葉の散る時
神職の背中を追いながら、洸太郎は奥宮へと足を進めていく。
雨が降り止んでからまだ一日と経っていないのに、辺り一帯の葉の擦れる音、そして足元の砂利がこすれる音は、やたらと乾燥した音となって鼓膜を刺激する。
不気味な程の静けさに飲み込まれたように、自然と会話も無くなっていた。
時折吹き抜ける風が洸太郎の不安を煽りながら、奥へ奥へと吹き抜ける――。
石段が残り数段に差し掛かった頃、洸太郎は奥宮の一部を視界に捉えた。
神職は足を止めて振り返る。
「私はここまでだ。宮司からそう……言付かっているのでね」
そう言うと、神職は四人の反応を待つことなく、来た道を歩き始めた。
すれ違いざま、「すまないね」と洸太郎の耳元で囁く。
慌てて洸太郎は振り返り、神職の背中に一礼すると、三人も洸太郎に続いて礼をした。
ゆっくりと顔を上げ、一つ小さく息を吐く。
そして、再び奥宮を視界に捉え、力強く一歩を踏み出した。
石段を上り終えると、奥宮の前で、高木がじっとこちらを見つめている。
先程まで吹いていた風は、ピタリと止んでいた。
一歩、また一歩と互いの距離は近づいていく。
洸太郎が高木の前に立った時、高木は挨拶や何の前置きをすることもなく、「現れたのだろう。雨の種が」と口にする。
洸太郎は無言のままに頷き、高木もそれに応えるように頷いた。
そのまま高木に促されるように、四人は高木の後に続き、神木様の元へと向かった。
奥宮の脇を奥へと進んで行く。
視界が開け、石段の先にある神木様がはっきりと見えた時、四人はその場で足を止めた。
高木は、四人の反応を予測していたように言う。
「驚いただろう……実はまだ、神木様は枯れていないんだ」
事実が想像を凌駕する。
枯れていることを覚悟していた洸太郎は、すぐには事態を把握しきれなかった。
神木様は数枚、緑の残る葉を枝に付け、堂々とした姿で目の前に立っている。
まだ枝に葉を残しているからだけでなく、不思議と神木様は生きていると、洸太郎は確かに感じた。
「高木さん……、確か雨が降り止むと、神木様も枯れるはずじゃ――」
「あぁ。確かに古書には『雨が降り止んだその日』に、『神木様の最後のお姿を見た』と記載があった。しかし、実際に神木様が枯れてはいないところを見ると、雨が降り止む日が神木様の寿命ではないのかもしれない」
「そうかもしれないですけど……、枯れていないなら、なんで今朝のニュースでそう言わなかったんですか?」
大介が高木に尋ねたが、言われてみればそうだった。
枯れていないと明言しなかったことで不安を煽ったり、デマを流されたりしてしまう可能性だってある。現に、「既に新しい神木様が生まれている」などという、根も葉もない噂も出回っている。
「そうだね。でもそうなると、次はほぼ必ず、神木様を見せるよう要望が出て来る。もし、カメラの前で、報道陣や一般の方々の目の前で、いきなり神木様が枯れてしまったらどうなると思う? それこそ、デマを流されていた方が幾分かマシな結果になるだろう? 今までも急に雨が弱まったり、逆に強くなったりと、我々の予測を超える現象がたくさん起こってきた。つまり、何が起こるかわからないんだ。確かな確証がない以上、今は何も話さない方が良い」
高木の言葉を聞き、洸太郎は自分の家族のことが頭に浮かんだ。
あれ程明るい家庭が、雨が降り止んだことで、人が変わったように言葉と感情を失ってしまった。
恐らく、同じ境遇となった家庭もごまんとあるはずだった。
そんな人たちが神木様の枯れ行く様を見てしまったら、正気を保ってなどいられないだろう。
考えるだけでも恐ろしかった。
「遅かれ早かれ言うことになるのかもしれないが、『人類の進化』について忠告しなかったのも、大きくは同じ理由だ。人の心は予期せぬ出来事に対して、正常に機能などしないのだからね」
高木の言葉が胸に刺さる。
――これから先、どれだけのことと対峙し、正しく働くことのない心と、どれだけ向き合っていかなければならないのだろう……。
「でも待って。今、神木様が枯れていないってことは――生まれ変わることもないってことにならない? そうしたら、まだ雨が降ることもないっていうことじゃ……」
少し震えた声で、千歳が言った。
「はっきりとは言えないが」と慎重に言葉を選ぶかのように、高木は一呼吸入れる。
「寿命はまだ先、あるいはこの姿を見せることが何かのメッセージなのか……。どちらにせよ、もう雨を降らせるだけの力が残っていない、そういうことになるのだろう。だが、だからといって、神木様を無理に枯らせるなんてことは出来ない」
「そんな……。雨の種は確かに現れたのに」
洸太郎はリュックの中から、雨の種を取り出した。
部屋の中では輝くように綺麗だったその種は、今は黒く、不気味な表情をしている。
「これが雨の種か」と高木は呟いたが、然程、驚く様子は見られず、洸太郎にはむしろ、何か別のことを考えているようにも見えた。
「無駄なことなのかもしれないが、今朝からずっと古書を読み返している。やはり私はまだ、神木様が生きていらっしゃるのには、何か意味があると思えて仕方がない。」
改めて神木様を見上げると、洸太郎は気になることがふと頭に浮かんだ。
「高木さん。神木様に残っている葉っぱって、朝からこの枚数ですか?」
「ずっと見ていたわけではないので何とも言えないが……、風に吹かれて、少し散ってしまっているかもしれん。……それが何か?」
「確か古書には、『葉は全て落ちていた』と記されていたのですよね?」
「それはそうだが、あれは既に寿命を迎えられていたから、枯れ散ってしまったのだろう」
「そうかもしれません。ですが――枯れて散るわけではないとしたら?」
洸太郎の言葉を聞き、高木は目を見開く。
「つまり、葉っぱが全部散った時が――」
千歳が高木の言葉を遮り、洸太郎を見つめる。
「神木様の、本当の寿命になる」
優しくも冷たい風が、真正面から洸太郎を包み込む。
まるで、「まだ早い」と洸太郎を追い返すように。
神木様に残る葉はもう、五枚と確認出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます