第71話 姿なき町
見上げた空が高いのは普段よりも何メートルか下の位置から見上げているからだろうか。そもそもダンジョンというある意味屋内であるにも関わらず空があることを驚かなくなっていることに、自身のフレッシュさとか、そういう何か鮮度的なものが落ちていることを突き付けられているようで溜息が出てくる。
これでも最初は『ダンジョンの中に空が!?』なんてテンプレートな反応もしていたのだが、それも探索者登録票を得る為に試験として潜った最初だけだ。それ以降は何度か驚きもあったものの、命の危機の方が優先順位は高くなった。
「将三郎殿! 足元注意でござるよ!」
「お? あぁ、そうだな」
「空なんか見上げてる場合じゃないでござる」
「そうだな」
今は空よりも命の危機よりも足元の罠の方が優先順位は上だ。視線を足元へ移すとそこには見えにくい色に塗装された糸のようなものが張られていた。こいつを踏んだら何某かの罠が作動するのだろう。これからお邪魔する里に血だらけで担ぎ込まれるのは勘弁なので必要以上に足を上げてそれを乗り越える。
「その足の置く場所にも罠があるので注意でござる」
「罠ないルートとか案内してもらえると嬉しいんですけど?」
行き場を無くしたカカシは嘆息しながら愚痴を吐く。
「そんなものはないでござる。アイザ殿を見習うでござるよ……」
シキミのお眼鏡にかなうアイザ殿は、むしろシキミよりも先を進んでいた。不自然に置かれた岩に、あえて乗ることで地面の罠を回避しているアイザの横顔は、まるで忍者屋敷に観光しに来た旅行客のようにワクワクした顔をしていた。楽しくなっちゃってるじゃん……。
命の危機も手練れにはアスレチックに早変わり、か……。
「まったく、将三郎殿には拙者がいないと駄目でござるなぁ~」
「面目ないでござるよ……」
「んふふ!」
こっちもこっちで楽しそうだ。結局僕は里へ着くまでシキミに介護されながらゆっくりゆっくり、亀に負けた兎よりも遅い鈍行のびりっけつで到着した。アイザは一番に到着していたし、八咫は空を飛ぶし、ヴァネッサも腕だけ翼にして今までで一番ハーピーらしい姿で八咫の後を追い掛けていた。
【禍津世界樹の洞 第68層 アルカロイド湖畔 ベノムエルフの里 イリノテ】
上から見るのと同じ高さから見るのではこうも違うのかと驚かされる。まず僕達が抱いた印象は『この里大丈夫なんだろうか』だった。見張り台や迎撃装置、進行を防ぐか、或いは遅らせる為の罠なんかもあったが、結局上からの攻撃にはめっぽう弱い。その認識が抜けきらない地形だった。
しかしここは凄い。外なのにまるで屋内のようだった。これまで歩いてきた林に生えていた太く硬そうな木を何本も柱にしている頑丈な家。その上に乗っかる屋根はなんと岩だった。上から見た時は割れた地面の下に家が少し見えていたが、実際に岩に見えなかったのは土やら何やらをが風に乗って積み重なったからだろう。それだけの年月を耐えているということだから安全性もクリアしている。
そんな屋根は家だけでなく軒先は疎か、通りにまで伸びて道すらも覆っていた。これなら歩いていていきなり矢の雨が降ってきても命の危機には陥らないだろう。上から見ると角度によっては中が見えるが、そんな隙間を狙えるスナイパーはこんな階層にはいない。多少上手い奴がいても、安全に避難する為の余裕は十分稼げるだろう。
そんな屋根に細い杭を打ち込み、通した紐にぶら下がった行燈のような灯りが町の中を照らしていた。
「凄いな……とても穴の底とは思えないな」
八咫も驚く程の異世界感。文字通り別世界だ。造りもどこか和風で、まるで屋内でお祭りをしているかのような風景だ。やはりベノムエルフは忍者だったのかもしれない。
しかし気になる点が一つだけあった。
「……誰もいませんね」
アイザも気付いていたようで首を傾げていた。そう、これだけ立派な町だというのに人が1人もいなかった。通りにも路地にも誰もいない。並び立つ家々の戸は固く閉ざされている。
「その割には人の気配が凄いな」
「皆、興味津々な癖に怖がりなのでござる。というか、これも里の決まり事みたいなものでござるよ」
聞けば里の人間以外の者がここへやってきたらすぐに避難せよとのルールがあるようで、定期的に避難訓練もしているそうだ。
「押さない、駆けない、喋らないでござる!」
背の割にかなり大きな胸を張って自慢するシキミ。合わせた布がはち切れんばかりに左右に引っ張られ、その合わせ目から覗いた細かい六角形の網状のインナーも生まれながらの六角のプライドなんて捨てて楕円に広がる。目の毒なのに眼福と思ってしまう自分がそこにいた。
「将三郎さん?」
「さぁシキミ、里長のところへ案内してくれるか?」
「もちろんでござる!」
踵を返したシキミの後を余裕をもってついていく。が、僕の背中にはアイザの視線が酷く突き刺さっていた。
しかし姿は見えずとも視線が突き刺さるのは背中だけではない。全身を舐め回すように……というとねちっこくて気持ちが悪いが、値踏みするような視線は気持ちの良いものではなかった。家の角、窓、戸。閉じられているはずなのに、姿はないはずなのに、視線はある。薄い気配が感じ取れるのは、僕だからだろうか。八咫の加護のお陰で気取れるだけで、普通の人ならきっとここはゴーストタウンに感じるのかもしれない。
揺れる行燈が僕達の影を揺らす。先程まで目の毒だの眼福だの言っていた空気は微塵もない。
いつ襲われるか。
今はその緊張感だけが、僕の中でぐるぐると渦巻いていた。
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