第一の噺/人魚の騙り(5)
***
「語ってひとつ。むやみに妖怪を食ってはならぬ」
ふわりとひと薙ぎ。彼は一輝を切る。血はでなかった。
だが、きぃっと白目を剥いて、彼は倒れる。踊るように、皆崎は動く。
「語ってふたつ。むやみに人を殺してはならぬ」
さくりとひと切り。彼は美夜子夫人を薙ぐ。やはり、肌には傷もつかない。
それでもばったり、彼女は倒れた。舞うように、皆崎は動く。
「語ってみっつ。むやみに悦楽にきょうじてはならぬ」
かきんとひと太刀。彼は旦那氏を断つ。怪我などない。
しかし、きりきりと駒のごとく回って、彼は倒れた。拍子を踏むように、皆崎は動く。
「語って最後」
その視線の先には、みどりがいる。一連の狂騒を前にしても、彼女は未だに笑っている。
おだやかとすらいえるほほ笑みは、草原に立つ乙女のごとく。のんびりとみどりは言う。
「ああ、残念」
「妹を、姉は食ってはならぬ」
「本当に、食べたかったのに」
皆崎が迫る。みどりは逃げない。ただただ、可憐に立ち続ける。
あるいはそれが、妹すら喰らうと決めたものの矜持だったのか。
その細い首を、皆崎はするりっと裂いた。
糸が切れたかのようにみどりは倒れ伏す。
誰も、彼も──欲に憑かれた面々は、全員が刀に切られて終わった。
それはユミだけが知っている事実だ。
本来、皆崎とは『皆裂き』と書く。
「これにて、今宵の語りは仕舞」
スッと、彼はまっすぐに刀を下ろす。
瞬間、場に変化が生じた。すべての『騙り』を切ったあとに、ふぅわりと回る影がある。
集めた『騙り』の力たちが、すうっと、皆崎の中へと吸いこまれていった。彼の目は一瞬血よりも紅く、鮮烈に光った。だが、すぐに蜜を固めたかのような鈍い色にもどる。だが、よくよく見れば『騙り』を吸収する前よりもその目にはわずかばかり紅が滲んでいた。
こうして『騙り』を集め続ければ、やがては血色に染まるものと思われる。
けれども、今はどうでもよいことだ。
カチッと、銀の時計が動く。
ちょうど、二分が経過した。
どろんっと、ユミと皆崎の姿は元に戻る。
ユミは歌う。
「べべん、べんべんべん」
お後がよろしいようで。
***
此度の『騙り』は人魚にまつわるもの。
皆崎が切ったのは、それへの執着だった。
これで、碧がすぐに食われることはなくなったといえよう。だが、人の妖怪に対する欲望はいつ新しい火がつくのか、知れたものではなかった。なにせ、人魚の肉は美味であり、食欲とは人の本能に基づくものなのだ。
そのため、彼の勧めに従って、碧は家をでた。
『魍魎探偵』の力をもってしても、人間の体の人魚への変化、侵食はおさえられない。
食った事実は消せないのだから。
だから、彼はある妖怪専門の医者を碧に紹介した。その施術を受け、彼女は海にいる。
「なにからなにまで、お世話になりました」
じっと、碧は皆崎を見つめる。新しくつけた魚の尾で、彼女は波を叩いた。朱色の鱗は美しい。もう変化が止まらない以上、碧は人魚として生きていく道を選んだのだ。
山高帽を、皆崎は少し持ちあげた。心底残念そうに、彼は謝る。
「あなたさんを人にもどしてあげられなくて、申しわけないのです」
「いいのです。私も人魚を喰いましたもの。それならば、これが当然の罰なのです。いつか漁師に釣られたとしても……ええ、運命だと思うばかりで、けっして怨みはしませんわ」
パシャン、パシャンと、彼女は音をたてる。だが、そこで碧は顔を陰らせた。
パシャンと物憂げに波を弾いて、彼女はささやく。
「私の家族も……いつかは人魚になるのでしょうか?」
「ええ。そうです。しかし、それはもっとずぅっと、ずぅっと先の話でしょう。不老不死にも飽いたころです。あなたさんが心配する必要はなにもありませんで」
「……そうですね。ねぇ、『魍魎探偵』様」
「なんでしょう?」
「あなたは化け狐……妖怪をおそばに連れていらっしゃる。よろしければ、私のことも」
艶をこめた目で、碧はささやく。彼女は人生をかけた告白を落とそうとした。
その唇を、皆崎は指で塞いだ。必死で確かな熱のこもった言葉を奪って、彼はささやく。
「さようなら、あなたさん」
そこで、碧はハッと息を呑んだ。
今まで、誰ひとりとして、彼は人魚を食った家族の名を呼んではいない。
