哩玖
「「燈!! 哩玖!!」」
終電から、降りると、杏弥と香葡さんが私と哩玖の名前を呼んだ。……と言うより、叫んだ。
「か……香葡先輩……杏弥……」
「馬鹿か! お前! 一人で動くなって言っただろ!」
杏弥がそう言って、哩玖の頭を軽くぺシンと叩いた。
「燈もだよ!? なんで、いきなりいなくなったりしたの!? もう!! 心配したんだから!!」
香葡さんは、涙目になっている。そして、私を思いっきり抱き締めてくれた。私は、人の温かさを、この時、本当に、初めて知ったんだ。こんな私、いなくなっても、誰も困らなかった。今までは…。私は、1年で、居場所を変える。なぜなら、データを採るのに、一か所で1年しかいられないのだ。
どんな地で、どんな国で、どんな場所で、どんな言葉で、どんな境遇で、どんな心境で、どんな事を思うのか……。それが、私に与えられた仕事なのだ。
でも、私は、この一年で、幸せになりすぎたのかも知れない。ここ以外では、15年間、一人でいた。誰とも話さない。誰とも接しない。誰とも交わらない。誰とも関わらない。…ず――――っと、一人で生きて来た。それが当たり前だった。
きっと、あの人たちは、それが基本形態。むしろ想定内。それ以上は求めていなかったし、それ以上のデータは必要なかった。
……はずだった。
……のに……、16歳になって、哩玖と出逢い、私の中で、何かがパカッ! って言ったような、そんな心が開いた音がしたんだ。
それからは、あの人たちは面白いように、私のデータを必死でかき集める事で、この実験の成功を喜び合った。
これは、革命だと。
私は、いいように使われている、という事は、とうの昔から解っていた。だけど、そんなの、どうだって良かった。つまらない人生だ。誰とも話さず、誰とも接しず、誰とも交わらず、誰とも関わらず、勉強と、たまにある定期検査をするだけ。私が、ちゃんと成長しているか、それは、体だけではない。脳も、心も……だ。
しかし、15年間、それは、失敗に終わったかに見えた。所詮、まだ、早かった…か、と。しかし、あの人たちは、とりあえず、20歳まで、実験を続ける事を決めていたらしかった。その間に、改良を加える点を見つける為、何とも細かく私を身長、体重、胸、お尻、足、髪の毛の成長速度など、じーっと観察と、計測を続け、後は、見ているだけだった。
そんな私が、16歳になり、一気に環境が変わった。私は、自己を表すようになったのだ。私が自覚しているか、していないかは、きっとどうだってよかったんだと思う。それは、今、こうして、人の温かさと、恋しさを知れば、とても酷い事で、許せない気持ちも湧いてくる。それは、きっと、間違いじゃない。でも、私には、それに、怒りや苛立ちの感情を持つ事は許されない。
許されなくていい……。
この日、私は、心底、そう思う事が出来た。
本当は、哩玖に初めて逢えた日、恋をした日、闘った日、一緒に暮らした日々、応援した日々、頑張る君を見つめ続けた日々、バレーを必死で頑張った日々、それらの日々を、重ねた事で、私は、何にも代えがたい宝物を、手に入れる事が出来たんだ。それは、ただ単に輝いている宝石じゃない。バレーで優勝してもらったトロフィーでもない。
きっと……きっと……哩玖が、香葡さんに渡した、マグカップより……きっと、きっとだけど、輝いてて、光ってて、眩しくて、鮮やかで、綺麗な朝焼けみたいな、見た事の無い、宝物だったんだ。
この感情を初めて感じたこの時、初めて手にしたこの時、私は、何もかもを恨んでいたこの人生に……なんの期待も、夢も、希望も、目標だって持ってなかった、この人生に、初めて光が射した気がしたんだ。
香葡さんは、しばらく、私を抱き締めたまま、離してはくれなかった。でも、そのハグが、何を意味しているのか……、私には、何となく、分かったような気がしていた。
その予想は、当たっていた――……。
その日、私と哩玖、香葡さん、杏弥は、哩玖、曰く僕たち家のリビングのソファや、カーペットの上で、雑魚寝した。もう、夜も遅かったしね。
私は、その日、本当なら、引っ越すはずだったから、あの人たちは、ちょっと勝手が過ぎる、と私に通達してきたが、私の目覚ましい成長過程に、特に文句をつける訳にもいかず、とりあえず、春休みが終わるまでは、また、君と一緒に暮らすことを許可してくれた。
だけど、一つだけ、どうしても、一つだけ、どうしようもない事があった。
君の事だよ。君と、香葡さんのこと。
君と、杏弥は、家に着くなり、ごろんと転がったかと思ったら、じきに、軽いいびきをかきながら、眠りに落ちてしまった。
でも、私と、香葡さんは、しばらく、キッチンに身を移し、温かい紅茶を飲みながら、しばし、語り合った。
「ねぇ、燈、本当に、転校……しちゃうの?」
「……はい。しちゃいます」
私は、笑顔を作った。
「じゃあ、あの時、私が言った事は……約束出来ない?」
「……出来ない……ですね……。香葡さんが、支えてあげてください」
「無理だよ……。燈だって、本当は分かってるんでしょ?」
「……それでも、私は……ここにいられるのは、春休みが終わるまでです。だから……」
「……そう言えば……燈って、どこの中学? 同中の子とか、聴いた事ないよね?」
私は、気付かれてはまずい所を気付かれた……と、少し焦った。
「……私、県外からなんです。両親が外国暮らしで、私は、日本にいたい、って言ったら、こうやってマンションも、生活費も、出してくれて……。まぁ、結構お金持ちってだけです。ふふっ」
「へー……、なんか、格好良いな。外国暮らしのご両親と、こんな豪華なマンションで一人暮らし……まぁ、今はなんかいるけど、豪華だよね~」
「まぁ…その分、制約も、沢山あるんですよ。色々と……」
これは、本当の話。
私の、この優遇された暮らしは、多大な制約に委ねられている。それを、この1年、大分、大幅に、かなり、侵したから、怒られたけど、でも、それ以上に、あの人たちにとって、貴重過ぎる程のデータが取れたんだから、そこは、私にも多少、我儘を言う権利があると思う。……と、直談判するほどまでに、自己が確立されつつあった。それはそれで、あの人たちは、嬉しそうだった。
「でも、燈だって……本当の事、分かってるでしょ? 私じゃダメってこと」
「……ダメじゃないですって! 香葡先輩。私なんて、『殴ってやった』でヒロインを勝ち取っただけの、子供の頃誰もが通るヒーローものの主人公なんですよ。でも、みんな、大人になったら、何が面白かったんだろう? ってなるでしょ?幼かったなぁ……って、懐かしんだりするでしょう? それと、一緒です」
「そうとは……思えないんだけど……」
「でも、もし、香葡先輩の勘が当たっていたとしても、私は、もうすぐいなくなるんです。春休みも……もう、終わりですよ。桜の季節が来る前に……、私は、散って行くんです。誰にも、誰の目にも留まらない、蕾のままの桜が、もがれるように、散って行くんです……」
「……なんでだろう? 燈と話してると、何となく、人と話してるのが嘘みたいに感じる。燈が、人じゃないみたいに……なんか、消えちゃいそうに…でも、とっても大人に……なんか、上手く言えないけど、燈が、燈じゃないみたい……。どんどん、時がたつごとに、燈が遠くに行っちゃう気がするよ…」
香葡さんは、なんて、鋭い人なんだろう?私は、そう思わずに、いられなかった――……。
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