66 借金

 《始まりの足跡》のクランハウスの三階。その一画に、『錬金術師アルケミスト』用の研究室があった。


 三階の七割を占める広大な研究室だ。数室に渡りつながっており、最新鋭の設備と希少な素材が揃った、恐らくクランハウスで最も金のかかった部屋である。

 もともと、《足跡》に錬金術師はシトリー・スマート一人しかいなかった。今はもう一人参加したので一人ではないが、数少なく、ハンターとしてはあまり見ない錬金術師のために一フロアのほとんどを使っているのは、建物の建築時にシトリーがポケットマネーで多額の出資をしたためである。


 商人出身であり、お金の事に厳しいエヴァを黙らせるだけの額だ。

 唖然とするエヴァとにこにこしているシトリーの表情はそのギャップのせいか、今でも強く僕の記憶に焼き付いている。


 久々に入ったシトリーの研究室は相変わらず整えられていた。鍵を開け中に入ると、警備用の大きな鉄製のゴーレムが二体、威圧感のある佇まいで出迎えてくれる。


 『錬金術師』と言うとどこか怪しげな雰囲気が伴うが、シトリーの研究室は彼女の几帳面さが出ているかのように清潔だ。

 白の壁紙につるつるに磨かれた床。

 複雑怪奇な器具が並んだガラス棚に、何語かすらわからない言語で書かれた本が立ち並ぶ本棚など、錬金術師らしいアイテムが揃っているが、そのどれもが整頓されており怪しげな印象は受けない。


 誤解されることが多いんですが、『錬金術師アルケミスト』というのは魔導師マギというよりは研究者なんです、とは、シトリーちゃんの弁である。


 錬金術師がよく扱う魔物の素材や薬草などには独特の臭いがあるものも多いはずだが、空気は清浄で悪臭もない。本当に卒のない子なのであった。


 錬金術の素材には宝石や貴金属を始めとした高価な品物が多い。シトリーの研究室にはいつも鍵がかけられ、合鍵を持っているのは僕を始めとした《嘆きの亡霊》のメンバーと、もう一人の錬金術師の女の子――タリアだけだ。


 扉が開く音に、中央にどんと配置されたテーブルの前に立っていた二つの人影の内の一つ――地味な灰色のローブを着たシトリーがこちらを向く。

 僕を確認すると手を合わせ、笑みを浮かべて近寄ってきた。


「いらっしゃいませ、クライさん」


「忙しかった?」


「いえ。売却用のポーションを作っていたところだったので……仕込みは終わったので大丈夫です」


 テーブルの上には砂時計に似た大きな奇妙な装置が置かれていた。砂時計と異なるのは上部に入っているのが砂ではなくペースト状の何かである事と、中心部に何か変な装置が取り付けられていることと、下部に何かが溜まっている事だ。

 恐らく成分抽出のための装置なのだろうが、何がなんだかわからない。


 シトリーは《嘆きの亡霊》が倒した魔物の素材を相場より高めで引き取り、更に高額で売れるポーションなどなどに変えて各商会に卸し巨万の富を蓄えていた。

 基本的に冒険で得た成果はメンバーで等分しているが、シトリーが一番お金持ちなのはそのためだ。商会との取引の一部を斡旋したエヴァ曰く、その額は個人の稼ぐ額としては類稀なものらしい。


「タリアちゃん、ごめんなさい。残りのポーション、瓶に詰めて木箱に入れておいて下さい」


「はい」


 巨大なガラス容器から薄緑色の粉のような物を注いでいたタリアが額の汗を拭きながら返事をした。


 珍しく随分と忙しそうだ。

 ポーションの作成はシトリーの副業の内、大きな範囲を占めているが、あまり作りすぎると値崩れするらしく、手伝いまで使って作っている姿を見るのは初めてだ。


 タリアが器具の下部からガラス容器を外し、別室に持っていく。

 僕の表情から疑問を察したのか、シトリーが説明してくれた。


「先日、クライさんの魔力をチャージしてくれた皆さんから相談されて――時間がある時に自分で試練を受けたいのでポーションを融通して欲しい、と」


「マジかよ……」


 あんなの訓練でもなんでもないだろ……。

 泡吹いて完全に意識なくなっていたのに、トラウマになるどころか更に自ら飲もうとするなんて、ドMかな?


「もちろん材料費くらいは頂きますが……素晴らしいです。クライさんの熱意が伝わった形ですね。私もわざわざ鼓舞したかいがありました」


「うんうん、そうだね」


 鼓舞というよりは挑発に見えたが、目をキラキラさせているシトリーに指摘する気にはならない。

 適当に頷く僕に、シトリーが更に熱のこもった口調で続ける。


「なので、ちょっとだけポーションを改良しようかな、と。マナ・マテリアルを大量に吸ったハンターが自ら被験者になってくれるなんて滅多にない機会です。今まで人体実験は退廃地区の孤児がメインでしたから。後腐れないのはいいんですが、どうも健康状態があまり良くなくて――全員回収されてしまいましたし」


「うんうん、そうだね?」


「協力いただく皆さんの経過を観察して、魔力の急成長の手段が確立されれば画期的です。ルシアちゃんは精神が強すぎるので、参考になりませんでしたから。あまり才能のない魔導師で実証できれば、魔導師の修行の形態が変わるでしょう。大きく貸しを作ることができます! 今、皆さんに格安でポーションを提供しても余りあるメリットになります! クライさんはどう思いますか?」


「ほどほどにね」


 ほどほどにね?


