第41話『雨の日の登校』

 5月12日、金曜日。

 今日は起きたときから雨が降っている。一日中雨が降る予報だそうだ。

 また、肌寒い気候で、ベッドから降りると体がブルッと震えた。最近は冷たい水で顔を洗うのが気持ちいいと思う日が増えてきたけど、今日は温かいお湯で洗うのがとても気持ち良く感じられて。冬に逆戻りしたような感じがした。

 優奈と一緒に、優奈の作った朝食を食べる。玉ねぎと油揚げの温かい味噌汁がいつも以上に美味しかった。

 朝食の後片付けをした後、自分の部屋で服装と荷物の最終チェックをする。


「大丈夫だな」


 髪や服装は特に乱れていないし、忘れ物もない。

 リビングで、優奈の作ってくれたお弁当と水筒をバッグに入れて、優奈と一緒に学校へ出発する。


『いってきます』


 と、優奈と声を揃えて。

 エレベーターでエントランスのある1階まで降り、マンションを出る。家の中よりもさらに肌寒い。暗い空模様とサーッ、という雨音が聞こえるので、より寒く感じられる。

 俺達は傘を差して、学校に向かって歩き始める。


「今日は肌寒いですね」

「寒いよなぁ。昨日までの暖かさが嘘みたいだ。冬に戻った感じがする」

「確かにそんな感じがしますね。5月って、晴れると結構暖かくなりますけど、今日みたいに雨が降ると急に寒くなる日がありますよね」

「あるある」


 寒暖差が激しいから、体調を崩さないように気をつけないと。それに、段々と慣れてきたけど、ゴールデンウィーク中に引っ越して住む環境も変わったし。

 結構寒いから、あと3週間ほどで季節が夏になるのが信じられないくらいだ。


「そういえば、雨が降る中で一緒に登校するのはこれが初めてですよね」

「……そうだな。思い返すと、これまで一緒に学校に行ったときは晴れてたな。それに、優奈と住み始めてから雨が降るのって、初めて優奈と一緒に寝た日くらいか」

「そうですね」


 そう言う優奈の微笑みはほんのりと赤らんでいた。雷が怖いからと俺と一緒に寝た日の夜のことや、その翌朝のことを思い出しているのだろうか。

 雷雨が降ったあの日の夜は、優奈が俺の胸に顔を埋めた状態で寝て。翌朝は目が覚めたときは、すぐ近くに優奈の可愛い寝顔があって。あと、一昨日の夜に優奈に誘われて一緒に寝たことも思い出す。だからドキッとする。

 雨が降る日に優奈と一緒に登校するのはおろか、一緒に歩くことも初めてだ。

 結婚してから、優奈と一緒に外出するときは基本的に手を繋いでいた。登校したときも。だから、傘を差して、手を繋いでいない今は、優奈と距離を感じた。優奈は俺の隣で歩いているけれど。そう考える中で吹く風は、弱いのにかなりひんやりと感じられた。


「あの、和真君」

「うん? どうした?」

「……和真君と相合い傘をしてみたいです」


 優奈がそう言った瞬間、俺の歩みが止まった。

 優奈もその直後に立ち止まり、前方から俺のことを見てくる。優奈の笑顔を彩る赤みはさっきよりも強い。その笑顔と優奈の今の提案で、頬が緩んでいくのが分かった。


「ああ、いいよ。相合い傘してみるか」

「ありがとうございますっ」


 優奈はニッコリと笑いながらお礼を言った。


「俺の傘の方が大きいし、俺の傘で相合い傘しようか」

「そうしましょう」


 周りの人に迷惑がかからないように、俺達は道の端っこに移動する。

 優奈は傘を閉じると、「失礼します」と言って、俺の傘の中に入ってきた。その瞬間、優奈の甘い匂いがふんわりと香ってきた。そのことにちょっとドキッとするけど、安心する。


