秘密結社DREAM IN THE DREAM
@junk1900
第1話 私と組まないか?
――見上げると、夕焼け空が汚い。少しは色鮮やかな朝焼けを見習いたまえよ……ふと頭に巡ってきたそのセリフが、我ながら面白かった。
いつも通りの警視庁での仕事を終え、太陽が薄暗い夜に包まれかけている時間。
この日、杏斗にはいいことがいくつかあった。
まず、ずっと恋してた職場の女子に恋人がいる事が判明し、恋愛経験を積めた。
そして目の前で、嫌いだった先輩警官が撃ち殺されて。
あと、九歳の子供が誘拐された事件の隠蔽を暴いてけっこうショックを受け。
さらに、唯一存命の親族だった叔母さんが出先で新幹線に轢かれて……えっと……えっと……?
「ははっ、なんにもいいことねえや」
毎日、こんな感じだ。
同じ日を、同じ二十四時間を繰り返しているだけなのに、どこかで悲惨な不幸が必ず自分に襲い掛かってくる。そういう人間なのだ。
「俺って、普通に優しい人なのにな……」
小さい頃から不幸体質だ。それは
溜め息と共に、屋上から奈落を見下ろす。この廃病院ってこんなに高かったっけ。自殺には向いている建物だ――誰かがそう言っているのを小耳に挟んだが、おそらく事実なのだろう。
いざ自殺という単語を頭に出してみると、それを胸に一歩踏み出すだけで、背中がゾクゾクするのを感じた。
「命を守る職について天才と言われた俺が、こんな都会の隅で自殺ねえ」舌を打ちながら失笑する。馬鹿みたいな話だ。
それでも決めたものはしょうがない。
杏斗は屋上のへりに腰掛けた。背中に当たる風が強くなってきて、今にも突き落とされそうな感覚に陥る。
「これなら何もしなくても死ねるな。都合がいい」
虚ろな目をしばたかせて、再び立ち上がった。その場で何度かジャンプしてみて、また奈落を見下ろした。
なんだか今すぐ飛び降りないと、永久にうじうじしてしまいそうだ。
「……」
「……よし」意を決した杏斗は目を瞑り、震える両足で軽くジャンプした。
屋上から飛び降りるには、それで充分だった――。
全身を放り出した一瞬の浮遊感のあと、どうしようもなく強い引力に足を掴まれる。その先に地面は無かった。
一瞬だけ意識を失っていた気がする。気付けば、ジェットコースターなど比にならない程の勢いで、頭から下へ下へと落ちていた。目を薄く開けると、視界の隅に、雲が段々と遠ざかって行くのが見えた。
肩に当たる風がすごく強くて、ちょっと怖い。落ちている時間は永遠のように感じられた。
「……地面だ」
ふと顔を上げた先に、地面があって。焦げたような色のコンクリートへ、目を閉じた杏斗は頭蓋骨から――。
「止まれえええェェ!!!!!!」
怒声が聞こえてきたのは、丁度その時であった。
そして次のコンマ一秒には頭蓋が潰れようというそのタイミングで、杏斗の腕を誰かの手が掴む。
直後、爆発するような力で引っ張ってきたのだ。
「危ないわねバッカ野郎!死のうとしてんじゃないよ」
「チッ。邪魔しやがって。……誰ですか」
四肢をだらりと垂らした間抜けなポーズで上空に浮きあがった杏斗。その目の前にいたのは、翼を生やし、眼鏡の奥から怒りの眼差しを向けてくる赤髪の女だった。
猫のような鋭い瞳に、攻撃的にすら感じさせる鋭利な髪形。見るからに大きい口。杏斗を助けたその女は、神野リアと名乗り、人気のない夜道に彼を連れ出した。
「君は、なんであそこから飛び降りたのかな?」
先ず飛んできた質問に、杏斗は暗い表情を見せた。
「俺、元々不幸体質なんです。できるだけ早く死にたいんです。もう全部嫌なんです」
「ふうん」
「今日も失恋して、身近な人が死んで。もう家族は全員いなくなった。明日だってどうせ何もいいことがない。クソみたいな職場を良くすることも叶わない。あなたみたいな強か者にはわからねえでしょうけど……生きる意味ないんですよ、俺。ああそうだ――俺は――生きる意味がないんだ。いますよね、そういう人。それがまさにここにいる人間なんです、俺なんです……俺を!殺してくれ!!!」
杏斗は取り乱して崩れ落ち、地面を殴った。
「わかったわかった。まあ落ち着いてよ、馬鹿野郎」リアはあからさまに面倒くさそうに、杏斗の頭を撫でる。「生きてりゃいいことあるって。知らんけど。私もそこそこ辛い時期あったけどさあ、自殺はナンセンスでしょ」
「は?」
「いや、は?じゃなくて」唖然とする杏斗の頭を、リアは鷲掴みにした。そのまま近くまで引き寄せ、耳元で喋り出す。
「君さあ、
自分の名前をずばりと出され、杏斗は鳥肌が立つのを感じた。俺ってそんなに名が知られてるのか?表には殆ど出ない人間だぞ?
