デザイアゼロ/終の神託と殻の天使

加賀美うつせ

第0章【殻の記憶】

第X章X話『滅びゆく世界とキミの声』

【そう、これはいつかの日……迎える物語だ】


 ––––世界が終わるユメを見た。


 いつかそれが現実になると何処かでわかっていた。


 燃え盛る煉獄れんごくの炎に包まれた街では、行き場を失った亡者達が彷徨さまよい、己の身を焼き焦がしている。


 この世界を覆い尽くし『穢れ』を撒き散らしてきた人ならざる者達の命の灯火は残り僅か。ようやく得た安堵を胸に、少年は胸元で眠りにつく愛する者の頬を撫でる。


「もう、大丈夫だ……何も心配いらない」


 どれだけの憎悪と悪意を受けてきたか、それでも彼女は『穢れ』に染まることはなかった。その白い柔肌は『穢れ』の残滓ざんしに煤けていても尚、綺麗に色づいている。


 幼少の頃から存在を否定され、多くのものから悪意を向けられ、忌避きひされてきた––––それでも、その心は純粋で侵されるものではなかったのだ。


 この子はまさに泥梨ないりに咲く花だ。それが、いまの『壬晴』にとって何ものにも変えられない誇りだった。


「ごめんね……一緒に暮らそう、ってキミは言ってくれた……だけど、その約束はもう守れそうにない」


 この物語の主人公を担うはずだった––––そんな彼、一之瀬壬晴は最期の時を迎えようとしていた。


 フィニス––––胸に巣食う悪意の塊は、彼の体を蝕み、そのことごとくを崩壊させた。頭髪は白く染まり、激痛を伴う呪いのシルシは寄生木やどりぎの如く総身に広がりを見せ、その黒い葉脈の模様が歪な風貌へと彼を変えていた。


 それでも、彼の瞳には人を想う慈悲と寛容が変わらずあり続けた。


「まだ傍にいてやりたかった。たくさんの思い出をつくってやりたかった……だから、どうかキミが優しい人達に囲まれて、幸せに生きていけるよう願い続ける。この世界に僕がいなくなっても、さみしくないように、悲しまなくてもいいように、そう祈ってる」


 最期を悟っていた。だからこそ残された者だけは幸せにいてほしい。ただ、それだけだった。涙ながらに願うのは、そんな単純で、だけど何よりも純粋なものだった。


「さよなら、フウラ––––次に寝覚めたら、きっと幸せな未来がありますように」


 都市から遠く離れた静謐せいひつなる森の中、眠る彼女をその場に置いて先を進む。


 両脚が竦むのは疲弊と憔悴しょうすいによるものか、それとも悔恨によるものか。未だに後ろ髪を引かれるわだかまりに壬晴は一度だけ振り返った。


 そして大樹の傍で安らかに寝息を立てる最愛の子の、その無垢むくなる横顔に永遠の別れを告げる。


「キミを愛してる」


 そう言い残して彼は足を再び進ませた。樹木の天蓋てんがいが開け、白銀に輝く三日月が姿を見せる。煌々こうこうと研ぎ澄まされたナイフのような輝きは美しくも残酷だった。


 待人は何処かと……彼が視線を動かす必要もなく、彼女は既に待ち構えていた。


 白い花畑の中でひとり佇む小さな影。真紅の瞳と赤い髪、慣れ親しんだその風貌がいまでは随分と懐かしく感じる。月夜に照らされた彼女の眼に一筋の涙が滴っていた。


「いつか、こんな日が来るんじゃないかって思ってたんだ」


 口火を切ったのは壬晴の方だった。心配させまいと無理やり明るく振る舞うも、何処か痛々しい。そんな上擦った声音では彼女の気を解くことなど無理な話だった。


「……そんな姿になってまで、どうして……」


 彼女、櫻井明日香の声音は酷く震えていた。


「泣いている人を見捨てることができなかった。だけど、守るためには力が足りなかったんだ……」


 壬晴の手に『封印制度シールド・システム』の結晶板があった。幾度も彼の身を護ってきたフレームは今ではもうヒビ割れ、光を失って機能しなくなっている。差し込まれた痛々しい裂罅れっかは、壬晴のいまの心を映し出すかのようだった。


「私にはミハルのことが理解できないよ……あなたがフィニスの力を使わなければ、もっと生きれた……僅かでも、ほんの少しでも長く生きていくことができた! それなのに、それなのにどうして!?」


