勇者の帰還

第37話 新しい今日①

 瞼が重い。窓の外から鳥のさえずりが聞こえる。体も重い。廊下からは使用人が話し合っている明るい声が聞こえる。


「あ、れ……?」


 フサロアス家がこんなに活気づいていることなんてそうそうない。だから、すぐにここが自分の家じゃないことに思い至った。


 このままベッドの上で倒れていたくなる気持ちを何とか押しとどめて体を起こす。


「ああ……そっか」


 昨日はヒダカの部屋に泊まったのだった。


 ベッドの端の方には、器用に足を投げ出したまま眠っているヒダカがいる。


 今日の訓練は自主休暇になりそうだな、と不調を訴える胃の辺りを抑えた。



 

 朝食と言うにはあきらかに遅い時間に、バターの塗られたパンと具沢山のスープ、チーズや果物を食べた。


 お酒や寝不足で二人とも腫れぼったくなった顔で向き合っているけど、笑い合う空気でもない。


 ヒダカはさっきから無言で食事を進めている。その顔は何だか苦悩しているように見える。


 そりゃあそうだ。気持ちを吐き出したからと言って、現実は変わらないのだから。ふとした瞬間に頭を過るものを止めることはできない。


 果物の甘酸っぱさを味わいながらヒダカを眺める。微かに寄せられた眉間の下に、目を覆ってしまいそうなほど長いまつ毛。思慮深い瞳にスープを口に運ぶ手。その全てが何だか急に洗練されて見えて、うっかり見入ってしまう。


 彼はこんなに大人びた雰囲気をしていただろうか?


 憔悴していたから気付かなかっただけで、こんな感じだったのかもしれない。


 もしくは事件のことがあって、きっと昨夜話さなかったこともたくさん考えて行動しているからかもしれない。


 また距離ができてしまった。仕方ない、仕方ないけど、やっぱり寂しい。


 口の中をあっさりさせた後は、少し湯気が減ったスープを飲む。普段よりも塩分が入っているようだ。体全体に行き渡る気がして「ほぅ」と息を吐いた。


「酒を飲んだ後に飲むスープは美味しいよな」


 僕の様子を見たヒダカが、目元を細めて柔らかく笑う。素直に心臓が跳ねた。


 本当に、いつの間にこんな笑い方をするようになったんだろう。


 何度も目を瞬いて水を一口。呆れた声を意識した。


「……ヒダカさ、もしかして結構な頻度で飲んでるの?」

「毎日じゃない」

「週末以外に飲むのはどうかと思うよ? しかも量も飲んでるでしょ?」


 パンを千切って口に運ぶ。熱いくらいの温度にジンワリとバターが染みて、口の中で溶ける。


「知ってるか? 酒って飲むほど強くなるんだ」

「言い訳としてはよくできてるね」

「別にそういうつもりじゃないんだけどな」


 行儀悪くチーズを摘まんだ三本指の一本が僕を指差す。お返しとばかりにこちらも行儀悪くテーブルに頬杖を付いた。


「お酒に強くなってどうするの。ある程度で大丈夫でしょ? 飲み過ぎなければ今のヒダカをどうにかできる人はいないよ」

「分からないだろ? ルメル、知ってるか? こっちとあっちでは勇者の伝承が違う」


 西と東ではほとんど交流がない。向こうの国の歴史なんて知っているはずがなかった。


「それは聞いたことがあるけど……。場所が違えば伝承なんて違って当然だよ」

「そこだ。向こうがどんな認識でいるかなんて分からない。できる限りのことはしておくべきだ。この前のこともある」


 話題に出されたことで、僕もヒダカもつい口を閉じた。一瞬だけ間が開く。確かにあの事件は変な点が多かったけど、それとお酒の関係はないと思う。


 ヒダカをチラッと見て何を言おうかと考える。やたら楽しそうな顔をしていた。例えるなら“今度は何を話してくれるのか楽しみでワクワクしている”だ。


 やたら目がキラキラしていて、言葉に詰まる。


「……ほどほどにね」


 期待されてしまうと、それ以上のことは言えない気がして大きく肩を落とす。


「覚えとく。――で、ルメル?」


 肩透かしをされたのに大して気にした様子もなく、ヒダカが僕の真似をするように頬杖を付く。同じことをしているのに、どうしてこんなに絵になるのか誰か教えて欲しい。紳士のマナーを身に着け始めたのは僕のほうが先なのに。


「ん? なに?」

「今日はどうしようか?」

「どうするって、まさか今から訓練行きたいとか言わないよね? もう昼になるよ?」

「ルメル、訓練行きたいのか? お前が行きたいなら勿論付き合うけどな……」


 口で言うほど行く気は無いのが丸わかりの顔で、いかにも「困ったな」なんて表情をして見せる。


「行く気ないくせによく言うよ」

「はは! ごめん」

「いいけど。で? 何が?」

「ああ、ルメルは今日何をしたい?」

「僕じゃなくて、君がしたいことをした方が……」

「いや、ルメルがしたいことをしたいんだ。何かないか?」


 思いのほか真剣な顔で言われて少し口ごもる。


 これは僕に楽しませて欲しい、という意味なのかな。


 ならば、と腹を据えて視線を天井に飛ばした。


 そして、すぐに行き詰った。いくら不自由な生活を続けている僕でも休みの日はある程度自由に過ごしている。遊びに行く相手が見つからないときは一人で本を読んだり、音楽をたしなんだりしている。


 でも休みは前々から決まっていることが多いから、こんな風に降って湧いた休日っていうのは、結構困る。


「ううーん……」


 演劇? 買い物? 狩り? ゆっくり本でも読む? それとも……。


「ああ……」

「決まった?」


 そうだ。何も二人ででかける必要はない。


「うん。こんなときは、みんなで騒ごうよ」


 妙案だと思ったのに、ヒダカの表情は一瞬固まった。


 ……僕、何か間違えた?

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