64 宴③
マナ・マテリアルはハンターのあらゆる能力を強化する。その中には、純粋な身体能力以外にも、視覚聴覚触覚などの五感、毒物に対する耐性なども含まれる。
ハンター向けの酒場で出てくる酒のアルコール度数がめちゃくちゃなのは、ハンターが普通の酒では酔えないからだ。
高レベルハンターとは身体の内側からして全くの別物なのだ。
《嘆きの亡霊》のメンバーもその例にもれず、ここ数年はリィズやシトリーが酔っ払うところなど、ほとんど見たことがなかった。
だが、これはどうしてしまったというのか。
リィズが顔を真っ赤に紅潮させながら、新たに来た白銀エール(黄金エールの倍の度数を誇るエール。火がつくことで有名)を呷っていた。
シトリーも表面上はいつも通りにこにこしているが、視線が明らかにぶれている。
平静を保っているのはアルコールを一滴も摂取してない僕と、隣でお姉さま二人に絡まれないように身を縮め、粛々と杯を空けているティノだけだった。
シトリーちゃんが珍しく間延びした呂律の回っていない声をあげ、絡んでくる。完全に酔っ払いだ。
「クライさんはぁ、私の事を、お金が勝手に湧いてくるお財布だと思ってませんかぁ?」
「うんうん、そうだね……」
「しくしく……お姉ちゃん、聞いたぁ? クライさんが、私のことをぉ、都合のいい女あつかいするのぉ」
「赤銅エール、樽で。あと、メニューのここからここまで全部持ってきて。ジョッキ二つね。シト、財布」
「しくしく……」
泣き真似をしながら抱きついてくるシトリーを片手であしらいながら、リィズが大変アバウトな追加注文の声をあげる。
僕達の卓は混沌の坩堝と化していた。
側にいるだけで飲んでもいないのに酔っ払いそうな強い酒気に、次々に空く皿。
先程までは僕に嫉妬の視線を向けてきていた他のハンターたちもリィズとシトリーの食べっぷりに目を丸くしていた。
優れたハンターとは健啖家だ。店にはパーティが何組もいたが、僕達の卓の騒ぎっぷりが一番だろう。
赤銅エールとは白銀エールよりも更に強い酒である。アルコールに匂いと色がついているだけと称される酒だ。
一抱えもある蛇口つきの樽がカートに乗せられ運ばれてくる。リィズが骨付き肉の骨をばりばり噛み砕きながら、注がれた赤褐色の液体を一息に飲み干した。
中身を察した他の卓の連中がざわめく。酒豪なんてレベルではない。
リィズは、口元を袖で拭うと、うっとりしたように頬に手を当ててみせた。
酔いが回り頬が染まった横顔はいつもよりずっと色っぽい。
「ッ……あぁ……とってもいい気分……酔うの久しぶりぃ……シト、いい仕事するじゃん。おかわり」
「……お姉ちゃん耐性つくの早すぎぃ……とっておきだったのにぃ。いくら強いの作っても、すぐに耐性できちゃうし、もう作るのやめようかなぁ……」
「はぁ? それがあんたの仕事でしょ? シトがやらなきゃ誰が皆の耐性つけんのよ?」
「しくしく……クライさぁん、お姉ちゃんが私を、都合のいい女扱いするのぉ……!」
「!! シト、こらッ、クライちゃんに触るんじゃねえって言ってんだろ!? お触り厳禁だから……げーんーきーんー! ティー、そっちガードしとけよッ!」
「…………はい、お姉さま」
「十桁貸してるのぉ! 身体で返してもらうんだからぁ!」
回り込もうとするシトリーを、リィズが大きく両手を広げてガードする。若干ふらついているがまだ余裕があるらしい。
『
本当の姉妹喧嘩なら止めるのだが、小さな悲鳴をあげながらも、シトリーの表情は楽しそうだった。
温厚であることはシトリーの美徳の一つである。
「楽しそうでいいね……ところでシトリー、僕財布忘れたんだけど……」
「ますたぁ…………鬼畜です……」
「しくしく……」
アンセムあたりがいたら立て替えてくれるんだが……まぁいくら飲食したとしても費用はたかがしれている。リィズとシトリーがいればつけを使う必要はない。
きっと後で返すから……。
《嘆きの亡霊》は持ちつ持たれつでやってきた。僕が持つことはほとんどないのだが、その中でもシトリーには一番迷惑をかけているかもしれない。
