第19話『引っ越し前夜』

 ゴールデンウィーク後半の5連休前日となる今日も、学校生活を過ごしていく。

 昨日に引き続き、授業の合間の休み時間には、友人やクラスメイトから優奈のことについて訊かれる。ただ、昨日の質問攻めを経験したし、昨日よりも訊かれる質問の数も少なかったので、休み時間なのに休めないという感覚に陥ることはなかった。

 今日も昼休みは優奈の机で一緒にお昼を食べる。教室でお昼を食べるときはこの形が定番になりそうだ。

 今日の放課後は俺はバイト、優奈は井上さんと一緒にスイーツ研究部の活動がある。なので、スイーツ研究部の活動場所の家庭科調理室がある特別棟へ行ける渡り廊下があるフロアまで降りたところで、


「和真君。バイト頑張ってくださいね。明日からよろしくお願いします」

「ああ、よろしくな。優奈も井上さんと一緒に部活頑張って」

「はいっ。じゃあ、また明日です」

「またね、長瀬君」

「2人ともまたな」


 と、言葉を交わして、優奈と井上さんと別れた。

 ただ、俺が一人になったからだろうか。昇降口でローファーに履き替え、校舎を出たところで、


「おい、お前か。有栖川を結婚したっていうのは。これまで告白を一切受けなかった有栖川が結婚するなんて。何か弱みでも握ったんじゃねーの?」


 と、チャラそうな金髪の男子生徒に絡まれ、進行方向を塞がれてしまう。優奈に好意を抱いているのか不機嫌そうだ。きっと、俺が優奈と結婚したのが気に食わないのだろう。こういう事態になるのも覚悟していた。

 ブレザーを着ているので、ラペルホールに付けられているバッジを見ると……緑色。つまり、俺と同じ3年生だ。そして、別のクラスの生徒だ。だから、おじいさんの一件を知らないのだろう。それに、これまで優奈はたくさんされた告白を断ってきたし、俺との交際期間は一切ない。俺が何か弱みを握ったから結婚できたのでは……という発想になるのも理解はできる。

 これからバイトがある。だから、できるだけ早くこの場を収めたい。


「優奈のおじいさんに気に入られたのがきっかけだ。優奈を含めた有栖川家のみなさんもうちの家族も納得の上で結婚したんだ。そもそも弱みなんて握ってない」

「本当なのかよ!」


 男子生徒が怒号を上げる。怖くはないけど、ちょっと耳が痛い。また、この声のせいで周りの生徒からの視線が集まり始める。

 本当のことを話したんだけど、納得しておらず怒っている様子だ。何を言っても、俺の言葉は信じられないのかもしれない。……それなら。


「ちょっと見てほしいものがある」


 俺はブレザーのポケットからスマホを取り出し、アルバムアプリをタップする。写真一覧から……両家の食事会の際に9人全員で撮影した写真を表示する。その状態で男子生徒に見せる。


「これは優奈と俺が結婚した日、両家で食事会をしたときの家族写真だ。優奈も優奈のご家族もみんないい笑顔で写ってるだろ。もし、弱みを握って結婚したなら、こういう笑顔の写真は撮れないだろう」


 写真を見せながら、俺はそう言う。

 男子生徒は黙っている。俺の言ったことが本当だと分かったのか。それとも、まだ嘘だと思うのか。本当だと分かってもらえたら嬉しいんだけどな。


「……本当だったのか。お前が言ったことは」


 はあっ、と男子生徒はため息をつきがっかりしている。どうやら分かってもらえたようだ。


「弱みを握っていたなら、お前をボコボコにして、有栖川にお近づきになろうと思ったんだけどな……」


 男子生徒は元気のない声でそう言う。そんなことを企んでいたとは。ただ、俺が弱みを握っているかどうかは問わず、ボコボコにするほどに暴力を振るう人が優奈とは付き合えないんじゃないかと思う。

 食事会で両家での写真を撮っておいて正解だったな。あの写真がなければ、優奈に弱みを握っていたとこの男子生徒から疑い続けられていたかもしれない。


「疑って悪かったな」

「ああ。あと、優奈に何もするなよ。お近づきになろうとか言っていたし。もし何かしたら俺が許さない」

「何もしねえよ。あの美しくて可愛い有栖川に」


 男子生徒はそう言い、校門の方に向かって歩いていった。暴力沙汰にならずに済んで良かった。あと、美しくて可愛いと言うだけあって、優奈に何かする可能性は低そうだ。

 今のことで優奈の人気ぶりを改めて思い知ったよ。

 優奈も今のようなことに出くわすかもしれない。なので、男子生徒に絡まれたけど何事もなかったことと『結婚した直後だし、部活から帰るときは気をつけて』とメッセージを送り、俺はバイト先に向かった。

