二、本格的な彼女たちとの時間(2)

 翌日の土曜日、待ちに待ったというほどでもないが辺りが暗くなった頃、俺はそうの家に向かった。

 俺が手に持っているのは少しばかりの果物とコスプレのために用意した例のアイテムたちだ。

「お前をかぶるのもあの時以来か」

 袋からのぞくカボチャの被り物……相変わらず憎たらしい顔をしてやがるぜ。

 あんな出来事があったというのに、そんなことは気にせずに「今を楽しく生きろよ兄弟」とでも言わんばかりの顔だ、このカボチャは。

「でもこいつがあったからあの時あの強盗の前に出ていく勇気が持てたようなもんだからなぁ……ま、今日も頼むぜ相棒」

 ポンポンと袋越しにカボチャをたたき、俺は颯太の家に着いたのだった。

 ちょうどかいも同時くらいに来ていたようで、パーティ会場となる中庭に颯太の母親に案内されたのだが、そこに居たのはガチなコスプレ姿の颯太だった。

「よく来たな! 今日は楽しむぞ二人とも!!」

 そう言って俺たちを出迎えた颯太に、俺と魁人は思いっきり声を上げた。

「お前気合入りすぎだろ!」

「一瞬誰だよお前ってなったぞ!」

 俺と魁人がそう言ったのも無理はなく、目の前の颯太は魔術師のようなちで立派なのは衣装だけでなく、手に持っている魔法のつえのようなものもかなり金が掛かっているような作りをしている。

「オタクとして当然だろうが! でも俺の本気はまだまだこんなものじゃないぞ!」

「……いやすげえわマジで」

 SNSとかでコスプレをしている人の画像は見たことがあるものの、それに引けを取らないほどの完成度と言っても良いんじゃないか?

 颯太がオタクなのは元々知っていたしコスプレも趣味にしているとは聞いていたけど、ここまでとは思わなかった。

「ほら、お前らもはよ着替えてこいって」

「……お前の後だとなぁ?」

「俺らなんかマジで普通も普通じゃねえか」

 そんなこんなで俺と魁人もすぐにコスプレをして中庭に再び集合した。

 魁人はドラキュラをモチーフにしたコスプレをしており、スーツとマントを着飾り顔にペイントをしてそれっぽくしている。

「ドラキュラは定番だと思ったんだよ」

「中々良いんじゃないか? それに比べて……」

 二人が目を向けたのは俺だ。

 俺は普段の私服にカボチャの被り物と玩具おもちやのレーザーソードを手に握っているだけでしかない。

「……芸がないな」

「うるせえよ。良いんだよ俺はこれで」

 確かにもう少し凝った方が良かったのではと思わないでもなかった。

 今の俺のスタイルは完全に新条姉妹と母親を助けに行った時と同じスタイルで、流石さすがにこの姿で彼女たちの前に出るわけにもいかない。

(ま、この姿になるのも今日が最後か……来年もこうして集まるのなら分からないけどさ)

 そんなことを考えていると二人が俺をマジマジと見つめながらこう言ってきた。

「……でもなんか雰囲気あるよな」

「確かに……強者の出で立ちなんだけど」

「なんやねんそれ」

 どうやら彼らには今の俺はとても強いやつのように見えているらしい。

 彼らのよく分からない期待をにじませた瞳に応えるように、俺はレーザーソードを手に剣道をやっていた頃を思い出すように、しなやかな動きで素振りをしていると二人が拍手をしてきた。

「マジで強そうじゃんか」

「心なしかちょっと怖くなってきたかもしれん」

「だからなんでだよ!」

 今の俺に対して怖いは普通に言い得て妙なのだからやめてほしい。

 久しぶりに剣道をイメージしての素振りと、彼らへのツッコミで疲れてしまった俺は椅子に腰を下ろしてカボチャを脱いだ。

「よしっと、それじゃあコスプレのおは終わったところで飯食おうぜ!」

 俺たちが囲んでいるテーブルには颯太のお母さんが作ってくれた料理が並んでおり、実はさっきからずっとおなかがぐぅぐぅ鳴ってたんだ。

「いただきます!」

 そこからはもうコスプレパーティとは名ばかりの食事会でしかなかった。

 俺も魁人も颯太のお母さんが作ってくれた料理に夢中になり、成長期ということもあってそれはもうたらふく食べさせてもらった。

(……やっぱり良いもんだな手作りの料理ってのは)

