいけない。子供心を大切に、生きていってほしい。昔、その僕が行った世界で、ある人からそうやって言われたんだ。それを、僕からも奇星矢に伝えたい。現実の波に呑まれ、大抵の人間は大切なモノを失くしてしまう。だけど、自分を見失わずに生きるというのは、人生においてとても重要な事なんだよ」

 

 奇星矢は昴から、世間一般の家庭とはかなり異なる教育を受けた。


 彼の中には、昴から教わった事が印象強く残っていた。

 


 とある、凍える闇夜――ふかふかのベッドに転がり、奇星矢はぐっすりと眠っていた。


 彼は夢の中で、何も見えぬ暗闇の空間に居た。


 出口を求めて彷徨っている奇星矢の前へ突然、邪悪に光る巨大な影が現れる。

 

 鋭く尖った二本の角を生やした男が、ドラゴンの様な大きな羽を上下に揺らして飛んでいる。


 漆黒のマントをなびかせ、不気味な笑みを浮かべながら奇星矢へ接近していく。


 人間らしい姿はしているが、男はどう見ても人間ではなかった。


 その、溢れ出す悪のオーラを放つ男は、まるで悪魔の様だった。


 この世の全ての恨みを吸い込んだ様な、男の恐ろしい瞳に捕らえられ、奇星矢は酷く怯えた。


「ここに居たか……やっと見つけたぞ小僧っ! 我は決してお前を生かしてはおかぬ……グハハハハ」

 

 奇星矢に話しかけながら、男は青白い手をゆっくりと彼へと伸ばす。


 男からの強い殺気を感じた奇星矢は、身の危険を感じ、そこから逃げ出そうとした。


 しかし、体が痺れ、全く動かす事が出来ない。


 そうしているうちにも、悪魔は少しずつ奇星矢へ迫っていた。


「やめてよ……こっちに来ないで! お、お願いだから、僕から離れてーーーーっ!」

 

 そう叫びながら、奇星矢は飛び起きた。


 そして、隣のベッドでいびきをかいている昴を目にし、さっきのはただの夢であったと安心する。


「そんな事、言わないでくれよ……お父さん、ショックだ」

 

 突然、昴が喋り出し、奇星矢は驚いて体をビクッとさせた。


 自分が大声を出した事で昴を起こしてしまったと思い、彼に謝ろうとする。


 だが、昴は瞼を閉じ爆睡していた。


 その様子で状況を理解し、奇星矢は小さく笑う。


「クフッ……お父さんの寝言、タイミング良すぎるよ。一瞬、僕に返事したのかと思ったよ」


 目から零れていた涙と、体から流れる冷や汗を拭い、奇星矢は再び瞼を閉じた。


 何故か、あの人はずっと僕の事を探していた。


 それに、僕の事を知っているみたいだったな。


 どうして、あんなおかしな夢を見たんだろう。


 夢の中で気味の悪い男に言われた言葉を思い出し、奇星矢はそんな疑問を抱いていた。


 心がモヤモヤし、奇星矢はなかなか寝付く事が出来ずにいた。


 それに、不気味な夢のせいで、謎の恐怖が押し寄せる。


 しかし、昴の眠りを妨げる気にはならず、奇星矢は彼を起こそうとはしなかった。



 あれは、何の意味も無い夢だったんだ。


 僕の頭の想像で、現実とは全く関係ない。


 昨夜の夢が頭から離れず、奇星矢は不安を和らげる為、自分にそう言い聞かせた。


 無理矢理に納得しかけていたのも束の間、奇星矢は晩にまた悪夢に襲われる。

 

 何もかも昨日と同じシチュエーションで、あの男が再び奇星矢の前へ現れた。


 男と奇星矢の距離は、前回よりも縮まっていた。


「き、君は誰? どうして、僕を狙うの?」


 後退りしながら、奇星矢は男にそう尋ねた。


「我は闇の支配者、アガレシファー。お前は必ず、我らの最も邪魔となる存在になる……お前が光を放つ前に、何としても始末する」

 

 アガレシファ―と名乗る男の発言を聞き、奇星矢は首を傾げる。


「僕が……光を放つだって? 僕は普通の小学生だし、そんな事は出来ないよ。きっと、人違いだ」


「いいや、お前で間違いない……厄介な光の芽は、今のうちに摘んでおく必要がある」

 

 そう答え、男が奇星矢へ手をかざす。


 体が麻痺した様な感覚に苦しみながら、怪しい男から離れようとした時、奇星矢はそこで目が覚めた。


 もう二度と同じ夢を見る事は無いと思っていた彼は、この状況に酷く怯えた。


 もしかすると、これは普通の夢ではないのかもしれない。


 あの人と、会話が成立してしまうのもおかしいからな。


 それから数日間に亘り、奇星矢はあの不気味な悪夢にうなされた。


 日に日に、あの男は奇星矢へ接近していた。


 それでも、実際に何か起こる訳ではないだろうと、彼は考えていた。


 しかし、そんな悪夢があまりにも長く続き、恐怖に耐えきれなくなった彼はとうとう、今までの出来事を昴へ打ち明ける事にした。



 

 のどかな休日の昼頃――


 眩い陽の光を浴びながら、奇星矢は芝生の茂る広々とした庭で、昴とボール遊びをしていた。

 

 昴の投げた赤い球をキャッチし、奇星矢はいきなり動きを止める。


「ねえ、お父さん……あのね、話があるんだ」


「……ん? どうした奇星矢……何かあったか?」

 

 不思議そうな顔をする昴に、奇星矢は話す。


「……実は最近、変な怖い夢をよく見るんだ。それで、ぐっすり眠れなくて」


「そうなのか? もしかしたらお前、ストレスで疲れが溜まっているんじゃないか? 怖い夢は、何か不安な事がある時に見るらしいぞ」


「違うんだよお父さん……僕は、そういうものとは別だ」

 

 不安そうな表情を浮かべる奇星矢の頭を撫で、昴は優しく微笑む。


「大丈夫だ心配する事は無いさ……ほら、キャッチボールの続きをしよう。いっぱい遊んで、気分転換しないとな」


「……実は、遊んでる場合じゃないんだよ。毎日、同じ夢だし……それに、必ず体が締め付けられる様な感じになるんだ」

 

 奇星矢が異常に怖がっているだけだろうと、あまり深刻に考えていない様子の昴だったが、やっと真剣な目つきになる。


「本当か? それは妙だな……それで、どんな夢なんだ?」


「なんかね……悪魔みたいで大きな男の人が、僕の命を狙ってくるんだ」

 

 奇星矢のその一言で、昴の綺麗な顔は一気に青ざめた。


 驚きのあまり、昴は言葉を失い固まる。


 そんな、異様な彼の反応を、奇星矢は妙に思った。


「……お父さん? 顔色悪いけど、どうしたの?」

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