「そんな優秀なのに死にたいの?もったいないなあ。君なんかよりもっと死ぬべき人間がこの世にはいっぱいいるよ?」リアは催眠術のような甘い声で続けた。
なにも反論できず、杏斗は歯を食いしばる。
思いがけない提案があったのはその時だった。
「それでも死にたいってんならさ、その命私にちょうだいよ」
「……?ど、どういうことですか……!?」
「私と組まないかって言ってんの。ちょうどさ、巨大な会社を作ろうとしててね……戦力が要るんだ。君なら申し分ないよ。どう?」
「じょ……冗談じゃない!」杏斗は膝に手をついて立ち上がった。「いくら恩人とはいえ、あんたのような怪しい者の手は取れない!」
「あれ、恩人だと思ってたんだ」せせら笑うような声だった。「じゃあ借りは返してもらわないと困るなあ。君にとって悪い条件は出さないよ?」
「あんたは何者なんですか」杏斗は後ずさり、すぐにでも逃げられるよう足に力を込めた。
リアは意外そうな顔をした後にまた笑顔を貼り付け、胸ポケットから小さな紙を取り出して杏斗に見せつけた。
「元FBI捜査官、今は無職の神野です。以後お見知りおきを」
「FBI?」杏斗は目を丸くした。目の前にある名刺も本物に見える。
「どう?急に信頼できそうなやつに見えてきた?」
「いや、ニート信頼するやついないでしょ」
「は?黙れ」リアはキレた。「だから起業したって言ってんのよ。腐った警察機関に代わる会社を」
「……」
「今の社会に必要なのは、犯罪の撲滅と防止、そして犯罪者への正当な刑を与えること……どれも、先進国なら当たり前になされるべきことよ」
「……」
杏斗は意外にも、彼女の言葉が耳に引っかかった。近年の警察周辺組織が財政難と権力闘争の激化によって腐敗しているのは誰もが知るところであるが、それを受けて新組織を立ち上げるというのは耳に新しい。
なんてオタク特有の早口になっている場合ではない。この女は何を言っているのだ。
「それ、非現実的じゃないですか?」杏斗は率直にいった。「いくらなんでも警察に代わるなんて無理がありそうだ」
「だから力のある君のような人に声をかけてるんだよ」
リアは不貞腐れて指を立てる。「いい?君や私のような人間を取り込んでいけば、いずれは強力な組織を作ることができる。むしろソレをしなければ日本は暴走機関車まっしぐらなの」
「それは、そうだが……。まあ、そうだな……」
杏斗はその目で見てきた不正と隠蔽の数々を思い返す。そして再びリアの顔を見やった。
……一瞬、頭のおかしい女かと思ったが。意外と、社会を俯瞰している人間の一人じゃないか。
「……分かりました。もしあんたが俺の期待通りの事をしてくれるなら、乗ってやってもいいですよ?俺けっこう貯金ありますし、やりたい事がまだ沢山ある」
「随分生気が戻ってきたじゃん。その調子。でもさ……乗ってやってもいい、じゃないの。私は君の命の恩人なの。ドゥーユーアンダースタン?絶対に協力してね。なんなら死ぬまで一緒に働こ?」
リアは眼鏡を外し、杏斗の前でおかしそうにあおいだ。
「……えぇ、マジか」
なんとも脅迫的。厄介な奴に目を付けられたものだ。杏斗はわざとリアに聞こえるよう、ありったけの溜め息を吐き捨てた。
「それで、あんたが立ち上げようとしているのはどんな会社なんです?」
「言ったでしょう?命と治安を守る……秘密結社だよ」リアは眼鏡を仕舞うと、変わらぬ口調でそう言った。
「ひ……ひ、ひ……秘密結社ァ!?」
杏斗が驚いた調子で叫ぶと、彼女は、