 学食はともかくとして、基本的に家に居る時はカップラーメンやコンビニの弁当が多くて料理をすることはめつにない……だからこそ、こうして愛情の込もった家庭的な料理というのはやはり羨ましい部分がある。

「お代わり持ってきたわよ。ふふっ、隼人君は本当に美味おいしそうに食べてくれるから作りがあるわ」

「ありがとうございます! マジで最高ですよ!」

 俺たち男子高校生の好む唐揚げだったりフライドポテトだったりもあって、ハロウィンらしくカボチャスープなんかも最高に美味しい。

うれしいねぇ。うちの息子もこれくらい素直に礼を言ってくれると良いんだけど」

「恥ずかしいんだよ察してくれ」

 確かに普段から一緒に居る家族に対して感謝を伝えるのは恥ずかしいことかもしれないが、それでも伝えられる時には伝えることが俺は大事だと思っている。

「ありがとうって言うだけだろ? 言える時に言っとけって。家族は大切にするもんだぞ颯太」

「……そう、だな。うんその通りだ。ありがと母ちゃん」

 素直に感謝を口にした颯太を俺と魁人は微笑ほほえましく見つめていた。

 颯太からすれば俺の発言は鬱陶しいものだと思われるようなものだったはず、それでもこうして受け止めてくれたのは俺が早くに両親を亡くしていることを知っているから、真剣に話を聞いてくれたのだと思う。

「やっぱり息子から礼ってのは嬉しいもんだね……ねえ隼人君、本当に困っていることはない?」

 颯太に向けていた笑顔から一転し、彼の母が俺を見つめる表情は心配の色が濃く出ていた。

「大丈夫ですよ。以前にも話しましたけど、母方の祖父母が良くしてくれるので」

 両親を忘れられない俺の意図をんでわがままを聞いてくれているし、お金に関しても決して困らないくらいに仕送りもしてくれている。

 あの二人にとって、母の息子である俺のことをとても気に掛けてくれるのだ。

 また直近だと正月休みになるのか、お土産みやげでも持って会いに行かないとだな。

「なあ隼人、本当に何かあったら相談してくれよ?」

「俺たちは親友なんだから。何も遠慮すんじゃねえぞ?」

「……はは、おうよ」

 いつもは一緒に馬鹿やっているだけなのに、こういうところは本当に格好の良い二人は魁人も言ってくれたように最高の親友だ。

 それから俺たちは近所の迷惑にならない程度に騒ぎまくった。

「なあ、せっかくこうして集まったんだから目に見える形に残そうぜ?」

「そうだな。みんなで写真でも撮るか!」

「賛成!」

 確かにこんな仮装をしてただしやべって飯を食うだけじゃもつたいないからな。

 言い出しっぺの魁人の言葉に俺と颯太は賛成し、颯太のお母さんに三人並んで写真を撮ってもらったのだった。

 一年に一度しかないイベント。たった三人での集まりだったけど、俺にとっては大切な友人たちとの語らいの場ということで、また来年もこんな風に騒ぎたいなと笑い合いながら約束した。