ユミというひびきだけを、彼は親しげに舌へと乗せていた。その事実に気がつき、碧はひどく傷ついた顔をした。そしてバシャンと皆崎に水をかけ、海へと潜った。
あたりには、波ばかりが残る。
『海にいるのは、あれは人魚ではないのです』と、言うように。
***
「あーあ、いいのかよぉ、皆崎のトヲルよぉ。ありゃ、なかなかの美人だったじゃねぇか。あっさり袖にしちまいやがって。コンチクショウ、もったいねぇなぁ」
「いいんですよ。僕はユミさんで手いっぱいなんだから」
応えながら、皆崎は山高帽をかたむけた。端に溜まっていた海水が、たーっと落ちる。
見えない尾を、ユミはぶぅんと振った。ぴくぴくと、彼女は鼻を動かす。
「ん、ん? どういう意味だ? 喧嘩売ってんのか? それとも褒めてんのか?」
「どっちでもありゃあしませんよ。ただ、事実を言ってるだけです……僕には人としての心はがっつり欠けてんで。誰かを大切にするのなんざ、ユミさんだけでいっぱいいっぱい」
そう、皆崎は首を横に振った。山高帽をかぶり直して、彼はユミへとたずねる。
「それより、ユミさんはいいんですか? 昔は九本あった尾を、悪さがすぎて、常世の裁定者たる僕に切られたってのに。怨みはないんです?」
そう、皆崎はこの世にあふれでた妖怪の訴えもあって、常世から遣わされたもの。世にもまれなる裁定者だ。彼は『騙り』を測って、その罪の重さのぶんだけ力を振るう。
遠い昔、尾を切られて以降、ユミはその手伝いをしていた。
ケッと言って、彼女は鼻の下をこする。
「だってよぉ、かわいい俺様がいねぇと、皆崎のトヲルはまるでダメなトーヘンボクじゃねぇか。古い付きあいだし、おまえがあんまりダメダメだからよぉ。俺様ってば、うっかり情が湧いちまったのさ!」
「まあ、ユミさんがいっしょにいてくれて、にぎやかしてくれないと、こんな旅、やってられないですけどね」
くすりと、皆崎は笑う。それは本心だ。ユミが手を叩き、空三味線を弾き、刀に変わる。そうして、はじめて皆崎の旅は成立していた。そうでなければ、無味乾燥でしかたがない。
それにユミと手を繋ぎ、歩くことは重要だ。そう、皆崎は考えていた。
そこには、彼にとって大切な意味がある。
目を閉じて、皆崎は一時なにかに思いを馳せた。だが、ユミはそれに気がつかない。
褒められたと、彼女は見えない尾をぶるんと振った。嬉しそうに、ユミは胸を張る。
「だろぉ。おまえは、俺様がいなきゃダメダメだもんな! 自覚があるのはけっこうなこってぃ! これからも、優しい俺様はおまえのことを手伝ってやるぜぇ! 感謝しろい!」
「はいはい、わかりましたよ。感謝しましょうともさ。ユミさんがいないと僕はまるでダメ。まちがいないでしょうよ。でも、僕がこうして働いているのも、ある意味ユミさんのせいもあるというか……なんというか……」
「ああん、俺様のせいにすんのかよ! ケッケッ、確かに、俺様の血を浴びたせいで、おまえは完全に人間じゃなくなっちまったさ! だからって、そんなこと知るもんかい!」
「『騙りを暴いて、徳を積め。さすれば人間に戻って、おまえはようやく眠ることができる』とは……やれやれ、常世の神様も適当を言いなさるもんだ」
ふうっと、皆崎はため息を吐いた。軽く、彼は肩をすくめる。
ケッケッと、ユミは悪い顔で笑った。
「いいじゃねぇかよ、俺様とずーっといっしょに旅をしようぜぇ、皆崎のトヲルよぅ!」
「ユミさんねえ、僕はもう少々疲れてるんですよ……って、言ってもしかたがない、か」
くるり。皆崎は手を回す。骨ばった指の間に、キセルが現れた。頭から海水をかぶったというのに、やはり火は絶えていない。それを、彼がはくりと食もうとした。そのときだ。
「……うん?」
闇夜から、紙が一枚飛んできた。それを、皆崎は片手で受けとめる。
書かれた文字と住所を、彼は読んだ。跳びあがってユミはたずねる。
「なんでぇ。次の依頼かい?」
「ああ、そうさ。やれやれだ」
ガチリ、皆崎はキセルを食む。
ひと吸い、ひと吹き、ひと言。
「今宵も騙るねぇ、人間は」
そして、彼らは並んで歩きだす。
今宵も、『魍魎探偵』は騙らない。
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