第一話 【アナザーワールド・アナザーガール】(5)

   *


「──へえ……若い頃の師範、強かったんですねえ」

「──しかも、結構イケメンじゃない?」

「──何を言っておる、今でも男前だろう?」


 ──テスト、と呼ばれるリハーサルのような過程を経て。

 さっそく、スタジオ内では収録が始まっていた。

 声優の皆さんが、入れ替わり立ち替わりマイクの前でお芝居をしていく。脚本の上では文字列でしかなかった物語が、鮮やかな色を帯びて展開されていく。

 ──今回アフレコをしているのは『ゆるけんどー』という作品だ。

 剣道部を舞台とした日常アニメで、主な登場人物は剣道部に所属する女の子五人と、彼女たちを指導するおじいちゃん先生、通称『師範』。

 香家佐さんが担当しているのは、メインの女子五人の中でも、自信家キャラのめんどうかなめちゃんだ。

 タイトルの通り、剣道が題材ではあるけれど空気は緩い。

 彼女たちの部活動を基点とした日常のやりとりと、時折挟まれる練習、試合のシーンで構成されているみたいだ。

 さらに今回の話は、最終回に向けた盛り上がりの前。フックになる、日常度の高い回らしい。メインのうち二人が師範の家を訪れ、彼の若い頃の映像を見るという筋立てだ。

 話に聞いていた通り、面堂要ちゃんは最後の最後で咳払いをするだけのようだ。

 車の中で、その流れを確認できたときには心底ほっとした。

 確かにこれなら、なんとかなるかも。わたしにもやりきれるかも……。

 作品が緩い空気なのにも救いを感じていた。シリアスな作品だったら、さすがに厳しかったと思う。その場の気配に圧倒されて、酸欠にでもなっちゃっていたかもしれない。

 代役をやるのがこの作品でよかった……そういう風に思っていた。

 けれど──、


「──わあ、もう決勝まで来ちゃった」

「──でも、このあと当たるのが……」

「──そう。ヤツじゃ」


 ──実際に、こうして臨んだ現場。

 そのすさまじい緊張感に──わたしは呼吸するのさえはばかられていた。

 細かく調整され、感情をつぶさに表現する声色。

 セリフによって上下して、流れに緩急を付けるトーン。

 それらの相互作用で発生する、キャラたちの存在感。

 皮膚感でわかるのだ。

 その自然なやりとりに、楽しい会話に、どれだけの技術が組み込まれているのか。

 それに、わたしたちの前に据え付けられたディスプレイ。そこには本来、アニメの映像が映し出されているはずなんだろう。

 けれど……今日はそんなものはなく。

 代わりに映っているのは丸や簡単な線で表現された人の立ち位置。それから、発言のタイミングで入る吹き出しのようなものだけだった。完成品の映像がどんなものになるのか、全く想像がつかない。

 なのに、


「──これが……たけづつ監督」

「──師範の生涯のライバル……」

「──ああ。そして来週お前らがぶつかるせいどう高校、剣道部の師範じゃ」


 ──活き活きと演じていた。

 皆さんがお芝居をするだけで、キャラの表情や動きが見えてくる気がした。

 ……異世界に来たみたいだ。

 彼らが使っているのは魔術の一種で、わたしの知らない原理で作用している。

 そう考える方が納得できてしまいそうなほどに──その技術は、人間離れして見えた。

 感銘を受けるうち、収録はあっという間に先へ進んでいく。

 時折音響監督からの指示を受けながら、ぐんぐん物語が展開していく。

 声優さんたちの柔軟さにも驚いた。

 指示が入ればパッとお芝居を変えるし、誰かがニュアンスを調整すればすぐにそれにも反応する。

 気付けば……夢中だった。

 わたしは夢中で、収録の進行を見守っていた。

 そうこうするうちに、ストーリーも終盤だ。

 芝居の雰囲気からも、区切りが近い気配がしてくる。

 つまり……わたしの出番がすぐそこだ。

「……」

 タブレットを持つ手に汗が滲む。

 テストの段階で、音響監督や他の声優さんに声の吹き込み方はざっくり教わっていた。

 自分の出番の少し前。シーンが切り替わる辺りでソファから立ち、足音を立てずに移動。向かって右、四番マイクの前に立ちディスプレイを注視。

 要ちゃんのセリフの合図があったら──咳払いをする。

 それだけ……と言えばそれだけだ。

 何度も何度もセリフを入れている他の方に比べれば、簡単にもほどがある。

 それでもこの空間にいれば。トッププロたちが惜しげもなく技術を閃かせるここにいれば、一ミリ身体を動かすのにもすさまじい緊張感を覚えてしまう。

 そして、場面の切り替わり。

「……!」

 この話の、ラストシーンが始まった。

 ──わたしの出番だ。

 ごくりと息を呑むと、ソファを立ちそろそろとマイクへ向かう。

 足音を立てないよう、ゆっくりと忍び足で。

 ちなみに、今日の靴はローファーだった。制服を着るときいつも履いている、学校指定の一足。ただ、どうにも足音がうるさくて、収録の開始前に脱がせてもらった。だから今、履いているのは靴下一枚だけ。

 四番マイクを使っていた声優さんが、自分のセリフを終え横にはけてくれた。

 わたしの番だ。

 そしてわたしはマイクの前に立ち、ディスプレイを凝視。

 酷く心臓が高鳴る中。

 全身に、緊張がしびれのように走る中。

 画面に四角く囲まれた『要』の名が表示されて──。

 ──今だ!


「──んっ! んっんっんーん!!」


 大音量だった。

 自分でも思った以上の大音量で、咳払いをしてしまった──。

 やばい! 変だった! 明らかにおかしかった!

 全身にぶわっと汗が噴き出す。焦りで体温が一気に上がる。

 要が咳払いをしたのは、他のキャラたちに自然に自分の存在を知らせるため。

 なのに、こんなわざとらしいのはあまりにちぐはぐだ……!

 しばらく間を空けて、ディスプレイの中で映像が止まる。

 スピーカーから、音響監督の声がする。

『──はーい。ありがとうございます』

 他の声優さんたちも張り詰めていた気配を緩め、ブース内に柔らかい空気が戻ってきた。

『大体良かったですね。細かい部分あるんで、このあと一つずつ拾っていきましょう。……で、山田さん。最後の咳払いだけど』

「はい!」

 優しげな声で呼ばれて、反射的に大きな声で返した。

 そんなわたしに、音響監督はガラス越しに笑ってみせると、

『……ちょっとそこだけ、別で録ろっか』

 慰めるように、そんなことを言ってくれたのでした──。

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