「それじゃあ今日はありがとな。先に俺は帰るよ」

「あいよ。また学校でな!」

「じゃあな~!」

 魁人はもう少し居るとのことで俺は一足先に颯太の家を出た。

 辺りは既に真っ暗になり街灯のいた道を一人で歩いていると本当に静かで、それは家に帰ってからも同じことだ。

「騒がしかったな……でも楽しかった。あはは、家では一人かぁ」

 さっきまでの騒がしさからこのまま帰れば一人になり、騒がしさとは無縁のいつも通りが俺を待っている。

「寂しいもんだな……本当に」

 父さんが事故に遭わなければ、母さんが病気にならなければ……今もずっと、帰れば明かりが点いていて待ってくれている人が居るはずだった。

『ほら隼人、お母さんにたっぷり甘えなさい。子供は親に甘えるものよ?』

『そうだな。今のうちに母さんに甘えておくと良いぞ。大きくなったらこうはいかないからな』

 かつてこう言ってくれた両親の声がよみがえる。

 甘えろ……か、もうそんなことも出来ないよ……母さん、父さん。

「お前は本当にのんそうな顔だなぁ」

 両親のことを考えて沈みそうになった気分をすように俺はカボチャの被り物を手に取った。

 本当に憎たらしい顔で人を小馬鹿にしているような表情だ。

 何考えてんだこの野郎と言わんばかりに俺はカボチャをコツンと叩き、俺はそれをまた被るのだった。

「ま、せっかくのハロウィンだしな。このままその辺まで歩いてみるか」

 騒がしくなっているであろう繁華街の方ならいざ知らず、こうしてこんな場所でこれを被っているのを見られたら悲鳴の一つでも上げられるかもしれない……それでもこの道の突き当たりまで被りたいと思ってしまったわけだ。

「ふんふんふ~ん♪」

 好きな歌手の歌を口ずさみながら気分良く歩いていく。

 そして突き当たりに差し掛かり、誰か居るだろうかというドキドキを抱いていた自分を俺は呪いたくなった。

「……え?」

 突き当たりを曲がった瞬間、確かにそこに人は居た……のだが、その相手が圧倒的にマズかったのだ。

「……あ」

「……あ!?」

 運命の悪戯いたずらか、あるいは調子に乗った罰なのか、目の前に現れたのは一番この姿で出会ってはいけない亜利沙さんと藍那さんだった。

(なんでこんなところにこの二人が居るんだ!?)

 二人ともぜんとしたように俺を見つめて微動だにしない。

 どうして二人がここに居るのか、どうしてこんなところを歩いているのかと疑問は尽きないが、俺はすぐにサッと背中を向けて歩き始めた。

 しかし、ガシッと強い力で肩をつかまれた。

「待ってください!!」

 肩を掴まれただけでなく、その声には俺をその場所に縫い留めるような力があったかのように思えた。

 俺に触れているのも叫んだのも亜利沙さんだが、彼女から感じたそれはほどいて逃げようとする気持ちすらも封じ込めるかのようで、俺は内心でため息をきながら振り返った。

「何か用か?」

 あまりにも抑揚のない声が出たが、やはり俺はこうして顔を隠すと普段と違う自分になれるらしい。

 カボチャを被ったままの俺をジッと見つめるだけの美少女という構図、このあまりにもシュールな光景に一石を投じたのは藍那さんだった。

「ほら姉さん、この人も困ってるみたいだしまずは落ち着こうよ。近くに公園があるからあなたもどうかな?」

「……分かった」

 少し考えたが、やはりこのまま去るのは難しいみたいだ。

 二人に連れられる形で近所の公園を訪れ、新しく替えたらしい街灯の下にあるベンチに腰を下ろした。

「……………」

「よいしょっと」

 真ん中に俺が座り、その両サイドを固めるように二人が座った。

 左からは片時も俺から視線をらさない亜利沙さんと、右にはいつも通りの笑顔を浮かべた藍那さんだ。

(二人の美女に挟まれて肩身の狭いカボチャ頭の男……か、マジで何だこれ)

 もう一度言わせてくれ、何なんだこのシュールの絵面は!