「今のルシアちゃんに使っているポーションをそのまま譲るというのも考えていたんですが、難しくて……コストがかかり過ぎですし、精神状態への影響が――」


「お金返しに来たんだよ、僕は」


「え?」


 シトリーがきょとんとした表情をする。楽しそうなシトリーを見るのも嫌いではないが、僕に説明するより同じ錬金術師のタリアに説明したほうがまだ建設的だろう。


 返すのは、この間酒場で建て替えてもらった金だ。

 飲み食いのほとんどは僕以外のメンバーだったが、そういった費用は僕が出す事にしている。宝物殿についていっていないのに分前は貰っているのだから、そのくらいはするべきだ。


 財布忘れて払ってもらった事を言ったら、エヴァに指摘されてしまった。

 シトリーが目を瞬かせ、僕をじっと見上げる。


「いえ、いいですよ。今更ですし。貸しにしておきます」


「借りすぎていくら借りたか覚えてないんだけど……」


 一応借りる度にメモは取ってあるのだが、計算していないので合計額がわからない。あまりにも借りすぎたせいである。

 宝具って凄く高いし、僕はクラン運営しかしていないので他に収入もないのだ。シトリーは把握しているだろうが、催促されたことはない。


 なんか酒場で十桁とか言っていたけど、本当なのだろうか……。十億ギールってことだろ?

 シトリーが頬に手を当て、照れたような笑みで言う。


「私も沢山借りてますから……いつか返してくれたらいいです」


「少しずつ返していかないと返せないよ」


「百万や二百万返してもらったところで焼け石に水です。その時は身体で返してもらうので」


「甘やかされてるなぁ」


 本来ならパーティを追い出されてもおかしくないはずなのにこの待遇である。僕は非常に肩身が狭い。

 この借金の額がバレたらエヴァにどんな小言を言われるか……。シトリーが僕の内心も知らず、頬を染めて猫なで声で言った。


「いっぱい甘やかしてあげます。そのかわりに、時がきたらいっぱい甘えさせて下さいね?」


 んん? ヒモかな? 引退後も安泰かな?

 自分の甲斐性のなさは自覚しているが、常識くらいは持っているつもりだ。眉を顰めて答える。


「返すから」


「……どうやって?」


「…………ルシアから借りて?」


「それ、借金している事には変わりませんけど……」


「実は引退したら甘味処でもやろうと思っているんだ」


「凄い。大盛況ですね! 十桁後半を返すのに何年掛けるつもりですか?」


 シトリーがにこにこしながら言う。きっと皮肉を言っているわけではないのだろうが、皮肉にしか聞こえない。

 後半だったのか……怒られるの覚悟で今度エヴァに相談しよう。僕はそう深く心に刻み込んだ。


 ちなみに集めた宝具を売るつもりはない。宝具との出会いは一期一会である。数年でコレクションした宝具の中には滅多に手に入らないものだって存在する。

 引退時には全てパーティの共有資産として寄付するつもりである。まぁ、ルーク達は何百点もの宝具を使ったりはしないだろうが、無責任にパーティを脱退するせめてもの償いという奴だ。


 とりあえず、シトリーに前回の飲み会代を返却する。その額――三十六万ギール。一般家庭なら慎ましやかに過ごせば二月生活できるだけの大金だが、ハンターにとってははした金だ。僕にとっては手痛い出費である。

 シトリーは素直にそれを受け取り、数えることなくだぼだぼなローブのポケットに仕舞い、ふと気づいたように言った。


「そうでした。もしも、どうしても返せなかったら……三つばかり、借金をゼロにする方法があります」


「……参考までに聞こうか。チャラにするのはなしだから」


 僕はこれでも金銭関係には気を使っているのだ。シトリーちゃんは頬を染めながら言った。


「一つ目は……私をお嫁さんにすることです。配偶者になれば資産が一本化するので借金も自然と消えます。甘い物も好きになるよう頑張ります。お姉ちゃんは私がどうにかして黙らせます。指一本触れさせません」


 面白い冗談である。いや、別にどうしても嫌なわけではないが、借金の返済手段としてはなしだ。


「……二つ目は?」


「二つ目は……クライさんが、私のお婿さんになることです。借金ごと貰ってあげます。私はクライさんの事をよく知っています。料理も洗濯も、家事は全部やりますし、甘味処も道楽として許してあげます。お姉ちゃんは私が頑張って黙らせます」


 シトリーのジョークセンスもエヴァに負けず劣らずのようだ。僕にはちょっと判断がつかないんだけど、それって一つ目と何が違うのかな?

 僕は若干げんなりしつつも表情に出さず、もっともらしく頷いて尋ねた。


「それは……魅力的な提案だね。三つ目は?」


 シトリーが間髪入れずに答えた。


「密告して私を監獄にぶちこむことです。でも、その時は一人じゃ寂しいのでお姉ちゃんもセットでぶちこんでくれると嬉しいです」


 笑顔で言うなよ。もうこれ以上借金しないように気をつけないと……。

 そもそも監獄にぶちこむって、そんな悪いことしているわけじゃないだろうに。僕は一度ため息をつき、誤魔化す事にした。


「そう言えば、昔作ってくれた雷竜サンダードラゴンの照り焼き、凄く美味しかったなぁ」


「あぁ……あれは、調味料が特製なので……多分、鶏で作った方がクライさんの好みに合っていると思います。ドラゴンはやっぱり食肉用に育成された家畜と比べるとどうしても味が落ちますね。レシピは覚えています。今夜にでも焼きましょうか?」


 あからさまな話の転換に、シトリーは乗っかってくれた。

 さて、どうやって金策したものか……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る