第2話 当時

「ああ。もちろん舞さんじゃない」


 舞さんなら良かったのに、と思いはするが、有坂に失礼だからそんなことは口が裂けても言えない。


「舞さんと付き合えていたらさっきまでお前としていた会話はなんだったのか、という話になるし、そもそもセフレの家に足を運ばないからな」

「前半は納得だけど、後半の部分は説得力がないよ?」


 彼女ができたのにこうしてセフレの家に来ているのだから、彼女の指摘はもっともである。


「それは自覚しているが、彼女公認だから問題ないんだ」

「どゆこと……?」

「実は――」


 疑問を深めて首を傾げる彼女に、有坂と付き合うことになった経緯を説明する。


「――なるほど。あんたは罪な男だね」


 溜息を吐きながら肩を竦めた彼女は、僅かに呆れを含んだ表情で俺を見つめる。


「いくら彼女公認だからって、節度がなさすぎでしょ」


 うん、返す言葉がございません。

 言い訳する気もございません。

 俺がクズだということも、悪い男だということも、自分が一番良くわかっています。


「なんでこんなだらしない男になってしまったのか……。昔はもっと可愛げがあって、こんな駄目な男じゃなかったと思うんだけど……」


 やれやれ、と言いたげに首を左右に振った彼女が頭を抱える。


「それはお前のせいでもあると思うんだが……」

「……それは……まあ、確かに?」


 視線を逸らす彼女は気まずそうに頬を掻く。


「初恋を拗らせている思春期の中学一年生が年上のお姉さんと身体を重ねる関係になったら、性癖やら価値観やらがぶっ壊れるに決まってるだろ」

「……うん。私が責任の大部分を担ってるね……」

「俺がだらしないというのは間違ってないが、きっかけは間違いなくお前だったと思うぞ」

「……面目ない」


 居た堪れないのか力なく呟いた彼女は、そこで一旦言葉を止める。

 そして顔を俺に向けると、息を吸い込んだ後に続きの言葉を吐き出した。


「――でも! 言い訳になってしまうけど! あの時はあんたのことを高校生だと思ってたんだよ!」

「仮に俺が高校生だったとしても、見ず知らずの男を捕まえて、いきなり家に押しかけるのはどうかと思うぞ」

「それは……若気の至りと言いますか……」


 彼女は痛いところを突かれたと言いたげに口籠る。


「しかも、まさかその日に童貞を奪われるとは思いもしなかった」

「それは……うん、ごめん。でも、むしゃくしゃしていてやりどころのない感情の吐き出し場所を求めていた私も悪いけど、断らなかったあんたも同罪だと思う」

「まあ、当時は俺も満たされない恋心に悶々として、溜まりに溜まったストレスが爆発しそうだったのと、女性とをするのに興味があったのが災いして、流れに身を任せてしまったから、お前を一方的に責める気はない」

「ね? 同罪だよね?」

「だとしても、年上のお前が自制するべきだったとは思うけどな」

「うぐっ……」

「まあ、あの時はお前が俺のことを高校生だと思っていたから年上云々うんぬんは仕方ないが、そもそも年を確認するような会話もせずに、に及んだのがどうかしていたな」

「おっしゃる通りです……」


 申し訳なさそうに呟く彼女は、過去の自分を恥じるように身を縮こまらせる。


「だが、そのお陰で救われたのは事実だし、今となってはいい思い出だから笑い話で済ませられる」


 今はセフレを相手に鬱積したもやもやを吐き出すことができているが、女性経験がなかった当時はストレスを溜め込む一方だった。

 そんな折に彼女と出会ったことで、人肌の温もりに包まれることで悶々とした感情を吐き出すことができると知ることができた。――まあ、俺の場合は女に溺れているだけなのかもしれないが。


「いい思い出だと思ってくれてるんだ?」

「ああ。感謝しているからな」

「そっかそっか」


 満足げに小さく口元を緩ませた彼女は――


「あんたと出会ってからもう四年近く経つんだね」


 と感慨深げに呟く。


「そうだな……」


 俺が彼女と初めて出会ったのは、中学一年の夏休みの期間だった。だから彼女と出会ってから三年七カ月の月日が経っている。ちなみに彼女は当時、高校一年生だった。


「いま思い返しても本当に忘れられない出会いだったな……」


 苦笑交じりにそう言うと、彼女も釣られたように「ははは」と苦笑いを浮かべる。


「当時の私は本当にどうかしていたからね……」


 頭を掻きながら呟く彼女の背中にはどことなく哀愁が漂っている。


「さっきあんたは私のお陰で救われたって言ったけど、それはこっちの台詞でもあるんだよ?」

「そうなのか?」

「うん」

「まあ、確かに昔のお前は今にも増してやさぐれていたもんな」


 当時の彼女は親との関係が上手くいっておらず、家に居場所がなかった。

 なので、家にいたくない彼女は友人の家を転々として寝床を確保していた。


 そんな彼女の心の拠り所は音楽だった。

 元々ベースが好きで、バンド活動に明け暮れていた彼女は、留年しないように必要最低限の出席日数分しか登校していなかったくらいだ。


 バンド活動といっても、当時は特定のメンバーと組んでいたわけではい。サポートメンバーとして様々なバンドに参加していた。

 なぜバンドを組んでいなかったのかはわからないが、おそらく誰か特定のメンバーと共にやっていくことに抵抗があったのだろう。


 別に人が嫌いとか、人間関係をわずらわしく思っているとかではなく、単純に組むことになるメンバーと向き合う心の余裕がなかったからだと思う。

 バンドを組む以上は自分の都合で仲間を振り回すことはできないし、迷惑をかけたくはない。だから彼女はサポートメンバーとしてバンド活動することで、自分の腕を磨くことに専念していたのだろう。


 まあ、彼女から直接理由を聞いたわけじゃないから、完全に俺の推測にすぎない。なので、全くの見当外れの可能性もある。


「ひたすら自分の腕を磨くことに躍起やっきになって現実逃避していた私が、今はバンドを組んで仲間と一緒にライブしてるんだから、人生ってわからないよね」


 昔の自分を懐かしむような遠い目をする彼女は――


「それもこれも、ゆう――あんたのお陰だよ」


 と小さく笑みを零しながら呟いた。


 小さな笑みだが、クールな彼女にしては珍しく表情が緩んでいるほうだ。

 そんな彼女の背中に先程まであった物悲しさは既に消え去っている。

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