194 最高の仲間
窓の外。丸一日経っても抜ける事のない嵐に、テルム・アポクリスは小さくため息をついた。
「……よもや、ここまで力が違うとは……」
嵐は明らかに異常だった。風は弱く、雨量もそこまで多くないが、闇だけが明けない。
魔法を継続する事はかなり難しい。テルムは水魔法のスペシャリストだ。
《止水》の二つ名はその魔術により巨大な滝を完全にせき止めた事から名付けられた。だが、そんなテルムをもってしても、外に展開された嵐の正体はわからない。
才能の違いを見せつけられるのはこれで三度目だ。しかも、今回は遥か年下の青年と来ている。
テルムは懐かしむように両腕の宝具の腕輪、かつて幸運にもレベル6宝物殿、【水神の隠れ家】で手に入れた宝具、『水神の加護』を撫でた。
その宝具は装備者に強い水属性の加護を与える。然るべき所に売却すれば確実に三代は遊んで暮らせる代物だ。
今のテルム・アポクリスの力は滝をせき止めた二十年前よりも遥かに強い。だが、それでも展開されたこの術理は見抜けない。
いや、それどころかあの蛙に変える魔法についても全く理解出来なかった。専門外と言ってしまえばその通りなのだが、何より不思議なのはそれを成した術者に魔術を発動する予兆が一切なかったということだ。
テルムも魔術の発動速度については自負があったが、恐らくその速度、隠蔽能力はテルムよりも圧倒的に高い。
「ローゼと《
現在、帝都において最強の水属性魔法の使い手と称されるテルム・アポクリスには、かつて二人のライバルがいた。
いや、正確に言えば、ライバルだと『思われていた』、と言い換えられるだろう。
非才の魔導師から見れば似たようなものに見えていたかもしれない。
だが、二人は紛れもない珠玉の才を持っていて、テルム本人から見れば二人は一歩抜きん出ていた。テルムにはなまじ才能があったため、格差もまた明らかだった。
一人はテルムと同様にハンターを志し、力を高め最強の火属性魔導師、《深淵火滅》となり、もう一人は学術機関に残り研究を進め、魔導の深淵を覗いた結果、追放された。
悲劇だとは思わない。力を求める者にとって、法の壁はあまりにも狭すぎる。
だが、当時から一番苛烈で怖れられていたローゼマリー・ピュロポスが未だ法を犯すことなく人間社会の中に君臨しているのは皮肉と言う他ないだろう。
テルムがここまでの力を得ることができたのも、『九尾の影狐』の一員となりあらゆる手段を使ったが故だ。そして《千変万化》があれほどの力を誇っているのも同様に、壁を越えたからこそだろう。
しかし、まさか嫉妬の感情も浮かばないとは……年をとったか。そんな感傷を抱き、思わずテルムは苦笑いを浮かべかけ、気を引き締め直した。
ケチャチャッカやキルナイトもいる、襲撃が失敗するなど万が一にもありえないが、油断は禁物だ。
第零騎士団の練度はそれなりだが、圧倒的な速度で魔術を展開できるテルムからすればさしたる相手ではない。
静かに忍び寄り対象だけを確実に殺せる。そして、テルムの手管は一見してわかるものではない。嵐による事故に見せかけるのは難しくない。ここまで護衛が誰一人として離脱していないのは予想外だったが、誤差のようなものだ。
だがしかし、他に強力な伏兵がいる可能性もある。あえて最高幹部が直にやってきて護衛にテルム達を取り入れたのは、テルムへの期待の表れだろう。そして同時にそれは、この任務の重要度を示している。
ここまでお膳立てされたのだ。確実に仕留める。
十三本目はテルムにタイミングを任せると、そう言った。
今こそが絶好のチャンス、襲撃のタイミングはこの好機をおいて他にない。
「ケチャ、行くぞ。『準備』はできているな?」
「ひひひ……」
ケチャチャッカの部屋に行くと、ケチャチャッカは懐から黒い布に包まれた宝玉を示して見せた。
その表情はいつもどおり何を考えているかわからないが、目だけが静かに輝いている。《千変万化》にからかわれ随分疲れているようだが、この分だと問題ないだろう。
宝玉、『反竜の証』はテルムの腕輪よりも稀少な宝具だ。力に替えは利かず、そしてこういう時にこそ役に立つ。