 語る内に涙は滂沱ぼうだとなり、堰き止められていた明日香の心の制御も崩れたようだった。


「あなたがそこまでしなきゃいけないことなんか、なかったのに……どうしてそこまで自分を犠牲に……」


「ごめん……ぜんぶ、僕のせいだよ。もっと力があればこんなものに頼る必要なんかなかった。でも、この力があったから僕は守りたいものを守ることができたんだ」


 壬晴はそっと自分の胸に手を当てた。


「呪われた力を、守るために使えたんだ」


 破滅を導くためではない。ただ、誰かのために。

 壬晴は決して誤ちを侵さなかった。


「それだけは後悔してないよ。この力を正しく使えた。自分の命を蝕む禁忌だとしても……悔いてはいない」


「それでも……っ、それでもあなたは死んでいい人じゃない! 誰よりも優しくて思いやりのある人なのに! どうしてミハルが死ななくちゃいけないの!? こんなの、絶対におかしいよ……」


「…………」


「私はミハルがどんな風になっても生きててほしかったよ……」


 明日香の泣訴きゅうそは壬晴の心を痛めるばかりだった。


『少しばかりはオマエに同情してヤル……長い付き合いだからナ……オマエの影響カモしれないが、湿っぽいのは嫌いでね。オレは死ヌのハ怖くないガ、オマエはどうだァ……?』


 右腕の切傷がまぶたのように開き、そこから紅い眼玉が覗く。


 そしてその真下にも同様に口が開いて壬晴へと語りかける。フィニス……この声は自分以外誰にも聞こえず心の中で語りかける。


 その存在をずっと疎ましく思っていたが、最後の最後で憎めなくなったのは、同じ時を生きたせいだろう。お互い、良いとところも悪いところも影響されてしまった。だから––––。


 ……大丈夫さ。


 そう心の中で返事をした。仮にも相棒として想うなら、最後に一言くらい会話を交わしても良いと思えた。


 フィニスは瞳と口をゆつくりと閉じると、後は成り行きに任せるだけだった。好きにしろ、と彼は言っていた。


 ……ああ、さよならだ。


 明日香と壬晴、二人を繋ぐ静寂の空間に、端末のアラートが鳴り響く。


 明日香は端末の警音を無造作に切ると、力なくその場に投げ捨てた。涙はもう枯れ果て、心には冷たい風が吹くばかり。無常感に打ちひしがれ、肩を落とすだけの明日香に壬晴は何の言葉をかけてやればいいのかわからなかった。


 ただ、無言のまま彼女に『封印制度シールド・システムと『吸収転換アブソーバ』二枚のフレームを握らせた。


 せめて生きた証として彼女に授けておきたい。形見として、そうでなくとも何かしらの役に立てればいい。


「レジエンドゲーム……マスカレイドバトルの最後の敵はフィニス……僕が最後の倒すべき敵だよ」


 これから待ち受ける戦いは、きっと世界の趨勢すうせいを左右するだろう。物語の愁嘆場しゅうたんばであり、避けようのない結末。運命はひとりの少女の手に委ねられた。


「アスカ……プレイヤーであるキミが僕を倒さないとこの戦いに終わりが来ない」


「…………」


 決定的なその真理を告げる。


「……僕がいなくなったら、後のこと任せるよ。そして、フウラ……あの子のことも見てやってほしい。きっと、さみしがるだろうから、アスカが側にいてやってほしいんだ。僕の代わりに一緒にいてあげて」


 壬晴は笑顔を、無理して作ったその笑顔の中に大きな悲しみがあった。彼はかつて仲間のひとりに告げられた言葉を無意識に脳裏に反芻はんすうさせていた。


 死んだ人より残された者の方が辛いのだと、それは痛いほどに解っていたことなのに、その自家撞着じかどうちゃくに己が苦しみ悔いる日が来ようとは何たる皮肉か。


「……うん、後のことは私に任せて。ミハルは、ただ安心して」


 明日香は懸命に泣き腫らした顔に精一杯の笑顔をつくった。 彼女の笑顔が好きだった。壬晴は嬉しそうに微笑むと、彼女から距離を取って、互いに対峙する位置で足を止めた。


「さぁ、始めようか。世界を救うための戦いを––––」


 壬晴は両手を広げ、すべてを受け入れる構えを取った。


 明日香は懐から『神斬刀・天照』を手にする。抜き放たれた赫灼かくしゃくの炎を纏いし刀身は、温かく闇夜を照らし、すべてを浄化させるようだった。切って落とされた戦いの火蓋、そして一之瀬壬晴が描く物語が終わりを迎えようとしていた。


 これは僕が望んだ終わり––––ゼロに至る最後の物語だ。

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