 ある意味で冷や汗ダラダラの顔を見られないで良かったかなと思いつつも、さっきから熱烈な視線を向けてくる亜利沙さんをチラッと見た。

「あぁ……素敵だわぁ」

 なんでこの人はこの人でこうこつとした表情を浮かべてるんだろうか。

 この状況を打開する方法が見つからない俺を救うかのように、藍那さんがこう口を開いた。

「姉さん? 感動するのは心から同意出来るけど、彼を困らせるのはダメでしょう?」

「あ……そうね。その通りだわ」

 そこでようやく亜利沙さんからの眼力が弱まった気がした。

 藍那さんの言葉を聞いてコホンとせきばらいをした亜利沙さん、彼女は落ち着いた様子で改めて俺にこう言った。

「あの時は本当にありがとうございました。私たち家族はあなたに救われました」

 さっきからずっと握られている亜利沙さんの手に力が込められた。

 お礼を言われたことで俺はぐに彼女を見つめたのだが、亜利沙さんはあの時に見せた目をしている──すがるような目にも見え、頼れる存在を前に希望を見たような瞳だ。

 亜利沙さんにだけ意識が向きそうになるのだが、反対側に座っている藍那さんも俺の肩に手を置いて優しくでてくれているようだ。

「あなたの名前を教えてはくれませんか?」

 それはあまりにも切実な声だった。

 これはきっと名乗るまで手を離してくれなそうな雰囲気で、俺はどうしたものかと迷ってしまうが素直に答えることにした。

 それはどうもと隼人としてではなく、それ以外の何者なのだと伝えるように。

 あの夜と今だけの出会い、だから覚える必要はなくすぐに忘れてほしいと願うように。

「名前は……」

「……………」

 俺の言葉を亜利沙さんはずっと待っている。

 本名を伝えず、俺がこの場をしのぐためだけに考えた名前はこれだった。

「ジャックだ。俺の名前はジャックだ」

 ジャック・オー・ランタンから取ったこの名前、完璧じゃないか!?

 さて、二人の反応はというと対極だった。

「ジャックさん♪」

「ぷふっ!?」

 顔を赤くしながら感極まった様子でジャックとつぶやいた亜利沙さんと、おなかを抱えて爆笑する藍那さん。

「あなたが私の……」

 とはいえ……一言良いだろうか?

 ジャックと名乗ってから亜利沙さんのまなしが更に恐ろしくなったんだが。

(今更だけどジャックってのはなかったな……恥ずかしすぎる。なんで俺は自信持ってドヤ顔だったんだ! まあ顔は見えてないだろうけどさ!)

 逃げ出したい、この恥ずかしさをどうにかしたい……でも両サイドを二人に固められているので逃げられないこのジレンマがつらい。

(……しかも二人が寄り添っているせいか胸の感触が伝わってくる)

 高校生離れしたサイズとその柔らかさにクラクラしてきそうだ。

 誰でも良い、この天国とも言えるし地獄とも言える空間から俺を助けてくれと心の中で叫ぶが当然助けなんてあるはずもない。

「ふふ、困ってるねぇ隼人君?」

「それはそう……え?」

 俺は思わずバッと藍那さんへと視線を向けた。

「隼人君?」

 亜利沙さんの方から困惑した声が聞こえるが、今の俺にはそちらに意識を割く余裕はなかった。

 藍那さんは俺を揶揄からかうような表情では決してなく、どこまでも優しく安心感を相手に与える視線で俺を見つめていた。

「ごめんね? 実は少し前から気付いてたの。姉さんは今の今まで気付けなかったけど、あたしはもう知ってたんだ」

 笑顔と申し訳なさそうな表情を織り交ぜるようにそう言った藍那さんに、俺はかぶものの下で小さくため息を吐く。

 どうも人というのは驚きすぎると冷静になるらしく、俺はしっかりと藍那さんの言葉を理解した。こうして素顔を隠しているのに俺のことを隼人と呼んだ、それはつまり本当に彼女は気付いていることになる。

「……ならこうして顔を隠してるのも意味ないか」

 もうバレているのなら仕方ないと俺はカボチャを脱いだ。

「隼人君だあ!」

「あ、あなたは……」

 カボチャを脱いだ俺にまず藍那さんが声を上げ、亜利沙さんは俺の姿を見てそれはもう驚いていた……って藍那さんちょっと近い! さっきよりも近い!

「藍那さん? 流石さすがに恥ずかしいので離れていただけると……」

「えぇ~? せっかくの感動の再会なのにぃ!」

 いや藍那さんは俺の正体知ってたじゃん……なんなら昨日も一昨日も話をしたし再会とか何もないじゃん?