この飛行船は竜の襲撃を受けても簡単に落ちるようなものではないが、実際に船が落ち、竜の襲撃の事実があるのならば周囲は勝手に納得するだろう。
と、その時、テルムはケチャチャッカが追加で取り上げた奇妙な物に気づいた。
「……む、それは何だ?」
「…………うけ……うけけけ」
レバーと幾つか小さなボタンのついた箱だ。何かのコントローラーのように見える。
ケチャチャッカは随分丁重な手付きで懐にしまうと、いつものようにわけのわからない笑い声をあげた。思わずため息をつく。
忠実だし、結果も出している。優秀だから文句は言えないのだが――テルムはコミュニケーションを諦め、顎で外を示した。
「まずは機関部だ。速やかに始める。これは私達の仕事だ。《千変万化》には手間をかけさせない」
雨が降っている。豊富に水が使える時の《止水》は無敵だ。
世界に、《深淵火滅》に、そして十三本目に、この力を示してやろう。
§
飛行船の一角。
呼び出された一際広く取られたパーティスペースのような部屋には、皇帝陛下とそのご息女、そして護衛の騎士たちが何人も揃っていた。本来は光を大きく取り込むために取られているのであろう大きな窓からは渦巻く黒い空が見える。自室の小さな窓からだとなんとも思わなかったが、こうして見るとまるで世界の終わりのようだ。
「地上とは共音石で連絡を取っているが、地上では雨は降っていないようだ」
「なるほど、なるほど……」
何故か視線がこちらに集中していた。皇帝陛下もこちらを見ているし、皇女殿下も不安げな目を向けてきている。
フランツさんの言葉を聞き、もっともらしく頷く。だが、僕の頭は空っぽだった。
嵐から抜けられないなんて言われても、僕にはどうしようもない。僕が悩んでわかるようなことなら、フランツさん達も気付いているだろう。
だから、僕に出来るのは不安を和らげることだけだ。
「それは……とても運が悪いな」
「!? そんなわけあるかッ! 明らかに何かが起こっている。貴様はこの光景を見て何も思わんのか!?」
「お、落ち着いてよ、ただの嵐だよ。よくある事だよ」
「あるかああああああッ!」
顔を真っ赤にして、唾を散らしてフランツさんが叫ぶ。
そんな事言われても……困ったな。わからない物はわからないし、よくある事はよくあるのだ。戻ったら念の為絨毯の準備しないと……。
慌てふためいても何にもならないのでハードボイルドに決めることにする。
せめて呼ぶなら僕じゃなくて水のスペシャリストのテルムを呼ぶべきだ。
テルムだったらもしかしたら魔法で嵐を消せるかもしれないのに、どうしてフランツさんもガークさんも何かあったら僕を呼んでしまうのか。
人選間違いすぎであった。僕をリーダーにしてしまったルーク達と同じくらい見る目が無い。
「変わった嵐くらいでぴーぴー言ってたらハンターなんてできないよ。大丈夫、この船は落ちないんでしょ?」
「ッ……」
フランツさんが歯を食いしばり、一瞬沈黙する。ふうふうと荒い呼吸が聞こえる。
貴族だと言っていたが、体格もいいし顔も怖い。こうして見ると僕よりもよほどハンターっぽい。
息を整えると、フランツさんは押し殺すような声で言った。
「しゃ……謝罪、しよう、クライ・アンドリヒッ! 貴様の忠告を、受け止めなかったことをッ! だが、今は陛下の御身こそが、第一なのだッ! 何が、何が起こっている? どうすればいい?」
その言葉に、近衛の騎士たちに動揺が奔る。もちろん、僕も目を丸くした。
フランツさんの表情はとても謝罪している者のものではなかったが、それでも貴族が非を認めるというのはなかなかありえない事だ。
だが、残念ながら僕は原因も解決手段も知らないのである。頭を下げられても土下座されても知らない情報は出せない。
ついでに、フランツさんに非があったかどうかもかなり怪しい。
困りに困り果て、ぽりぽりと頬を掻く。
「申し訳ない、わからない」
「き、貴様ッ……ここまでさせて――」
襟元を掴まれ吊り上げられ、前後に揺すられる。身体が大きいだけあって力も強いらしい。
がくがく視界が揺れて、思わず悲鳴を上げる。快適じゃなかったら目が回っていた所だ。
