プロローグ

『──プロダクションモモンガ、おんです』

 アフレコスタジオのコントロールルーム。

 据え付けられたモニタースピーカーから、の声が響いた。

づき役をやらせていただきます。よろしくお願いします』

 凜として華やかなトーン。

 そこにかすかに混じった、ハスキーなニュアンス。

 その声にはすでに、ずっと聴いていたくなる清涼な魅力があって、

「ま〜この子かな〜実力的に」

 参加者一覧を眺めていた監督は、唸るような声でそう言った。

「キャラも自信家だし。ハマる気がするんだよな〜」

 午前から続いている、深夜アニメのメインキャラオーディション。

 現在ブースにいるのは人気の若手女性声優──香家佐紫苑だ。

 高校生と声優という二足のわらじを履きながらも、毎クールアニメのメインキャストを務めている実力派。

 可憐なルックスや自信に満ち溢れた態度もあって、同世代では人気も抜きんでている。

「香家佐さんにやってもらえたら、原作ファンも文句なしでしょうね」

 プロデューサーも、ブースを覗きながら監督に同調した。

「当たり役になって、作品と一緒に跳ねてくれるといいんだけど」

「そうなるよう頑張りま〜す」

「頼みますよ、原作超人気なんで」

 今回アニメになるのは、青年誌で連載中のラブコメ漫画『スパチャしないでぬまくん』だ。

 VTuberとして活動する女の子が、クラスの男子に恋をする。

 けれど彼は、自分が「中の人」を務めるVTuberの熱烈なファンで……というひねくれた三角関係もので、現在三巻までが発売中。累計発行部数は四十万部を超えている。

 ファンの間では「次の看板になるのでは!?」と騒がれている今旬の作品で、当然アニメ化にも期待がかかっていた。

 そのメインヒロイン──強気だけどかわいげもある女の子。

 それが今回紫苑の受ける『葉月乃々』だ。

 強キャラを演じることの多い彼女にとって、十八番とも言える役柄でもある。

「よし、じゃあいってみようか」

 ミキサー卓前に腰掛けた音響監督が、トークバックでブース内の紫苑に言う。

「ひとまず台本、頭からつらっとお願いします」

『わかりました』

 紫苑がそう返して、コントロールルームの空気もピンと張り詰める。

 メインヒロイン。その最有力候補。作品の出来を大きく左右する局面だ。

 ──どんな風に演じてくれるんだろう。

 立ち会う面々の中で、期待がグッと募る。

 手元の台本、冒頭にあるのは彼女が勢いよく主人公に詰め寄るセリフだ。

 キャラの魅力が最も詰まった、役者との相性の問われる場面と言えるだろう。

 つまり、紫苑の発する第一声。

 彼女が声を出したその瞬間に、結果が決まる可能性がある。

 全員が息を呑み、耳に全神経を集中させた。

 そして、数瞬の無音があってから。

 紫苑が『すう……』と息を吸い込み──、


『──ど……どっちが、す、好きなの……』


 ──消え入りそうな声だった。


『目の前にいるわたしと……ぶ、VTuberとしての……わた、わたし……』


 ──かすれて震えて、たどたどしい声だった。


 ──は?

 その場の全員が呆けた。

 今のは……なんだ? なんでそんな、弱気な芝居を……?

 乃々は強気なキャラのはず。シーンのテンションだってもっとずっと高い。

 そのことを、紫苑が理解していないはずがない。なのに……どうして?

『ス、スパチャなんて……しないで。わたしは、たっ、ただ……』

 周囲の困惑も知らず、演技を続ける紫苑。

 その発声が根本的におかしいことに、立ち会う面々も気付き始める。

 甘い滑舌。

 めちゃくちゃなイントネーション。

 感情のこもっていない声。

 素人レベルだった。中学の演劇部の方がマシと思えるような芝居だった。

 ──普段の紫苑は、オーディションでもフルスロットルだった。

 自分の考えてきたキャラの解釈、芝居を真正面からぶつける。

 そこに忖度や遠慮なんて全くない。わたしの芝居を必要とするなら使ってほしい。

 そうでないなら、どうぞ落としてください。

 そんな潔さを感じる芝居を、彼女はオーディションの場でも繰り返してきた。

 なのに──、

『ク、クラシュメイトとしての、わたしに──』

 ブースの中の紫苑は、明らかにガチガチ。

 手はブルブル震えていて、その表情は今にも卒倒しそうに見えて──、

「──ちょちょちょ、ちょっと待った!」

 なおも続けようとする彼女を、音響監督がトークバックで制した。

 ビクリと身を震わせ、紫苑はコントロールルームを向く。

 音響監督は頭をかき、背もたれに体重を預けると、


「……一体どうした?」


 紫苑にそう尋ねたのだった。


「紫苑……何があった?」


   *


 これは、とある普通の女の子が、『お芝居』という運命に出会う物語──。

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