語り継がれるもの
温もりのない言葉
翌週の月曜日、学校が終わった後に洸太郎と瑠奈は二人で水源寺に向かっていた。
まだ憶測の域を出ないこと、余計な心配を掛けたくないという思いから、大介と千歳には黙って行くことにした。
今日も相変わらず、霧のように弱い雨だった。
ここに来る途中、瑠奈は霧雨に手を差し伸べながら言った。
「洸太郎、神木様が雨を降らす前はさ、この世界は一体、どんな世界だったんだろうね?」
「そうだなぁ。やっぱり食べ物に苦労したんじゃない? 食べ物が育たないと、生活するのだって苦しいし。そもそも、当時は自動車や電車は無かったしね。あれは雨と、技術の進歩の賜物だもの」
「そうだよね。その頃なのかな、『食べ物の恨みは恐い』って言葉が生まれたの」
「それはあるのかも! あと、雨がたまにしか降らなかったら逆に、雨の日を鬱陶しいって感じていたのかもしれないよ。『傘を刺さないといけないし、雨の降る日は天気の悪い日だ』とか言ってさ」
「今じゃ絶対に考えられないね。むしろ、雨が降り止んだらどうしようって言っているくらいだもの。私たちって――」
これから向かう自分たちの未来と重ねたのか、瑠奈は一瞬、言葉に詰まる。
「本当に、雨ありきの生活になっているよね」
洸太郎は頷き、遠くの空を見上げて考えた。
人類は様々な知恵と工夫を駆使して雨と共存してきたはずなのに、最初は神に縋る想いで雨乞いをしていたはずなのに、「雨が降るのは当たり前」と、いつからそんな意識に変わってしまったのだろう。
ニュースで雨が降り止むと言っていた人たちの意見を聞いても、どこか違う世界の話にしか思っていなかった。
いや、正確には「雨が降り止むことに向き合わなかった」なのかもしれない。
もし本当に、この雨が降り止んだら、僕たちはどうなってしまうのか。
いよいよ、雨の降らない日が来てしまうのかもしれない。
そんな事実と向き合いながら、刻一刻と、雨の寿命は迫っている。
まだ何かが決まったわけでもないのに、そう考えずには、いられなかった――。
考え事をしながら歩く道のりは早く、あっという間に水源寺の前に到着していた。
鳥居の前の落ち葉を掃除していた神職に尋ねると、高木は居るとの回答だった。
高木とは特に約束をしていたわけではないので会える保証はなかったが、不思議と、この日は高木に会える気がしていた。
所在を訪ねた神職は親切にも、高木の元まで二人を案内してくれた。
その途中も、「暑い中ありがとう」「神木様もさぞ、喜ばれるだろうね」と優しく話しかけてくれ、緊張していた気持ちも、少しだけほぐれていた。
本宮に着くと、神職は高木を呼びに行く。
時間にして一、二分だったが、洸太郎は異様に長く感じた。
「いやぁ、よく来たね」
高木はあの日と同じように、辺りの空気をも包むような笑顔で現れた。
洸太郎と瑠奈は神職にお礼を言って頭を下げ、高木へと視線を向ける。
「突然押し掛けてしまって、申し訳ありません」
瑠奈は余所行きの話し方で高木に謝罪をした。
「いやいや、全く構わないよ。寧ろ、お願いしたのは私の方だから。それに、何となく今日は君たちが来る気がしていてね」
そう言うと高木はまた、優しく微笑んだ。
「今日ここに来たのは――」
洸太郎が話し始めると、高木は最後まで確認することもなく、「神木様の話だろう?」と言葉を重ねるように言った。
「あともう一つ、高木さんにお話ししたいことがありまして……」
「話したいこと……そうか、わかった。ここで話すのもあれだ、奥宮まで歩きながら話そう」
二人は「はい」と返事をすると、先日も来た道を進み始めた。
あの時と全く同じ経路だったが、高木と一緒に歩く石段は、どこか新鮮だった。
まるで自然が、神社が、二人を迎え入れてくれているかのようで、以前感じた寒気にも似た冷たさを感じることは一度もなかった。
「そういえば水源寺は、いつ頃に出来た神社なんですか?」
本題に入る前に、瑠奈は前を歩く高木の背中に問いかける。
「それが、この神社の創建について明記するものは残っていないんだ。今の神木様が千三百歳とされていていること、そして、もう一つの理由から、それ以前にここが水源寺として存在していたと私たちは考えているがね」
「もう一つの理由……?」
「実は、神木様についてはその少し前からの記録が残っていてね。一代前――つまり千三百年以上も昔、『初代の神木様』についての記録だ。その記録の中に『水源寺』の言葉が既に記載されている。つまり、水源寺が生まれてから少なくとも千三百年以上経っていることになる」
初代の神木様についての話など、洸太郎は聞いたことがなかった。
よく考えれば、「今から千年以上前に雨が降り止んだ」ことを経験し、「神木様にも寿命がある」ことを知ったということ、それは、遠い昔に寿命を迎えた神木様があったことに繋がる。
しかし、散々聞かされてきた神木様の話の中に、初代の神木様についての内容など一切なかった。
知らず知らずのうちに、それが「当たり前の話だから」という勝手な解釈によって、一つ一つの事実の奥にある真相に、蓋をしてしまっていたのかもしれない。
なぜ今まで疑問に思わなかったのか――そう思うと、洸太郎は言葉が出なかった。
そんな二人の反応を見透かしたかのように、高木は続ける。
「恐らく君たちにとっては初めて聞く話だろう。知っておく必要があるかどうかは別の話でもあるからね。理由は……そうだね、君たちが今日、ここに二人だけで来た理由と似ているのかもしれない。残っている記録が真実か否か、信じるかどうかは置いておくとして、余計な不安を煽るだけかもしれないから」
「余計な不安……?」
「言葉が悪かったかもしれないね。つまり、『全員が全員、知っておく必要はない』ということだよ」
高木の口調は普段通りのものだったが、洸太郎の耳に届く高木の言葉には、「温かさ」を一切、感じることはなかった。
「単刀直入に言うと、それが今回、君たちをここに呼んだ理由でもある。君たちには知っていてほしいんだ」
奥宮に続く石段を上り切ると高木はこちらを振り返り、強い眼差しを向けて言った。
「神木様の真相を――」
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