あの夏の日

あんらん。

第1話 島へ

 朝十時ちょうどに飛び立った空には雲ひとつない青空が広がっていた。

 でも天気予報ではこの晴天は長く続かないという。


「貴重な梅雨の晴れ間を有効にお使いください。」

 次の前線はすぐそこ。梅雨明けにはまだ遠い。


 1時間ほどで到着したK空港で2時間過ごし、また出発する。

 乗り継いで向かうのは東シナ海に浮かぶ島、母の故郷だ。

 

 次の便は60人乗りのプロペラ機だった。振動が直に身体にひびいてくる。

 良く揺れるなと思いながら誠は外を眺めていた。


 隣の母は黙り込んで物思いにふけっている。話しかけても上の空だった。

 いつになく緊張感を漂わせている。それもまあ仕方のないことだった。

 

 にしてもらしくないな。

 と思いながら視線をまた窓へ移し今度は身を乗り出した。

 窓際の席だったがそうしないと景色がよく見えないのだ。 

 

 はるか下の海には白波が立っていた。その中に豆粒ほどの赤い船が一艘。

 なんだか忘れられた子どもの玩具のように頼りなげに見えた。

 

 誠にとってのこの旅は観光でも仕事でもなく帰省ともいえない。

 馴染みのない親類縁者に会うことにすでに心もとない気分だった。

 

 頼りなげなのはきっと今の自分だと思った。


 離陸から40分ほどで島影が現れた。

「へえーすごいな」思わず声が出た。

 突然現れたように見えたのだ。

 

 海の上に黒々とした山々がそびえ立っている。


「洋上のアルプス」という言葉が実感として目の前に迫ってきた。

 乗り込む前空港ロビーで目にしたポスターのあの言葉は景色にぴったりだった。

 

 山の奥には写真の樹齢何千年という巨木が今も生き続けているのだ。

 空からこの景色を初めて見た人と同じ溜息を自分も洩らしているのだと思った。

 

 近付くにつれて海の色も変化している。

 青が蒼になり島を縁取っている。山の緑が水に映り込んでいるようだ。

 空からの眺めがほんの少し不安を和らげてくれた。


「当機はまもなく着陸態勢にはいります。

 皆さまシートベルトをいま一度お確かめください。」


 柔らかなアナウンスの後すぐに母の声がした。「いよいよだわ。」

「大丈夫?」母は疲れた顔をしていたが微かに笑った。

 

 誠にとってこれは2度目の訪問といえる。

 ただ前に来たはずの20年前の記憶がまったくない。

 それにこの長い年月ただの一度もここを訪れてはいない。

 考えてみれば不思議なことだった。

 

 20年前小さかったとはいえ小学校へ上がる頃だったから、

 何かしら覚えているはずなのになぜか記憶がない。

 手元にあるのは写真が一枚。海辺で驚いたような顔の誠。ただそれだけ。

 

 母が父と別れたとき唯一残っていたアルバムはなぜか誠のアパートにある。

 それを久々に昨夜見ていた。

 


 昨日のお昼の母からの電話。

「お祖父ちゃんが今朝亡くなったの。明日一緒に行ってくれない?」

 急に言われてもと渋ったけれど、


「お葬式なんてのはたいてい急なのよ。8時に迎えに行くから」

 返事も聞かずに切れた。相変わらずの強引さだった。


 夜になって写真のことを思い出した。

 もうずい分前ちらっと誰かが島の話しをしたことがあった。


 せめて今回の予習になることでもあればと思ったのだが。

 他にはやはり何も見当たらなかった。

 

 電話の声に僅かに恐れにも似た響きを感じたのは気のせいだったのか。

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