「じゃあ、行こうか」

「はいっ」


 俺達は再び学校に向かって歩き始める。


「優奈。雨に当たっていないか?」

「大丈夫です。和真君は当たっていませんか?」

「大丈夫だよ」

「良かったです」


 優奈はそう言って俺に微笑みかけてくれる。相合い傘をしているからだろうか。何てことのないやり取りだけど、ちょっと嬉しくなった。

 周りにはうちの高校の生徒を含め、多くの人が歩いている。ただ、俺の傘の中に優奈と一緒にいるから、優奈と2人きりの時間を過ごしている感じがして。雨が降っているのもあるかもしれない。


「相合い傘……いいですね。和真君と一緒に一つの傘の中に入っていますから、和真君を近くに感じられて」

「一緒にいる感じだよな。さっきまでそれぞれ傘を差して歩いていたから、優奈をとても近くに感じているよ。俺も相合い傘がいいなって思うよ」

「そうですかっ」


 えへへっ、と優奈は声に出しながら嬉しそうに笑う。今の会話もあって、優奈がとても可愛く思える。

 優奈と一緒に相合い傘をしているからだろうか。肌寒い中歩いているけど、体が段々と温かくなってきて。それが心地いい。

 全身が温もりに包まれていく中、傘を持っている右手に柔らかくて温かいものが触れたのが分かった。右手を見てみると、優奈が左手で俺の右手をそっと掴んでいたのだ。


「ゆ、優奈?」

「……登下校を含めて、一緒に外出するときは和真君と手を繋いでいますから。傘を持つ手を掴みました。……いいですか?」


 上目遣いでそう問いかけてくる優奈。可愛いな。そんな優奈の問いかけにもちろん、


「いいよ」


 と、快諾した。だからか、優奈は嬉しそうな笑顔を向けてくれる。


「ありがとうございます、和真君。嬉しいです。一度、相合い傘をしてみたかったのもありますが、こうして和真君の手に触れたかったのもあって、相合い傘をしたいと言いましたから」

「そうだったんだ。凄く嬉しいよ」


 本当に可愛いことを考えるな、俺のお嫁さん。

 俺の手に触れたい、という優奈の想いを知ることができたおかげで、体だけじゃなくて心も温かくなっていく。それぞれの傘で歩いていたら、こういう感覚になることはなかっただろう。

 俺の手を掴む優奈の左手から伝わる温もりがとても心地いい。優奈と一緒なら、この雨の中、どこまでも歩き続けられそうだ。

 優奈と話しながら歩いているのもあって、気付けば少し先に学校の校門が見えるところまで来ていた。それもあり、周りにはうちの高校の生徒がたくさん歩いていて。中には、


「あっ、有栖川さんと旦那さんの長瀬君が相合い傘してる!」

「ラブラブだね!」


「長瀬……有栖川と相合い傘だなんて羨ましいぜ。見せつけてくれるぜ……」

「いいなぁ、長瀬。夫の特権だよなぁ」


 などといった話し声が聞こえてくる。優奈と相合い傘をして登校するのは初めてなので、色々と思うことがある生徒は結構いそうだ。

 俺達のことを話す生徒が周りにいるけど、優奈は特に気にしている様子はなかった。俺と相合い傘ができて嬉しいからか、むしろ上機嫌で俺に話しかけてきて。そんな優奈を見ていると、俺も周りがあまり気にならなくなってくる。

 それから程なくして、俺達は高校の校門を通り、教室がある第1教室棟の入口前まで辿り着く。ここまで来れば建物の下に入るので、雨が当たらない。なので、俺は優奈との相合い傘を閉じる。


「和真君。相合い傘をしてくれてありがとうございました。とても良かったです」

「いえいえ。俺も相合い傘良かったよ。晴れや曇りのときみたいに、優奈が近くにいて」


 傘っていう、半ばプライベートのような空間の中だったから、晴れや曇りのとき以上に優奈が近くに感じられた気がする。


「良かったです。これからは……雨が降っているときは基本的に相合い傘をしましょうか」

「ああ、そうしよう」


 今まで、雨が降っていると学校に行くのがちょっと面倒だと思うことがあった。来月にやってくる梅雨の時期は特に。だけど、これからは雨の日に登校するのがいいなって思えそうだ。雨が降っている方が好きになれるかもしれない。

 優奈との初めての相合い傘登校のおかげで、今日の学校はいつも以上に頑張れた。

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