二人だからできるコト

桔梗 浬

私はヒーローになりたい!?

 ポキッ。


 外は蝉が鳴いていて、うるさいほど夏を感じる。首筋にじっとりと汗がまとわりつく不快感。

 そんな中で、シャーペンの芯が折れる音が聞こえた。


『あなたの声が聞きたい。あなたの鼓動を感じたい。ねぇ、今あなたはどこにいるの?』





「あぁ~、もぉ~。むきぃ~っ!」


 杏はシャーペンを鼻の下に挟みながら天を仰ぐ。

 ギーギーと、杏の動きに会わせて椅子が鳴いた。


 芯が折れたこともそうだが、話がなかなか前に進まないことにイラつく。


「文章の神様…降りて来ないなぁ~。全然思い浮かばない…うん?」


 天を仰いでいるとツーっと、天井から落ちてくるモノに杏は気付いた。


「…」


 それは、杏の目の前までやって来て、いったんスピードを緩める。そして目が合ってしまった。

 ソイツは足がイッパイあって、なんと牙を持って…。


「ぎゃーーーーーーーーーーーーーっ!」


 杏は勢いよく立ち上がり、椅子がガタンっと派手な音を立てて倒れた。


 ガシャン!!


「杏さん! どうしました? 何の音です!?」

「く、く、蜘蛛が!」

「くも?」


 杏はこの世の終わりのような顔で机の方を指差し震えている。


「あぁ~、これですか」


 助けに入って来たこの男は、陣羽織 大輔。杏の担当編集者さんだ。

 蜘蛛の糸を手で遮り、杏のもとに駆け寄る。


「これですか?」

「ひっ。ぎゃーーーーーーーっ。お願いっ。それを捨てて! 二度と私の前に現れないように遠くへ!! お願ぁ~~いっ」

「蜘蛛は、害虫じゃないんですよ。虫を食べてくれるんですから」


 そういい、大輔は蜘蛛を窓から投げる。何度も何度も手を振り、蜘蛛が確実に手から離れるのを確認する。


 庭のどこかに落下したはずだ。だから杏と遭遇する確率はゼロではない。


「はい、これで大丈夫ですよ。椅子、派手に倒しましたね」

「ほ、本当にもういない?」

「あはは、大丈夫ですよ。それより小説、進みました?」


 パソコンを覗き込む大輔。


「全然進んでないじゃないですか? いつも言っていますが、2作目が大事なんです。2作目がね」

「えっと、あのね。ノートにね」

「おっ? どれどれ、プロットですか? 作家さんっぽくなってきましたね」


 ノートを開く大輔。その眉間に皺がよる。


「『あなたの声が聞きたい。あなたの鼓動を感じたい。ねぇ、今あなたはどこにいるの?』、こ、これは…ストーカーのお話ですか?」

「えっと…」


 大輔は大きなため息をつく。


「ラブコメにチャレンジするんじゃなかったでしたっけ? だから色々若い子にインタビューとかしてたんですよね?」

「お茶会のこと? 楽しかったよね♪」

「いやいや…。参考にならなかったのであればそれはただのお茶会です!」

「えへへ」


 大輔は、杏に椅子に座って! と無言で椅子めがけて指を指す。


「だって~」

「だってじゃありません。締め切りあるでしょ?」

「だって…」


 涙目の杏を見て、大輔はまた一つ、大きなため息をつく。


「二人は出会って、何となくお互いを意識し始めたんですよね?」


 大輔は助け船を出してみる。


「そうそう! それでね。今二人は連絡が取れないの。だからね、会いたいの。会いたくて、会いたくて仕方がないの」

「いつの時代の話ですか? SNSだって、LINEだって、メールだって手段はあるでしょ? 連絡が取れないなんて、おかしくないですか?」

「そんなの、スマホの電池がなくなったら? 簡単には連絡取れないでしょ?」


 杏は椅子にまたがり、首をかしげながら大輔を見つめる。


「それに、もし、もしもよ? 部屋で倒れていて助けを求めていたら? 家に強盗が押し入っていて、もぉ~両手両足縛れていたら? もしかしたら記憶喪失なのかも!?」