 でも、いつ彼女は俺のことに気付いたんだろうか。

 それが気になったので聞いてみると、俺は更にきようがくすることになった。

「姉さんの告白現場に居合わせた時だよ♪」

「……思いっきり最初やんけ」

 それならあの時から気を張っていた俺の苦労は一体……ちなみに、その時は八割方確定しており、その後のやり取りで完全に把握したとのことだ。

「藍那……」

「少しの間でも独占したかったんだもん……」

「全くもう、仕方のない子ね」

 俺を挟んで仲むつまじいやり取りをする姉妹二人だが、亜利沙さんの手を握る力が本当に強い。

 ここまで来たらなるようにしかならないかと思い、俺は改めて亜利沙さんに視線を向けて口を開いた。

「その……黙っててごめん。いや、謝るのも違うとは思うんだけど」

 そもそも俺があの時助けた人間だと名乗り出るつもりは当然なかったし、何度も言うがお礼とかも求めてはいないのだ。

 それでもこうしてバレてしまったのは単純に運が悪かったのと偶然が重なった結果で……ああいや、藍那さんが気付いていたのなら亜利沙さんにもすぐに気付かれていたのかもしれない。

「隼人……様……っ」

「さま……?」

 一瞬顔を伏せた亜利沙さんだったが、すぐに顔を上げた。

「改めまして新条亜利沙です。会えてうれしい……嬉しいです」

 目を細め、まぶしいものでも見つめるような仕草の亜利沙さんに俺は困惑する。

 亜利沙さんから向けられる視線には不気味な何かを僅かに感じつつも、それでも目線を逸らすことの出来ない何かがあった。

「よろしく……新条さん」

 そう返事をすると、横から藍那さんが俺の顔をのぞき込んでこう言った。

「あたしとはいち早く仲良くなったもんねぇえへへ♪」

「ちょっと藍那さん……?」

「……藍那?」

 亜利沙さんがスッとほのぐらい雰囲気を醸し出したが、すぐにその雰囲気は鳴りを潜め藍那さんに対抗するかのように身を乗り出した。

「私のことも亜利沙と名前で呼んでくれませんか? あなたには是非名前で、遠慮なく呼んでいただきたいのです」

「……………」

 名前で呼ぶこと自体は全然良いのだが、藍那さんの時にも思ったように恐れ多いという気がしてならない。

 でも藍那さんのことは名前で呼んでいるし、これからも亜利沙さんのことを名字で呼ぶのはそれはそれで不公平とかになるのかな……ぜいたくな悩みだけど、俺は諦めたように彼女の名前を口にした。

「亜利沙さん?」

「っ……呼び捨てでお願いします。どうか私をモノのように……ごめんなさい。身近な友人のように呼んでください」

「えっと……」

 だから呼び捨ては友達の段階なんだよ!