「そう、君は三人目の社員。——どんな社会を造りたいか、よく考えておきなさい!目標は社員五千人!」
そう嘯いて、一直線の夜道を歩き続ける。
杏斗は愕然とした表情で、しかし好奇に満ちた笑みで息を呑み、リアの背中を追いかけていった。
「は?辞職したい?伊央くん、急すぎないか?……昨日までいつも通り働いてたじゃないか」
警視監は杏斗に渡された紙を許可もなくぐしゃぐしゃに折った。
「君、いちおう評判いいんだから……辞めて迷惑かける相手もいるでしょ。そこんとこ考えてもらわなくちゃ困るな。論外だね」
「はぁ」杏斗は奥歯を噛み砕きたい気分になった。
「それで?話変わるけどさ、有田検事の件……揉み消しは上手くいっているのか?しばらく報告をもらっていないんだけど」
「その件は断ったはずでは……?」
「はぁ?断れる訳ないだろう。君、仕事選べる立場じゃないでしょ」
痩せ気味の警視監は鼻を鳴らして杏斗を睨んだ。
「ともかく。まだ間に合ううちに取り掛かってくれ。来月には財務大臣の警護もあったはずだろ?。無能な部下達の首を守るためにも、君には尽力してもらわないと困るよ」
「……」
「返事は?」
「……かしこまり、ました……」
杏斗はうつむき、息を抑えて踵を返した。
いつだってこうだ。こいつらは本来の警察がなすべき役割なんてこれっぽっちも考えていなくて、自分たちを仁義なき企業競争のさなかにいるサラリーマンとでも勘違いしている。
「くそっ」
ゴミ箱に捨てられた山のような書類を尻目に、杏斗は退室した。弱々しい足取りで自動ドアを抜け、逃げるように外へ出た。
外は視界のほとんどが道路で、真っ昼間から砂を乗せた強風が吹いていた。
杏斗は周りに誰かいないか確認してから、背を丸めて歩き出した。制服を着たままだと暑くてしようがなくて、一分と立たないうちに上着を腰に巻いていた。
そのうち、近場にある用水路にかかった橋でふと立ち止まり。水の中を覗いてみた。
きたねえ。
踵を返そうとしたが、水上に浮くバラバラ死体のカゲロウが目に留まり、思わず足が止まってしまった。
――こいつは、それはそれは無残な死に方をしたのだろうか。それとも儚く綺麗に死んだのちに水の上でバラバラにされたのだろうか。無性に気になって、再び屈みこむ。
その遺骸を眺めている時間は永遠にも一瞬にも感じられた。
俺も息苦しい組織のなかでもみくちゃにされて、こんな風に死んでいくんだろうか。
気分を沈ませていると、カゲロウの死体は気付かぬうちに遠くへ流されてしまっていた。
「はぁ」
杏斗は浅く溜め息をつく。そして眉を寄せ、掌をぢっと見つめた。
「……」いつ見ても生命線が短い手相だ。
俺は一体、こんなところで何をしているんだろう。
辞めたい……ほんとに辞めたい。神野という女がいいきっかけを作ってくれたところなんだから、邪魔せず辞めさせてくれ。
「あーもう、クソ。俺は何度でも辞表書くからな」
やけくその笑いと共に立ち上がり、杏斗は来た道を駆けて行った。
署に戻ると、タイヤを替えていないパトカーが激しい日に晒されていた。
自動ドアの先で休憩していた部下が「伊央さん、どこ行ってたんですか」と訊いてくる。無視した。
廊下を駆け抜け、最短距離で先刻の場所まで戻る。
「オラァッ!」
憎らしい扉を叩き壊すと、杏斗は腰を抜かした上司に向かい、ありったけの中指を見せつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます