サヨナラ、二月のララバイ

澄田こころ(伊勢村朱音)

A面「サヨナラ、二月のララバイ」

第1話 いとこ同士

 二月の空は、うっとうしいほど重苦しい。


 鉛色した低い雲は厚く、冷え切った地上の空気を逃がさぬよう重くのしかかっていた。まるで、生徒がちらばるグラウンドごと瓶につめて蓋をしているみたいだ。


 その瓶詰された地上に俺は立っている。かじかむつま先をスニーカーの中でぎゅっぎゅっと丸めて中敷きをこすっても、つま先が温まることはない。


 空っ風が砂を巻きあげ、人の隙間を縫うように吹き抜けていく。昨日髪を切ったばかりなので、むき出しのうなじはまだ寒さになれていなかった。


 ジャージのチャックを引きあげ、亀のように首をすくめる。


 午後一番の体育の授業は、ただでさえ動きが鈍くなる時間なのに、二年生合同の持久走とは、だるいことこの上ない。


 生徒たちはまだ来ない体育の島崎先生を待ちつつ、小さな集団に別れどうでもいい言葉を吐き出し、時間を埋めていた。


 誰ともつるまず離れ小島のような俺の肩に、誰かの手がのせられた。緩慢な動きで振り返り、視線をあげるといとこのあきらだった。


「なんだ。なんかようか」


 晶は俺のとげのある言い草に引くわけでもむっとするわけでもなく、万人を魅了する微笑みを口元にたたえた。


 そのまま寒さで赤くなった俺の耳へ、身をかがめて形のいい唇を近づけてくる。熱い息がかかったその瞬間、女子の黄色い声が聞こえてきた。


 彼女たちの会話の内容は聞こえてこないが、大体察しはつく。きゃしゃな俺と、体格のいい晶は彼女たちの妄想を掻き立てる格好のネタらしい。


 噂によると、漫研の連中は俺が受けで晶が攻めの薄い本を描いてるらしい。それが、高等部どころか中等部の女子達の間にもまわっているとか。


 田舎とはいえこの金持ち学校のお嬢たちは、どんなに暇なんだ。いや、暇だから近場の男をおもちゃにして遊んでいるんだろう。


 俺の耳元で囁かれたのは彼女たちが期待するような愛の言葉なわけもなく、ただの伝言だった。


 ぶっきらぼうにわかったとひとこと呟くと、晶は爽やかに「じゃあ、クラブ終わったら」と片手をあげ遅れて現れた島崎先生に近づいていく。


 その均整のとれた後ろ姿を俺は、にらみつけてやった。

 なんでお前みたいな嫌味なやつが、この世に存在してるんだよ。


 晶の成績はつねに、学年トップクラスをキープしている。おまけにスポーツ万能で、バスケ部主将を務めているという人望のオプションつき。


 顔面くらい人並みならまだ可愛げもあるのに、東京への修学旅行時、モデル事務所からスカウトされていた。


 女にもてるのはあたりまえ、男たちにもその性格の良さから好かれている。


 全方位、三六〇度すきのないやつが同い年のいとこ……。俺はこの世に生まれ落ちた瞬間から、晶の引き立て役を否応なしに背負わされた。


 最悪なことに、我が一族は代々医者の家系だ。小さいころは根暗な俺を引き合いに出して、婆さんが晶をよく自慢していた。俺も婆さんを嫌ってたから、嫌われるのはお互い様だったけど。


 島崎先生がのんびりした口調で号令をかけた。ジャージのポケットに突っ込んだ手を、意味もなく握りしめる。今日もまた、晶の後ろを走る羽目になるのが目に見えている。


 俺があいつに何かひとつでも勝てたら……。勝てなくても晶みたいになれたら、母さんは……。


「はっ、今更……」


「なんか言った?」


 後ろを歩いていた原田凛子が、俺のこぼした言葉のかけらを拾って追い越しざまに聞き返してきた。俺の返事を待っている原田の、真っすぐな前髪から視線をそらす。


「別に……」


 原田は少しだけかなしそうに眼を細め、何も言わず俺をおいて走っていく。背中でポニーテールに束ねられた毛先が、背中で軽やかに跳ねていた。


 今の俺、すごく嫌な奴だったな。あんな無愛想に返すなんて。


 原田に悪かったと反省しても、吐き出した言葉は口の中へ返るわけもない。首筋に寒気を感じ、また亀みたいに首をすくめた。

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