 呼び捨てで呼ぶまで目を離さない、そう言わんばかりに亜利沙さんはその青い瞳でジッと見つめてくる……俺は諦めた。

「分かった。その代わりと言ってはなんだけど普通にしてくれないか? 君とは初めて話したようなものだけど、同級生なのに敬語ってのも変な気分だから」

「それは……恐れ多いと言いますか」

「それは俺の方なんだよなぁ」

 俺の方なんだよそれは、大事なことなので二回言わせてもらった。

 ただ敬語を抜きに話すだけなのに亜利沙さんは必死に悩みながら、そしてようやく納得したようにうなずいた。

「分かり……分かったわ。よろしくね隼人君」

「あぁ。よろしく亜利沙」

「……ふわぁ♪」

 あまりにも整いすぎたその顔をゆがめるように亜利沙さんはニヤニヤとほおを緩めた。

 口元をモゴモゴさせ、下を向いてブツブツ呟く亜利沙さんが怖くて俺は思わず背後に体を反らしたわけだが、そうすると後ろに控えている藍那さんに接触してしまう。

「姉さんだけズルいなぁ。あたしのことも呼び捨てで良いよね?」

「……藍那?」

「っ……良いねぇ。キュンキュンするよ♪」

 下を向いてブツブツ呟く亜利沙、体を震わせてモジモジする藍那、そんな二人に挟まれるカボチャを持った俺……本当に何だよこの光景は。

 その後、流石に夜も遅いということもあって解散の流れになった。

 俺は終始彼女たちのペースに戸惑っていたようなものだが、最後の最後に彼女たちに言いたいことがあった。

「二人とも、近くまで送る……いや送らせてくれ」

 いくら二人でいるとはいえ、もう辺りは暗い。それにあんなことがあったのだから余計に心配してしまうんだ俺は。

「あのことがあって警察の人もこの周辺の見回りをしばらく強化してくれてるけど、それでも俺の安心のために送らせてほしい」

「心配してくれるの?」

「当たり前だろ」

「っ……隼人君♪」

 女性は守られる存在、その押し付けをそこまでするつもりはないが彼女たちの場合は流石に話が違うからな。

 それから俺は二人を家の近くまで送っていくのだが、送っていくというよりは二人に手を引かれて俺の方が連れていかれたようなものだった。

「それじゃあ隼人君!」

「また学校で会いましょう」

 二人の美人に見送られるように、今度こそ俺は帰路についた。

 なんとも濃い時間を過ごして疲れてしまったが、あまりにも彼女たちの距離が近かったせいで感じたぬくもりと柔らかさ、そして良い香りを思い出して頬が熱くなってしまう。

「……俺もやっぱ高校生のクソガキなんだなぁ」

 なんてことを考えつつ、俺は家に帰るのだった。


    ▼▽


 それが運命だと言うのなら、私はそれを信じるだろう。

 あの強盗に襲われかけた時から数日を経て、ついに私は彼と再会した。最初ジャックと名乗った彼だったが、実は藍那と既に知り合っており同じ学校に通っている同級生だということも分かった。

「堂本……隼人君……隼人君……隼人様」

 彼がカボチャの被り物を脱いで見せてくれた素顔、それをこの目で見た時ドクンとあの時の鼓動がよみがえる気がした。

 少し癖のある髪の毛に優し気なまなしは正に好青年という感じがした。

 筋肉質かと思えばそうではなく、けれども鍛えているのがよく分かった。もしかしたら何かスポーツをしていたのかもしれない。

 色々と思うことはあったが私はたった一目で彼という存在に夢中になってしまった。もっと話をしたい、もっとあなたに見つめられたい、もっとあなたに名前を呼んでほしい。

 早くあなたの所有物になりたい。

「……ふふ」

 これほどの高揚は初めてだった。

 あの人が私の……それを想像するとキュンキュンと体の奥がうずく。もっと彼のそばに居たい、彼を喜ばせたい、私の全てをもって彼という存在を支えたい……私はそれだけしか考えられなかった。

「それに……彼はずっと私たちを見てくれていたんだわ」

 隼人君はずっと私たちを見てくれていたのだ。

 近所に住んでいることは知っていたし、目が合えば会釈はしていた。どうしてもっと彼と早く知り合わなかったんだと過去の自分を呪い殺したい。彼はずっと私たちを守ってくれていたのだ。

「そうよ……隼人君はずっと私たちを守ってくれていたのよ。あの時彼が私たちを助けてくれたのは必然だったんだわ」

 そうだ彼はずっと……あれ、それなら私は何をしていた?

 彼がずっと私たちを守ってくれていたのに私は彼に何をしてあげたのだろう。

 そうだ……何もしていない。ならばやはり私が取る道は一つだけだ。ずっと彼が私たちを守ってくれたそのことに報いるにはもう、私が彼を支えるだけの道具になるしかないじゃないか。彼を傍で見守り、彼だけのための存在であり、彼の所有物としてその傍に在り続ける。

「……素敵だわそれ♪」

 彼だけのモノとして生き続ける、それが私が生まれた意味だったのだ。

 友人との会話で私は彼に隷属したいと口にした。それは何も間違っていない、私は彼の奴隷になりたい。そうだ……そうだったんだ!!


「ふふ……あはははっ♪」

 素敵だ。なんて素敵な世界なんだろう。

 隼人君……隼人様……この甘美な響きが快楽として体を駆け抜ける。私は今、こうして本当の私としての人生が動き出したのだ。

 私、新条亜利沙は隼人様の奴隷……疼く、すごく疼いてしまう。

 私のごしゅ……あぁでもちょっと恥ずかしいかもしれない。けれど私の心はとても満たされていた。とても幸せだった。それだけは何も間違いではない。


「……でも、流石さすがにいきなりこういうことを言うのは引かれてしまうわ。どうしましょうか、ねえ亜利沙……どうやったら隼人君の奴隷になれるのかしらね」

 それは長く続きそうな課題だった。

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