「それじゃぁ~、連絡は取れませんね。それにしても…ずいぶん、ぶっ飛びましたね。」


「これはもう、助けに行かなくちゃ!」

「ヒーローモノにするのですか? 一歩間違えると、ストーカーですけどね」


 大輔は苦笑する。


「だからさ~ねぇ~。シテシテ! シテ欲しいな」


 杏が上目使いでおねだりをしている。これは危険だ。


「何をです?」

「強盗に捕まってる人の役!」

「…」


 大輔にはもはや嫌な予感しかしない。この前は「なんで匠くんじゃないの!?」とわんわん泣かれた。そりゃ~小説の中の主人公にはなれない。完全に八つ当たりである。


 そのうち、殺される人の役をやって! と言いながら、本当に首を絞められるかもしれない。


 命がいくつあっても足りないのだ。


「嫌です(キッパリ)。お断りします!」


 と言っている側から、杏がどこから引っ張り出してきたかわからないロープを、大輔の足にぐるぐる巻き付けていた。


「はい! そこに座って。手は後ろに」

「えっ? えっ?」


 あれよあれよというまに、大輔は縛り上げられ、タオルで目隠しまでされる。


「ちょっとぉ~! やめてくださぁ~い!」

「これでよし」


 杏はパンパンと埃を払うように手を叩く。このシチュエーション、もはやラブコメでもストーカーでもヒーローの話でもない。


「あのぉ~?」

「しっ! これから私が助けに入るから、被害者の気持ちで演じてみて」

「むみゃりまひら」


 とうとう猿ぐつわまで噛ませられた哀れな大輔を部屋に残し、杏は扉を閉める。


「…」


「…」


「あんふふぁん?」


「…」


「ふぉふぁーーーー! ふぃふぇにゅあーーーっ!」


 大輔は椅子をガタガタ揺らす。何とか猿ぐつわを外すことに成功したその瞬間! グラッと椅子が傾いた。


 ガターーーーンっっっ。その音と同時に扉が蹴り開かれた音が聞こえた。


「匠くん!」

「いってぇ~っっ」


 温かい手が大輔を抱き起こす。ふんわりと良い香りがした。


 こんな無体な仕打ちをされても大輔は杏を憎めない。杏はいついかなる時も全力疾走なのだ。ちょっとやりすぎる感はあるけど。何事も一生懸命なのだ。


「だ、誰がこんな酷いことを?」

「えっ?」


 あなたです。と大輔が心の中で呟いている間、杏は一生懸命ロープをほどく。


「もう大丈夫。悪い奴は私がやっつけたから!」

「えっと?」


 もう、何が何だかわからなくなっている大輔の目隠しを、杏がほどこうとしている。


 杏の胸元を鼻の近くに感じる大輔。今にも大輔の頭をぎゅっと抱きしめてくれるんじゃないか? という錯覚に陥る。


「あの、近いです。手をほどいてくれたら、自分でできます」

「しっ!」


 パラッと目を覆っていたタオルが床に落ちた。そこには杏のノースリーブの胸元がでぇ~んと存在していた。そして目と目が合う。


「ち、近い…」

「よかった…。生きていてくれて」

「杏さん…」


 杏の頬を一滴の涙がつたう。ヤバい、めちゃくちゃ可愛い…と思ってしまう大輔がいた。

 ぷくっとした唇。くちびる…が。こんなに近くに。


 思わず大輔は背筋を伸ばす。あと少し、もうちょっとでちゅーできる。


「…」

「…」


 あ…と…す…。


「よし! これだ! これなのよ!」


 まだ半分縛られた状態の大輔を振り切り、杏は颯爽とデスクに向かう。どうやら、文章の神様が舞い降りたようだ。


「そ、そうだよね。お約束よね(ガックリ)」

「うん? なんか言った?」

「いえ…何も…(涙)」


 こうして、今夜も平和に(?)時が過ぎていくのであった。





「あのぉ~。ほどいてくださぁ~い…(涙)」





END

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