307 ゴール

 空中に身が投げ出される。壁も床も天井もない中、ふわりと身体が重力から解き放たれ、ふわりと地面に着地する。


 そこは、真の闇が広がる広大な空間だった。何が起こったのかくらいは理解していた。足を引っ掛けて躓いたのだ。そして、宝箱の中に落っこちた。完全に注意力不足である。


 ここは――みみっくんの中か。


 目を凝らし空を見上げながら、よくこういう事があるのでいつも大体装備しっぱなしの暗視能力を付与する宝具の指輪――『梟の眼オウルズ・アイ』を発動する。


 視界が明るくなるが、出口のようなものは見当たらなかった。ティノやリィズは気を取られていなかったら脱出出来たとか言っていたが、どうやら僕には不可能らしい。


 怪我はなかった。随分高い所から落ちたような気もするが、多分これもみみっくんの機能の一つなのだろう。割れ物を収納しても安心というわけだ。さすがみみっくん、優秀である。それと比べて僕という奴は……。



 ラウンジの床を転がった時に消費してしまって、結界指はもうない。追い詰められている。

 次にあの呪いの精霊人にあったら…………土下座して許してもらうしかない。



 一日で余りにも色々起きすぎて、もうふらふらだった。大きく深呼吸をして改めて周りを確認する。そして、息を呑んだ。



 闇の中に広がっていたのは――古びた町並みだった。



 乱雑に建てられた家屋に、整備された道路。そして、何本も建てられた街路灯のような柱。

 みみっくんめ、一体何を飲み込んだらお腹の中にこんな街が出来上がるのか……悪食にも程があるな。


 あの教会で行方不明になっていた人たちはこの街に住んでいたのだろうか? だが、それにしては街が…………大きすぎる。助け出した人達は街を作ったのは自分達じゃないと言っていたし、他にも住んでいる人がいたのかもしれない。


 ところで、これどうやって外に出るのだろうか? 誰かが取り出そうと思ったら目の前に出口ができるのかな? 助けた時に確認しておけばよかった……。



 と、そこまで考えたその時――不意に空に亀裂ができ、泥のようなものが勢いよく流れ込んできた。

 泥は一箇所に固まると、精霊人の姿を作る。


「逃さん……コロス……クライ・アンドリヒ。恨み晴らさでおくべきか……」


「!?」


 生命の気配のない静かな古都に響き渡るおどろおどろしい声。『快適な休暇』を着てくるべきだったと、後悔してももう遅い。


 まさかみみっくんの中まで追ってくるなんて……一体僕が彼女に何をしたというのだろうか? 恨みなんてないだろ! もう呪いの指輪――『天命の呪樹輪ハーミット・リング』も魔力切れだっていうのに……。


 精霊人は空中で周囲を見回すと、忌々しげに言う。


「クライ・アンドリヒ………………どこに、行った……隠れても、無駄だ……」


 ……なるほど、すぐに見つかる心配はないようだな。みみっくんに先に入ったことで一度完全に視界から消えたのが良かったのかもしれない。


 とりあえず呪いを閉じ込める事には成功したのだ。僕が入ってしまったのは予想外だったが……まぁ、作戦は半分成功と言ったところか。ティノの安否が心配だが……。


 街はそれなりに広いらしいし、家屋の一箇所にでも隠れればもしかしたら見つからずに済むかもしれない。みみっくんの中がどれ程の広さがあるのかは知らないが、ずっと潜んでいれば諦めてどこかに行ってくれる可能性もあるだろう。


 リィズは近くにいたのだ、いつになるのかわからないが、僕を出してくれる可能性はある。お腹も減らないらしいし、待ち一択だ。

 呪いにばれないようにこそこそと適当な二階建ての建物にお邪魔する。音を立てないように細心の注意を払って扉を閉めたその時――不意に精霊人が爆発音と共に、弾け飛んだ。


 その小柄な身体から大量の黒い水が溢れ、どろどろの雨が降る。


「!?」


 それはまるで嵐で荒れ狂う河川のようだった。大きな道路が瞬く間に黒い水に溢れ、雨のように泥のような固まりが街に降り注ぐ。


 空からあの精霊人の声が聞こえた。


「逃さん、絶対に、ここまで虚仮にして――逃げられると、思うな、ニンゲンッ……」


 どうやら、街全体を黒い水で呑み込むつもりらしい。質量的に完全におかしいのだが、今更つっこむ気にもなれない。


 慌てて鍵をかけるが、どうやらこの建物は浸水対策されていなかったらしく、黒い水が扉の隙間から侵入してくる。

 家々が破壊されている様子などはないので水自体に物理的な攻撃力があるのかは怪しいが、触れたらろくでもない事になるのが目に見えていた。


 慌てて二階に避難し、窓から外を窺う。外は酷い有様だった。

 道路を流れる黒い川に、降り注ぐ泥。とりあえず外にいる生き物から一網打尽にしていく作戦らしい。もしも屋内にいなかったら、足元の水はなんとか回避できても降り注ぐ雨は回避できなかっただろう。



