第二章 2
入学二日目、この日は、午前中のみの授業であった。といっても勉強するわけではない。正確には、新入生歓迎の式典のようなものが、生徒会主催で執り行われるのだそうだ。
八時四十分に予鈴が鳴ると、担任教師を先頭に講堂へ移動した。この学校では、IT化はあまり進んではいなかった。学校によれば、各教室に設置されているスクリーンに映像が流されたりしているそうであるが、本校では、まだ完備されてはいなかった。
全校生徒数は三百人程度である。各学年百人前後、三学年で三百人程、という内訳である。一昔前には遠く及ばない。
講堂にはすでに上級生が整列していた。講堂に向かって右側に二年生、左側に三年生が、それぞれ内側を向いて並んでおり、歓迎のための拍手をしている。一年生は、二年生と三年生の間に歩を進めた。
一年生が全クラス整列すると、拍手は止み、二、三年生が前を向いた。自然に生徒の意識や視線は壇上に注がれる。
壇上には生徒がひとりいた。演台に両手をついて、黙ったまま眼前の生徒を興味深げに眺め回している。
やがて、勝手がわからない一年生がざわつき始めた。すると、演台についている生徒が少し右手を上げた。壇上にいるので、一年生たちが戸惑うのを押しとどめようとするかのように見えた。
誰彼となく話すのをやめて、壇上の生徒に注目した。講堂内が静寂につつまれると、演台についていた生徒は、備えつけられているマイクをおもむろにつかみ、演台の横から前に進んで一年生の前まで移動した。そして、マイクを口元によせた。
「ようこそ──」
最高音量の不快な
壇上の生徒は、ひとりの先生に目配せした。先生はその意図を察して音響室の生徒に鳴音のことを告げると、その生徒はボリュームを絞り、今度は先生を経由して壇上の生徒に両手で丸をつくって報せた。壇上の生徒は二、三度マイクをトントンと叩いて、確認のためにつぶやいた。
「えー、テステス」
壇上の生徒の確認法は、まるで昭和の時代のそれであった。
「只今マイクのテスト中」
どうやら、鳴音と音量の問題は解決したようである。生徒は気を取り直すためか、マイクを遠ざけてから咳払いした。そして、右手のマイクを再び口元によせて、左腕を大きく広げた。
「ようこそ、我らが
気を持たせるためなのか、生徒は間合いをはかるかのように少し黙した。そして、緊張感が限界に達する刹那、広げた左手を新入生に向け、もったいぶるように言葉を継いだ。
「そして、ようこそ、君たちの学舎へ」
壇上の生徒は両の手を大きく広げた。瞬間、まるで、沈黙が講堂内の空気を淀ませいくのが目に見えるようであった。二、三年生はともかく、一年生が全く反応を示さないのは想定外だったようである。壇上の生徒はもう一度咳払いした。
「コホン、わたしが、本校の生徒会長です。名前は、
初対面の一年生は困惑しているのか、黙ったまま壇上の生徒会長に目を注いでいる。眞央も同様であった。ただ、次の言葉にハッと息をのんだ。
「『姓』はその他大勢のモノ、『名』はその人ソノモノをあらわすからだ」
その言葉に反応を示したのは眞央ひとりであったかもしれない。今朝、通学途中で出会った先輩のことが頭をよぎったのである。
「名前にこだわりのある人っているところにはいるものなんだな」
なんとなく考えていたら、その後、更に眞央を驚かせることが起こった。
「それでは、生徒会のメンバーを紹介しよう」
東舘昂師会長の身振り手振りはいささか大仰である。
「まずは我が生徒会の金庫番、会計の
眞央が二年生の方を見ると、ひとりの生徒が前に歩いていくのが見えた。階段をあがる足取りは軽い。投げキッスをしているので、性格も軽そうである。眞央はその顔に見覚えがあった。
「あの人、生徒会の役員だったのか」
眞央は意外そうな表情をして、壇上にあがった会計係の南埼先輩を見つめていた。
「続いて、生徒会の記録士、書記の
会長の言葉は沈黙を呼んだ。誰も壇上にあがらなかったのである。休み、であろうか。
「西科萌桃華、二年生」
会長が再度紹介した。二年生の辺りから小声でなにか話しているようである。
「西科萌桃華」
再々度、生徒会長が名前を呼んだ。
「ふぁーい」