 帰りの一件もあって、優奈のことが気になりながらバイトをした。ただ、バイト終わりに優奈から『無事に帰宅しました』とメッセージをもらって安心できたのであった。




「……よし、OKだな」


 午後10時過ぎ。

 明日の引っ越しで新居に持っていく荷物や家具のチェックが終わった。明日は有栖川家が手配してくれた引っ越し屋さんのトラックで、新居まで運んでもらうことになっている。


「風呂に入って寝るか……」


 翌日が休みの日は日付を越えてから寝るのが普通だ。だけど、明日は午前中から引っ越し作業があるので、早めに寝た方がいいだろう。

 寝間着や替えの下着を準備していると、

 ――プルルッ。

 と、スマホが鳴っている。この鳴り方は……誰かから電話がかかっているのだろう。スマホを確認すると、


「……優奈からだ」


 LIMEを通じて優奈から電話がかかってきている。優奈とのやり取りはメッセージが基本。だから、何かあったのだろうかと思ってしまう。そう思いながら、優奈からの電話に出る。


「はい、和真です」

『こんばんは、和真君。今、お電話しても大丈夫だったでしょうか?』

「大丈夫だよ。引っ越しの荷物や家具のチェックが終わったところだったし」

『そうでしたか。お疲れ様です』

「ありがとう。優奈の方は準備は大丈夫か?」

『はい。私も家に帰ってチェックして……大丈夫だと思います』

「そうか。なら良かった。……今日はどうした? いつもと違って電話だけど。もちろん嬉しいけど」

『今日は放課後は和真君はバイト、私は部活で別行動でしたし……今日はもうすぐ寝るので、寝る前に和真君の声が聞きたくて』

「そういうことか」


 俺の声が聞きたい。それだけの理由だけど、とても嬉しく思う。今日の学校やバイトなどの疲れが取れていく。


『和真君の方は荷物や家具は大丈夫ですか?』

「ああ、大丈夫だよ。あとは明日運んでもらうだけだ」

『そうですか、良かったです。……あと、さっき部活と言って思い出したのですが、連休明けの10日の放課後って予定は空いていますか?』

「10日か? ……ちょっと待って」


 カレンダーアプリを開いて、バイトのシフトの予定などを確認する。10日は……何も書き込まれていないな。大丈夫だ。


「10日は大丈夫だよ」

『良かったです。連休前だったので、今週は火曜日の今日に部活があったのですが、普段は水曜日に活動していて』

「そうなんだ」

『ええ。今日部活に行ったら、部員の多くが結婚相手の和真君を見てみたいと言いまして。それで、次回の部活の日に和真君を呼べたらいいなって思っていたんです』

「なるほどね」


 付き合ったならまだしも、結婚したんだ。しかも、大人気な部長の優奈が。夫の俺を見てみたいと思うのも当然なのかも。


「分かった。次回の部活にお邪魔するよ。お嫁さんが部活している姿も見てみたいしな」

『ありがとうございますっ』


 優奈の声が弾んでいる。優奈の嬉しそうな笑顔が目に浮かぶ。


『ちなみに、次回の部活で作るのはホットケーキの予定です』

「ホットケーキか。美味しいよな。好きだよ」

『良かったです! そのときは和真君のために作りますね。では、次回の部活は一緒に行きましょう』

「ああ」


 部活での優奈がどんな感じなのか楽しみだ。あと、優奈が作ったホットケーキも。ゴールデンウィーク明けの楽しみができたな。


『明日は引っ越しの作業をしますから、そろそろ寝ますね』

「ああ。俺も風呂に入ったら寝ようと思ってる。明日は一緒に頑張ろうな」

『はい! 頑張りましょう! では、おやすみなさい』

「おやすみ、優奈」


 俺がそう言うと、優奈から通話を切った。

 このタイミングで優奈と話ができて良かった。明日の引っ越し作業をより頑張ろうって思えるようになった。

 その後、俺は入浴する。

 今日はいつもより長めに浸かることに。今日の疲れを取るために。あと、次にこの家のお風呂に入るのがいつになるか分からないから。


「高校生のうちに引っ越すとは思わなかったなぁ」


 しかも、親の急な転勤とかではなく、クラスメイトの女子と結婚して、その子と一緒に暮らすからという理由で。世の中、何が起こるか分からないものだ。

 湯船で心身共に温まって、俺はお風呂から出た。

 もう寝ようと決めているので、部屋に戻る前に、洗面所で歯を磨いたり、お手洗いで用を足したりして寝るための準備をした。

 自分の部屋に戻って、ベッドに入ろうとしたとき、

 ――コンコン。

 部屋の扉がノックされた。この時間に部屋に来る人は一人しかいない。

 はい、と返事をして扉を開けると、そこには寝間着姿の真央姉さんの姿が。姉さんは枕を持っている。


「カズ君、もう寝る? 歯を磨く音が聞こえた気がして……」

「ああ。明日は朝から引っ越し作業があるからな」

「そうなんだ! じゃあ、今日も一緒に寝ていい?」


 上目遣いでそう訊いてくる真央姉さん。

 優奈との結婚と、近いうちに引っ越すことが決まったあの日から、真央姉さんは毎日俺と一緒に寝ている。それまではたまにしかなかったけど。俺が引っ越すのが寂しいからなのだろう。


