第12話 サピリルの森② 移動編

 大荷物を抱えて庭に戻ると、教授が優雅にお茶を飲んでいた。僕たちは頑丈な水筒をかけた肩でぜぇぜぇと息を乱していた。ヒダカが重そうな音を立てて教材の入っている鞄を地面に下す。実際にあれはかなり重い。最初は僕が持とうとしたけど、ひょろりと背だけが高い体ではバランスを崩してしまいそうだったのだ。


「五分前行動。素晴らしいです。私の弟子たちではこうはいきませんよ?」

「それはどうも……」

「それに……」


 紅茶を飲む手を止めて、教授がチラっと僕たちの足元を見る。その目が細められて、口元が美しい笑みを浮かべた。


「よく気付きましたね。もしさっきのままで来ていたらペナルティの予定でした」


 僕たちが今履いているのは特殊な靴で、薬草靴と呼ばれている。その名の通り薬草採取の際に履かれる専用の靴だ。魔力場の近くには豊富に薬草が生える。そして、ほとんどの薬草が脆く崩れやすいのだ。貴重な薬草を守るために、この靴には減圧の魔法がかかっている。魔導士には欠かせない魔道具だった。


「あの……」


 どうしても気になって手を上げた。


「なんですか? ルメル」

「どうしてこんなに急なのですか? この準備に何か意味が?」

「知りたいのですか?」

「まあ、はい」


 できれば意味があって欲しいという希望を込めて質問した。出発前にここまで消耗させられてただの思い付きです、では疲れ損な気がする。


「ふふ。秘密です。ああ、じゃあ課題の一つにしましょうか」

「理由はあるんだな、一応」

「ありますよ? でも、答え合わせはしません。自分で気付きましょう」


 何となくだけど、ヒダカのためなんじゃないかな、と思った。最初も彼の頑張りを評価していたし。そっと隣を見ると、ヒダカが教授に挑むような目をしていた。何かを察したのかもしれない。できるだけ補助できるように頑張りたいところだ。


「さて、ではさっそく移動しましょうか。ここからは魔導車で三時間かかりますから、道中は休憩を挟みながら授業をします」

「はい!」


 揃って返事をすると、門戸の前に止まっていた大型の魔導車に乗り込んだ。


「え……?」

「これ……」

「魔法はこんなこともできますよ。君たちはまだ目にしたことがありませんでしたね?」

「プロジェクターだ」

「え?」

「興味深いですね。意味を教えてもらえますか?」


 広めの車内には白いボードが置かれていて、おそらく今日の授業に使う内容が単元別に書かれていた。問題は直接ペンなどで書かれたものではなく、その文字が光で書かれていたことだ。光の出どころを辿ると、小さな箱が一つあるだけ。僕は純粋に技術に驚いたけど、どうやらヒダカは違うらしい。


「意味は知らないけど、こんな感じで、光で文字や映像を映すのをそう呼んでました」

「なるほど。この技術も君の世界にはあるのですね。やはりかなり文明が進んでいるようだ。本当に魔法はないのですよね?」

「ないです。空を飛ぶのが人の夢だったはずです。飛行機とかはありましたけど」

「飛行機。空を飛ぶための道具でしたね。……ふぅ、まだまだ私も死ねませんね」

「いくつまで生きるつもりだ……」

「おや? 私に死なれたら悲しむのは君たちですよ?」

「知り合いが死んだら悲しむだろ、普通に」

「ヒダカ、言葉遣い」

「あ、悪い」


「すみません、脱線しましたね。それでは、せっかくなので光魔法から始めましょうか。これは見た目の通り光魔法によってできています。魔道具自体はそんなに珍しいものではないのですよ。素材はレンズのみで、光を当てて照射しているだけです。詳しい造りは省略しますが、ここに」