心の中で土下座していると、その時ふと入り口の扉が大きな音と共に勢いよく開いた。
喧騒が僅かに静まる。視線が入り口に集まる。
入ってきたのは統一された旅装束をした一団だった。
一パーティにしてはやや多め――八人で、全員が男。全員完全武装。
八人全員が体格のいい強面なのはハンターとして一般的だが、偉そうに酒場内を見回すその仕草からは敵意すら感じられた。
ティノが眉を顰めて小さな声で言う。
「新入りですね……」
帝都ゼブルディアには各地から優秀なトレジャーハンターが集まってくる。新人ベテラン問わず、国内外問わず、ハンターの出入りはかなり激しい。
そして、ハンターにとって舐められないというのは重要な要素なので、来たばかりのハンター達はだいたいピリピリしている。帝都を拠点としているハンター達と諍いを起こす者も少なくない。
中には、まず上下関係をはっきりさせるため、他のハンターに自ら絡みに行くとんでもない奴らもいる。
僕にとって何より厄介なのが、そういった連中のほとんどが《千変万化》の名を知らないという事だ。
《千変万化》の二つ名は帝都を拠点にしているハンターならだいたい知っているくらいには有名だが、世界は広いし、仮に名前は知っていたとしても顔までは知られている事はまずないので――つまり何を言いたいかというと、見た目雑魚な僕はとても絡まれやすいのであった。
中心人物は大柄の男だった。
薄汚れた、しかし凄まじく頑丈そうな灰色のハーフプレートアーマーに、焦げ茶色の外套。短く刈り込まれた黒髪に、不機嫌そうな目つき。
ギルベルト少年が背負っていたような大剣を背負っているが、少年とは体格が違い過ぎるので威圧感も桁違いだ。
背丈は二メートル近く、横幅もそれに準じて分厚い。ガークさんなど体格のいい歴戦のハンターと比べても遜色ない。
僕の知る中で最も体格のいいハンターはぶっちぎりでアンセムなのだが、今入ってきた男も十指に入る。
少なくとも、新人ではない。他のメンバーの表情からもどこか擦れている印象を受ける。他国で名を上げたハンターというのが妥当だろう。
完全武装なのはまだ帝都での拠点が決まらないうちにやってきたからだろうか。
シトリーがリーダーらしき男を足先から頭の先まで確認し、熱いため息をつく。
「素晴らしく鍛え上げられた肉体です。佇まいも洗練されている。高レベルのハンターかなぁ……はぁ…………いいなぁ……素敵」
「なに? シト、ああいうのが好みなのぉ? 趣味わっる」
リィズが大きく足を組み、鼻で笑う。ティノも意外そうにシトリーを見る。
シトリーはそんな視線を意に介すことなく、ただ熱の篭った眼で男を見ていた。
「お姉ちゃんには、わからないもん。やっぱり男性型はベースの肉体強度が重要で……マナ・マテリアルの吸収速度と限界が高い、高レベルハンターは、ぴったりなんだもん。ねぇ、クライさん。どう思います?」
急に振られてしまった。
しかしそうか……シトリーちゃんはマッチョが好みだったのか。シトリーは物静かなタイプなので男性の好みもそっちの方かと思っていたがなるほど、僕でも知らない事があったらしい。
少しだけ何とも言えない寂しさを感じながらも答える。
「うんうん、そうだね。やっぱり筋肉って重要だよね」
「ですよねぇ……さすがクライさん、お姉ちゃんと違って話がわかる! キルキル君は継ぎ接ぎで作ったんですけど、強度が少し……下がっちゃったんですよ。もう一体くらい護衛が必要かと思っていて。いいなぁ、レベルはいくつなんだろう……」
なんかちょっと話が通じていない気がする。
恋する乙女のような目つきでハンターを見るシトリー。
うちのパーティに彼女は必要不可欠だが、もしもシトリーがパーティから抜ける事を望むのならば僕はそれを応援するつもりだ。
人には人の道がある。僕にそれを止める権利はない。
いつか《嘆きの亡霊》の面々もそれぞれが異なる道を歩む日が来るだろう。
「おい、邪魔だ」
ただ、あの男はやめておいた方がいいと思うなぁ。
新入り一行が早速他のハンターに絡んでいた。