 と、その時、僕は道路を流れる濁流の中に、ティノの姿を発見した。

 ばたばた藻掻きながら水に流されていたが、偶然柱に引っかかり、必死の表情で登り始める。


 余りよろしくない状況のようだが、どうやら泥は触れた瞬間に即死というわけではないらしい。ティノ……無事でよかったな…………外から引き上げられる可能性がちょっと減ってしまったけど。



「殺す殺す殺す殺す殺す――」



 まるで壊れたおもちゃのように街に響き渡る精霊人の怨嗟の声。増量しているのか、少しずつ水かさが増してきていた。

 先程はちょろちょろとしか浸水していなかったのに、今は階段の一段目まで水が昇ってきている。どうせならもう少し高い建物に避難するべきであった。


 降り注ぐ雨も止まる様子はない。外に出る事もできない。


 肉体的にも精神的にも限界だった。今すぐにでも倒れて眠ってしまいたい。


 もう結界指もないし、ここまできてしまっては後は祈る他ないだろう。リィズかアンセムかルシア辺りが引き上げてくれる奇跡を願うしか――だが、期待薄だろうな。


 僕もそこまで楽観的ではない、これでも現実は見えているつもりだ。


 思い返すとハンターになってから本当に色々な事があった。ハンターになりたての頃は地獄のようなイレギュラーの連続で生きた心地がしなかったし、クランマスターになってからもなんだかんだ散々酷い目に遭ったが、今となっては全てはいい思い出だ。


 後悔は……少ししかしていない。よく考えると、アンセム達でもどうにもならない呪いを封じ込める事ができるのだ、これまでずっと他人に迷惑をかけてばかりだったが、最後の最後でレベル8に相応しい大金星だろう。


 唯一の後悔は……ティノだけか。まあ、あの精霊人は僕だけを狙っているようだし、ティノも大概逞しく育った事もわかった。きっとどうにか生き延びてくれるはずだ。もうますたぁにはどうにもできないよ……。


 せめて窓からこっそり、柱に登ったティノに向かって手を振る。泥の雨を浴びどろどろになっているティノは僕を見つけると、今にも泣きそうな表情になった。

 そんな顔しないでおくれよ……きっとあの精霊人は僕を殺したらどこかに行ってしまうはずだ。少なくともティノ一人を執拗に狙ったりはしないだろう。追いかけている最中もこっちばかり狙ってたし。


 大きく深呼吸を繰り返し、気分を落ち着ける。

 まだ水がここにくるまで少しだけ時間があるだろう。足音を潜め、何かないか探索を開始する。


 といっても、二階建てと言っても、家自体はそこまで広くない。シトリーハウスの方が大きいくらいだ。

 まさか僕のハンターとしての最後のハントがこんな小さな家だなんて悲しくなるな…………いや、ある意味お似合いかな?


 二つある扉を順番に開けていく。一つ目の部屋は外れのようで、家具の一つもなく寒々しい部屋が広がっているのみだった。

 どうやら期待薄だな。少なくとも、この家には生活臭が一切ない。ため息をつき、廊下の突き当たりにあった扉を開く。


 そこは寝室のようだった。広々とした部屋に、キングサイズのベッドが一つ。ふかふかの布団付き。期待していたわけではないが、現状を打開できそうなものは何もない。


 ため息をつく。まさか最後の部屋がこんな何もない部屋だなんて――いや。




 ある意味これは…………大きな収穫では? 武器が見つかったとしてもどうせあれには勝てないのだ。






「…………神様が寝ろと言っているようにしか思えない」




 

 ハンターはベッドの上では死ねないとよく言われているが、まさか最後にベッドを用意して頂けるとは。まぁ、僕は気分的にはとっくにハンター引退してるけど、どうせ足掻いてもどうにもならないんだし一眠りしよう。何より今の僕は凄く疲れている。

 もしかしたら最近起こった出来事も全部悪い夢で起きたら全部元通りかも(現実逃避)。



 強いていうなら、ベッドに入る前にご飯を食べてシャワーを浴びたかったところだが――。




「…………まぁ、贅沢は言うまい」



 もしかしたら一階にはバスルームもあったかもしれないが、既に下は浸水している。

 大きく欠伸をして、こんもり盛り上がった分厚い掛け布団を力いっぱいめくる。靴を脱ぎベッドに膝を乗せたところで、僕は気づいた。





 ………………先客がいるぞ?