 軽い音を立てて箱の蓋を外すと、中には魔導石が入っていた。


「動力を兼ねた魔導石を入れて動かしています」

「指示はどのように出すのですか?」

「この魔導石と紐づけたペンでこちらに書くと……このようにレンズの先に浮かび上がる仕組みです」


 教授の手元を見て、次に白いボートを見る。さっきまでは無かった文字が浮かび上がっていて、僕は素直に感動した。


「光魔法の使い道が増えましたね」

「そうですね。復習しましょうか。それぞれの魔法の、生活における主な用途を答えなさい。まずは光魔法」


「照明と治癒です」

「風魔法」

「乾燥」

「火魔法」

「主に料理です」

「水魔法」

「飲料水の確保」

「無色魔法」

「身体強化です」

「では最後。闇魔法は?」

「発電です」


「よろしい。闇魔法は私たち悪魔族に得意とする人の多い魔法でしたが、戦闘以外に使用方法のない魔法だと言われてきました」


 そう。闇魔法は威力の強さに反して、長いこと日常生活で使い道が無いと言われてきた。何せ、基本は真っ暗にすることしかできないのだ。劇団が舞台装置に使う以外の何に使うと言うのか。それが、ある一人のドロップによって革命が起きた。それが約五十年前のことだそうだ。


 詳しい技術は分からないけど、闇魔法を圧縮して威力を集中させることで“電気”という新しい動力を確立させた。電気は生活を一変させた。魔力端末やこの新しい箱も電気が活用されている。


「プロフェッサーも闇魔法を得意としているのですよね?」

「そうですね。私は全魔法を同様に扱えますが、やはり種族的にも闇魔法が一番扱いやすいですね。まあ、それも娘に抜かれてしまいそうですけどねぇ」

「娘ねぇ」


 ヒダカが興味無さそうに天窓を見ている。大賢者とまで呼ばれている教授の最後の弟子であり、養女でもある稀代の天才魔導士:キリセナ・バイレアルト。


「いつか君たちに会わせたいと思っているのですけどねぇ。エイデンもキリセナも興味の方向性が偏っているのが問題ですね」

「僕は会ってみたいですよ」


 キリセナは才能の全てを魔法に持っていかれたような人だそうだ。生活力が薄すぎて、この教授をもってしてもため息を付かせるような人だ。好奇心を刺激されない方がおかしい。


 それに、聞いてみたいこともある。彼女は魔法の詠唱短縮を成し遂げている。今まで一言程度の短縮が精一杯だったところを、半分ほどにまで縮めたのだ。これは画期的なことで、東の国にまで知れ渡ったと言われている。それほどの人に、ぜひ固有魔法の構造について意見を聞いてみたい。一度教授にも聞いてみたけど、その内教えると言われたきりだから。


「別にどっちでもいいだけですよ。どうせいつか嫌でも会うだろうし」

「どうしてそう思うの?」

「俺が勇者だから」

「それと何か関係ある?」

「いずれ戦場に出るんだ。必要だろ? 天才魔導士」

「ああ、そういう……」

「うーん。考え方が殺伐としていますね。私は、純粋に君たちとキリセナが会うのはそれぞれにいい影響を与えると思っていますよ」


 そう言って笑う教授の顔はいつもよりも安心できる。それでもヒダカは興味を持っている様子は無い。


「僕たち他に友達いないし、仲良くなれると思うけどなぁ」

「……今のままでいいだろ」

「そう言えば、キリセナっていくつくらいなのですか? 同年代と聞いていますが……」

「そうですねぇ、確か来年で三十だったはずですよ」

「は? ババ、」

「ヒダカ? キリセナは悪魔族だからね?」

「……ごめん」


 今までの復習を中心に授業を受けていれば、三時間なんてあっと言う間だった。新しい場所へ、しかも遠出すると言う事実に胸が躍っていることもある。


 安全の面からこの魔導車には天窓しか付いていないから外の風景は見えない。でも空が段々と薄暗くなってきているし、何より自分の体内に魔力が満ちていくことが手に取るように分かった。


「すげぇ」

「こんなところにいたら、いくらでも魔法が使えてしまいますね」

「だからみんなここに訓練に来るのですよ。ここは私たちの大切な場所です」


 魔導士としての才能は人並みな僕でも、教授の存在が怖く感じた。体中からエネルギーが放出されていて、威嚇されてるわけでもないのに腰が引ける。小さく動いた喉から自分にしか聞こえない程度の音量で唾を飲み込む音がする。


 ヒダカが半身を僕の前に出す。その横顔が少し焦ってるように見える。ヒダカは僕よりもはっきりと教授の力のすごさが分かるはず。彼も怖いのだろう。


 両手を組んでゆったりと深く腰掛ける様子は、彼が自分で言っていたように正に“魔王様”と言った風情だ。


「ようこそ、魔導士の庭。サピリルの森へ」

 教授がひっそりと笑った。

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