卓の一つに近づき、飲んだくれていた男ハンターの頭を問答無用でテーブルに叩きつける。
皿の割れる音。空気が一度に冷え、喧騒が一瞬止まる。
叩きつけたのは取り巻きの男だ。にやにやと威圧感のある笑みを浮かべ、唐突な襲撃者に意識が追いついていない他のハンターを見下ろす。
「ッ……あぁ? なんだ、てめえら? 席は他にあいてんだろーが――ッ!?」
問答無用に、新入り一行が卓についていた他のメンバーを叩き出す。
人数に差があった。酔っ払っていた。だが何よりも新入り一行はそういった行為に慣れていた。卓についていた側も側に武器を置いていたが、それを取る間もなく地べたに蹴り落とされ、囲まれ袋叩きにされる。
なんでまだ表を大手を振って歩けているのか意味不明であった。これもう犯罪者でしょ。
だがこのレベルで捕まってしまうとリィズやルークもかなりやばいかもしれない。世も末だ。
取り巻きの一人が歯を剥き出しにして甲高い声で名乗りをあげる。その眼がこの場の全員に向いていた。
「聞けッ! 俺たちは――《
取り巻きの紹介に、アーノルドは何も言わなかった。腕を組んだままだ。
『霧の国』……間に海がある。随分と遠くからやってきたようだ。どうせ海を渡るなら他の国に行けばいいのに、まあ僕達も外からやってきたので文句を言える立場じゃないんだが、住み着いた街に厄介なハンターが増えるのは喜ばしいことではない。
リィズが目を丸くして馬鹿らしい示威行為を行っている取り巻きを見ている。
僕は鼻息荒く、椅子に座り直した。
まったく、ここにいるのが僕一人だったら会計してさっさと外に出ているところだ。
取り巻きが力をため、自慢げに言う。
「よく聞け、帝都のボンクラ共。アーノルドさんのレベルは――7だ」
!?
7……だと? あのいかにも三下みたいな取り巻きつれた男がアークと同じレベルなのか。本当に世も末である。
実は探索者協会のレベル認定の基準は一律ではない。高レベルになると話は別だが、支部によってレベルの上がりやすさは違ったりする。
戦闘能力だけを見る支部もあれば性格を重視する支部もある。だがいくらなんでも他のハンターを問答無用でぶちのめす男がレベル7とは、ハンターの品位の低下が甚だしい。
今度ガークさんをからかう材料にしよう。
リィズがその声に目を僅かに見開き、首を傾げた。
「へぇ……霧の国、か……行ったことないねえ、クライちゃん。そこだったらクライちゃんもレベル10になれるんじゃない?」
「いやいや……レベル9と10は各地の支部が集まって審査があるらしいから……」
そもそもレベル上げたくもないし。
「あー……あれ潰したら私もレベル7になれないかなぁ?」
「レベル7ベースのキルキル君……お近づきになりたいです。ねぇ、クライさん、行ってきていいですかぁ? 来たばかりなら知り合いもいないでしょうし、これはもしかして――チャンスでは?」
リィズが深々とため息をつき、シトリーがそわそわしている。
誰も潰されたハンターの心配をしていない。仕方がないから僕が心配しておいてあげよう。
レベル7。小国の評価であっても、その認定レベルは二の足を踏むのに値するレベルだった。ハンターにとって蛮勇は美徳だが、同時に彼我の戦力差を冷静に把握する慎重さも必要なのだ。
相手は八人。《豪雷破閃》がレベル相応の力を持っていなかったとしても、相手は完全武装している。分が悪いと言わざるをえない。
誰も反抗の声を上げないのを確認し、アーノルドが馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ふん。腰抜けばかりか……帝都も大したことはないな。おい、酒と女だ」
「ういっす」
取り巻きAが店内を見回す。
残念ながら、ハンター専用の酒場に可愛い店員さんがいる店は少ない。この店にもいない。
その細められた目が店の奥で三人の女の子を独占していた僕を捉える。
その唇が歪み、笑みを浮かべる。おいおい、まさか他のパーティの女ハンターに手を出そうっていうのか。
霧の国では許されていたのか? 修羅の国かな?