 目を擦り、恐る恐る手を伸ばす。ベッドのど真ん中に身を縮めるようにして転がる塊が一つ。

 白いシーツに広がった豊富な雪のように白い髪の隙間からつんと尖った耳が見えている。


 露出した褐色の肌は日焼けのリィズとは違い生来のもので、その纏った雰囲気もあり、眺めていると、のんびり気性の穏やかな大型動物を見ているような気分になってくる。露出した肌はそっと触れるとしっかり生命の暖かさを感じる事ができた。


 そういえば、最初にスカウトした時も遭難していたっけ――。



 一瞬、懐かしさに目を細めかけ――僕は正気に戻った。




「エ、エリザッ!? 朝だよッ! ほら、起きてッ!」



 ど、どうしてこんな所に――。



 ベッドの中ですやすやしていたのは、《嘆きの亡霊》の最後のメンバー、《放浪ロスト》のエリザ・ベックその人だった。


《嘆きの亡霊》一マイペースで、ルークやリィズとは違った意味で自由人。放浪癖があり、方向音痴で、何を考えているのかわからない不思議な砂漠精霊人デザート・ノウブル。なかなかタイミングが合わず僕でも滅多に遭う事のないレアメンバーだが、エリザのようなハンターがそんなに何人もいるわけがないので、見間違えるわけもない。


 混乱しながらも枕を掴み、ぼふぼふとその頭を叩く。思えば全ての発端はエリザが持ち込んだあの魔剣にあったのだ。



「ほら、エリザッ! 起きろ、出番だよッ! 僕のベッドを占領するんじゃない!」


 僕に起こされるのはエリザだけッ!


 攻撃を受け、エリザが長身を折りたたみ身を更に縮める。こんな所にいる理由は知らないが、こちとら必死だ。

 エリザは僕と同じくらいダメ人間だが(人間じゃないけど)、ソロで二つ名を得るに至ったくらいの実力者なのだ。



 てか、よくこんな所で眠る気になったな! まったく! エリザはまったく!



 ばふばふ何度も頭を叩いていると、エリザがようやく半目を開け、緩慢な動作で身を起こした。朦朧とした目つきで僕を見る。


「………………くぅ?」


「ああ、そうだよ、くぅだよッ!」


 相変わらず『ラ』と『イ』が抜けているが、細かい事は言わない。彼女はもっと寛容で広い世界で生きているのだ。僕もその世界で生きたい!


 エリザはしばらくぼんやりとした表情で僕を見ていたが、やがて重力に引かれたようにぼふんとベッドに倒れ込んだ。


「ぐぅ」


「…………」


 ……ほら見ろ、シトリー。これが本当にぐぅだよッ! これで狸寝入りじゃないんだ、嘘みたいだろ?


 これ以上叩いても無駄だろう。何より、今は時間がない。


 仕方なく、投げ出された長い腕を掴み、ずるずるとベッドから引きずる。

 いくらエリザでもあの呪いを前にすればスイッチが入るはずだ。なんとか敵の前に運ばなくては……。


 睡眠をたっぷり取っているせいか、エリザはリィズと同じ盗賊だが、リィズと違い長身である。体重は見た目程重くはないが、非力な僕では運ぶのも一苦労だ。


 腕を掴み、なんとか背負い上げてベッドから下ろす。寝ている最中にこんなに乱暴に移動させられているのに、エリザは一切抵抗する様子を見せなかった。完全に身体を預けきっている。

 身長と同様、精霊人とは思えない程発育のいい胸元が押し付けられていて非常に慎みがないのだが全く起きない。リィズですらもうちょっと恥じらうわ!


 明らかに何かに呪われているだろ、これ! 今思い返すと、シトリーも駄目になる呪いをかけられていた気もする。うちのパーティには呪われているメンバーが多すぎる。いつもならば何も思わないし何も言わないが、今だけは言わせてもらう! ピンチなんだよ、今!



「くぅくぅ」



 寝息で僕の名を呼ぶんじゃない!


 エリザを背負い、一歩、また一歩力を入れて前に進む。

 僕は歯を食いしばると、外で今もどろどろ流れているであろう呪いの精霊人に宣戦布告した(ヤケクソ)。




「見ていろ、うちのエリザを……! 時々ルークも呆れているうちのエリザを見て、まだ平静でいられるか!?」



 閃いた! アニマルセラピーみたいに怒り収まらないかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る