「落ち着いてッ! 落ち着いてよッ! 嵐の、原因、なんて、嵐に、聞いて、みないと、わからないって――」
呼ぶならテルムを呼んでくれ。
為すすべもなく揺らされていると、その時、横からすっと腕が伸びてきた。振動が止まる。
割って入ってきたのは先程まで仏頂面で沈黙していたクリュスだった。いつもより不機嫌そうな声で言う。
「おい、その辺にしておけ、です」
「何ッ!?」
「今はそんな事をしている場合じゃないだろ、です。フランツはストレスを溜めすぎだ、こういう時だからこそ、護衛のリーダーは落ち着いて行動するべきだ、です」
「ッ……」
乱暴に解放され、ふらつきながらもなんとか尻もちをつかずに耐えきる。クリュスは解放された僕とフランツさんの間にさりげなく立ち位置を変えて言った。
精霊人は強力な魔導師であると同時に、知恵者としても知られている。その存在の希少性故に勘違いされているだけらしいが、クリュスの言葉には不思議と人を落ち着かせる力があった。
「大体、嵐はヨワニンゲンのせいじゃないのに、ヨワニンゲンが責められるのは流石に可哀想だろ、です」
「ッ……ああ、その、通りだ。まったくもって、その通りだッ!」
どうやら窮地は脱したようだ。他の騎士たちも団長の乱心が収まったことにほっとしているように見える。
大体、フランツさんはあまりにもナーバス過ぎる。皇帝陛下の護衛という重責を背負っているのには同情するが、ちょっと長い嵐まで気にしていてはうまくいくものもいかない。
うんうん頷く僕に、フランツさんはびしっと人差し指を向けて叫んだ。
「だが、その男は間違いなく何か知っているッ! 状況を正確に理解しつつこちらをからかっているッ! 貴様も、聞いたはずだッ! 嵐を抜けるまでは注意したほうがいいだとか、嵐で済めばいいだとかッ! この強力な魔術が無数に掛けられた最新鋭の『
「………………ヨワニンゲン、お前本当に何も知らないんだよな、です?」
一瞬で寝返ったクリュスが訝しげな視線を向けてくる。
だが、知らないものは知らない。別に確固たる理由があって言ったことじゃない。
クリュスも知らないようだし、一緒についてきた絨毯やキルナイトなど期待しようがない。
だが、経験豊富なテルムならばきっとこの状況にもある程度納得のつく説明を付けてくれるはずだ。
皇帝陛下がじっと何か問いかけるような視線を向けてきている。
なんとか時間稼ぎの言い訳をしようと口を開きかけたその時、扉が開いた。
視線が集まる。入ってきたのはテルムとケチャチャッカだった。
なんというナイスタイミング! やっぱり君たちは最高の仲間だ。
「!! ああ、テルム、待っていたよ。いいタイミングだ」
歓声をあげる僕に、テルムは目を僅かに見開き、笑みを浮かべた。
「ああ、遅くなって済まなかった。この船は広すぎる」
間はなかった。テルムの言葉の意味を理解するその前に、どさりと重いものが崩れる音が連続であがる。
ほぼ反射的にそちらを向く。皇帝陛下の周りを固めていた騎士や使用人たちがうめき声一つ上げられず、床に倒れていた。
唯一フランツさんだけが意識を保っていたが、膝を床につき頭を揺らしている。
何故か無事なクリュスが目を見開き、慌てて左右を見回す。フランツさんの表情は呆けていた。何が起こっているのかわかっていないようだ……僕もわからない。
部屋にいた者たちはほぼ全員が倒れていた。使用人も、騎士団も。
無事なのは皇帝陛下と皇女殿下、クリュスとキルナイト、そして今入ってきた二人だけだ。
??? 何だ? 何が起こったんだ? どうして倒れた? え?
音はなかった。前兆もなかった。何よりも、僕は無事だ。結界指が発動した気配もない。
混乱の余り、テルムを迎え入れた時の笑みのまま思考が停止している僕に、テルムが小さくため息をついて言った。
「やれやれ、最後の最後がこんなに楽とは……肩透かしだ。ここまで抵抗がないとは、警備の騎士もほとんどいなかった。君の手管には驚いてばかりだ、《千変万化》」
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