ようやく誰かが返事をしたが、それが返事といってよいものかどうかは重要ではなかったようである。生徒会長は先に壇上に上がっていた南埼綺斗に目配せした。
「はいはい。了ー解」
南埼綺斗先輩は、一旦階段を降りて二年生の中に入って、目的の生徒の手をひいて、演壇に連れてあがった。手を引かれているのは女生徒であった。髪は茶髪で、右の目尻の下辺りにハート型のタトゥーシールみたいなものが貼られていた。壇上でユラユラと揺れている西科萌桃華先輩を見て、眞央後輩はハラハラした。横揺れはともかく前後に揺れると、落っこちそうであったからである。
東舘先輩は気を取り直すためであろうか、マイクを外して咳払いした。
「そして、生徒会の美姫、副会長の
今度の生徒も女生徒であった。眞央の周りの男どもが、感動のため混じりの感嘆と称賛の声を上げた。眞央も思わず見惚れるほどの美しい少女、いや女性であった。楚々として、
壇上にあがった北城魅玖雲先輩は、新入生に向かって手を振った。その仕草だけで、心を撃ち抜かれた生徒は相当数にのぼったようである。
「それにしても」
眞央は首をひねった。生徒の名前の前の定冠詞というか
壇上の会長が、他の役員に目配せした。そして、告げた。
「以上四名が、現状での本校の生徒会役員です」
「えっ? 少なくないか?」
眞央は、なにかで読んだ記憶では、七、八人程度だと思っていたのである。他の新入生は別に気にもしていないというか、話をまともに聞いてはいなかった。妖しく微笑む北城先輩にメロメロであったのである。
「少ないと思ったそこの君」
会長は正確に眞央を指し示した。眞央は周りを見渡した後で、自分に指先を向けた。すると、会長は深く頷いた。
「実は、本校の生徒会には結成以来、代々受け継がれてきた慣例があります。それは、新入生、つまり君たちの中からひとり、庶務係として必ず生徒会に迎え入れなければならない、というものなのです」
会長は、四回目の咳払いをした。今日の会長は喉の調子が良くないのであろうか。それとも、淡白な反応しか示さない新入生に戸惑っているのであろうか。
「自薦でも他薦でもかまわない。ただ、候補者が多い場合やいない場合、我々生徒会役員に指名する権利が与えられている」
つまり、全校生徒による投票という民主的な手続きはとられない、生徒会役員の総意に基づき、強制的に選ばれる、ということである。すくなくとも、一年生の役員に関しては、ではあったが。眞央は少し気分を害したように眉根を寄せた。
生徒会長の言葉はまだ続いた。
「われこそはと思う者。自分の手腕を発揮したいと思う者、生徒会に興味がある者、どしどし立候補してほしい」
講堂の一年生がざわめいた。まだよく知らない者が多い中で、ただひとりを選ぼうとするのは、無理がある。入学式と始業式でしか顔をあわせていないし、名前も知らない生徒や言葉を交わしていない相手も多いのだから。それに、結局、最終的には生徒会の役員が指名するのである。それでは、わざわざ立候補する意味もない。
「まあ、おれには関係がないか」
立候補する意思のない眞央は、他人事のようにつぶやいた。
そんな彼、中蔦眞央の姿は、翌日の放課後、生徒会役員室にあった。
「なぜだ。なぜ、こうなった」
どこだ、どこで間違ったのだろう。いや、そもそもこれは間違いなのであろうか。眞央は、ソファーに腰を下ろし、両足に両肘がつくように前傾姿勢で指を組んで、それをおでこにあて、うなだれるようにして足元に目をそそいでいた。
「おーい、
誰か男子生徒の声が聞こえた。ちゃらそうだ。
「央、くーん?」
これは女生徒の声である。眠そうだ。
「中蔦くん」
これも女生徒の声である。艶めかしい。
「眞央」
これは男子生徒である。四角四面である。
「央ちゃん」
「央くーん?」
「中蔦くん」
「眞央」
「あーもう、わかりました。聞こえてますので、少し放っておいて下さい」
自分の名を連呼する生徒会役員に対して、心底面倒くさそうに、眞央は応えた。
ここに、本年度の生徒会役員が誕生したのであった。
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