舐めてもらっては困る。いくら僕だって抵抗するぞ。抵抗くらいするぞ?
ティノも抵抗するし、リィズももっとするぞ? シトリーちゃんはちょっとどうだかわからないけど。
取り巻きAがニヤニヤしながら近づいてくる。そしてこちらに声をかけるその前に、リィズが立ち上がった。
頬を染め、満面の笑みで言う。取り巻きAが予想外の展開に目を見開く。
「なにぃ? 酌でもしてほしいのお? しょーがないなぁ」
「お、お姉さま、私がかわりに――」
「いいから、あんたは座ってなさい。私が手本見せてあ、げ、る」
リィズが色っぽく唇に指を当て、ウインクしてみせる。いたずらする時の表情だ。
彼女は露出が多い。あまり身体に凹凸は少ないが、良く見れば少しは胸はあるし、剥き出しになった肌には健康的な色気がある。顔も整っているし、本性を知らなければとても魅力的に映るだろう。
「あ、お姉ちゃん、ずるい!」
「早いもの勝ちーー」
僕を見下ろし醜悪な笑みを浮かべる取り巻きAの前で、リィズが樽から赤銅エールをジョッキに注ぐ。
取り巻きAの鼻が一瞬動き、怪訝な表情を浮かべる。匂いからその中身が超高度数の酒だということを理解したのだろう。
だが、声を上げるその前にリィズがジョッキ片手に歩き出した。
リィズはジョッキ片手に、笑みを絶やすことなく、アーノルドの卓に近づく。
取り巻き達の視線がリィズの肌を這う。お腹を、太ももを、胸元を確認し、最後にやたらごっつい見た目の『
だが、概ねその面はいやらしくニヤけていた。リィズを知っている者だろう、周りのハンターの一部に青ざめている者がいる事にも気づいていない。
アーノルドだけが唯一、面白くなさそうな表情をしていた。
もしかしたら……巨乳派なのかもしれない。
「……座れ。名は?」
「お酒が飲みたいんでしょ? 今機嫌いいから、特別に奢ってあげる。リィズちゃん、やっさしー」
そしてリィズはその問いに答える事なく――手に持ったジョッキをアーノルドの頭上で逆さにした。
その名の如く赤銅色をしたエールがその顔面に降りかかる。
「なッ――!」
「ジョッキも奢ってあげる。すごーい! 消毒もできちゃう! 一石二鳥? 大発明?」
声を上げるまもなく、リィズがジョッキで、アルコールでびしゃびしゃになったアーノルドの頭を殴りつける。
そのままの勢いで足を高く上げ、回し蹴りの要領で、現状を理解出来ていない取り巻きABCDを巻き込み蹴り飛ばした。巻き込まれた巨大な木のテーブルが大きく宙を浮く。
周りのハンター達が唖然としていた。リィズが高笑いを上げながら取っ手しか残っていないジョッキで何度も何度もアーノルドを殴りつける。
シトリーが立ち上がり、悲鳴のような声をあげ、僕の方に倒れ込んできた。
「お、お姉ちゃん、酷いっ! 私が欲しいっていったのにぃ。いつだって、私の欲しいもの全部とってぇ……クライさん、お姉ちゃんに注意してください」
「無理かな」
悲鳴と怒号が響き渡る。腕を首の後に回し抱きついてくる可哀想なシトリーの頭を撫でてやる。
ティノが悪魔でも見るような目でシトリーを見ていた。
これ、後で怒られるの僕なのかな? さっさと会計するか。
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