「いつもより早い時間だけど、それでもよければ」

「全然OKだよ! だって私も手伝うし!」


 真央姉さんはとても嬉しそうに言った。

 明日は祝日なのもあり、俺の家族と優奈の家族が引っ越し作業の手伝いをしてくれることになっている。有り難い。


「じゃあ、一緒に寝るか」

「うんっ。じゃあ、寝る準備をしてくるね!」


 そう言うと、真央姉さんは俺のベッドに枕を置いて、部屋を後にした。

 ベッドに入ってスマホを弄りながら待っていると、数分ほどで真央姉さんが部屋に戻ってきた。姉さんは嬉々とした様子でベッドの中に入り、壁側で横になる。その際、俺の左腕をそっと抱きしめてきて。これが俺と寝るときの基本姿勢だ。


「あぁ、いつもよりも温かいなぁ。シャンプーとかボディーソープの匂いが強いね」

「風呂を出てからそこまで時間が経っていないからな」

「そっか。……この温もりも匂いを感じていると、明日カズ君が引っ越しちゃうことが寂しくなるよ……」


 うぅっ……と声を漏らし、真央姉さんは悲しげな表情をする。


「俺が生まれてから、ずっと一緒に暮らしてきたもんな」

「うん。いつかは離れて暮らす日が来るって覚悟していたけど、まさかカズ君が高校生のうちにそうなるとは思わなかったよ」

「俺も風呂に入りながら思ってた」

「そっか。……てっきり、あと数年は離れないと思ってた。カズ君も常盤学院大の付属校に通っているし、文系学部に内部進学するつもりだって聞いていたから」

「大学のキャンパスも東京中央線沿線だから、ここから難なく通えるもんな」


 それに、就職しても……オフィスが都内にあるなら、この家から通勤するのに問題ないだろうし。大学3年生の真央姉さんが「あと数年は離れない」と言ったのも納得できる。


「まあ、優奈ちゃんとの新婚生活のためだし、新居のあるマンションもうちから見えるからね。きっと、カズ君のいない生活にも慣れてくると……思う……かな?」

「疑問系になっちゃったか」


 そこがブラコンの真央姉さんらしいとも言える。


「近くだし、いつでも遊びに来てくれよ」

「うんっ、分かった」


 ようやく、真央姉さんの顔に笑みが戻る。姉さんは俺に笑顔を向けてくれることが多いから、姉さんの笑顔を見られると安心するよ。ただ、この笑顔を明日からはいつでも見られないことに少し寂しさを感じた。


「優奈ちゃんとの新婚生活を楽しんでね! 上手くいくように応援してるよ!」

「ああ。ありがとう」

「あと……もし、優奈ちゃんとのスキンシップに緊張するなら、お姉ちゃんがいつでも練習相手になってあげるからね」

「スキンシップ?」

「うんっ! ハグとかキスとか……どんなことでもお姉ちゃんは喜んで協力するからね! カズ君になら何をされてもいいし!」


 きゃあっ! と真央姉さんは黄色い声を上げて興奮している。俺の左腕を抱きしめる力が強くなって。

 真央姉さんは結構なブラコンだと思っていたけど、俺に何をされてもいいと思うほどだとは。なかなかヤバいな、俺の姉。この家を出て、家族と離れることに寂しいと思っていたけど、その想いが小さくなった。


「えっと……気持ちだけ受け取っておくよ」

「うんっ。練習したくなったらいつでも連絡してね」

「……お、覚えておく」


 きっと、そういった類いの用事で真央姉さんに連絡することはないだろう。ただ、一緒に住む中で、ハグといったスキンシップを優奈としていきたいとは思っている。


「カズ君。このベッドは新居に運ばないんだよね」

「ああ。おじいさんがベッドを買ってくれるから。帰省してここで寝るときにこのベッドがあるといいし」

「そっか。……明日から、たまにこのベッドで寝るかもしれないけど……いい?」

「ああ、いいぞ」

「ありがとうっ」


 えへへっ、と真央姉さんは嬉しそうに笑う。俺のベッドで寝ることで、寂しさが少しでも紛らわすことができたら嬉しい。


「じゃあ、そろそろ寝るか」

「うんっ。おやすみ、カズ君」


 真央姉さんは俺の左腕を今一度ぎゅっと抱きしめて、ゆっくりと目を瞑る。俺の温もりや匂いが心地いいのか、さっそく気持ち良さそうな寝息を立て始める。


「優奈とも、いつかはこうして一緒に寝る日が来るのかな」


 優奈は好き合う夫婦になりたいと言っていた。新居はそれぞれの部屋が用意されているけど、明日から一緒に住み始めるし……いつかはこういう風に、同じベッドで寄り添って眠れたらいいなと思う。

 真央姉さんの温もりや柔らかさが気持ちいいと思いつつ、俺も眠りにつくのであった。

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