005
「オレの家は貧乏だった」
チルドは訊ねられてもいないことを喋り始めた。
「親は社会でうまくいかないストレスをオレにぶつけた」
「あなた……いきなり何を……?」
制止しようとするリズムの言葉を遮り、チルドは話し続ける。
「ろくに食い物も与えられず、国の補助金で入った学校でも勉強も運動もできなかった。そのうえ大人しかったオレは人と話すことがうまくできない」
悲痛で、自虐的な告白だった。
「そんなビクビクしているオレが底辺の学校へ行ったらどうなるかわかるか? 毎日殴られて蹴られて、顔がムカつくと言われて金を請求された。男からも女からもだ」
チルドの口から泡が零れていく。
「自分で死にかけのゴキブリをケツの穴に入れる気持ちがお前にわかるか? 穴の中でモゾモゾ動き回る害虫を木の棒で突かれる気持ちがわかるか? お前は戦争にいたとかいってもてはやされたな。凄惨な現場で血塗れになって大変だった言われていたな。同じ悲劇でも、オレとお前じゃ差があり過ぎるだろ?」
過去の記憶がチルドの身体を震わせていた。
リズムはかける言葉が見つからない。
彼女の経歴は、他人から見れば悲劇のヒロイン、そして勇気のある英雄だろう。
早くから両親を失い、兄と二人で暮らし、戦争に巻き込まれ、前線で血塗れになって重傷者の治療を手伝っていた。
その悲劇を知れば、誰もが苦労しただろうと思うだろう。
共感もされるし、応援もしてもらえる。
だが、チルドのように他人と仲良くできずに、弱く頭が悪いという理由から暴力を受け、持ってない金を要求され、女からも嫌われるという悲劇は誰も共感しないし、助けてもくれない。
両親も自分の鬱憤を息子に振るうだけで、むしろ何もされないほうが良いくらいだ。
チルド自身も自分を助けない。
いわば無様で情けない。
他人が笑うような孤独な苦悩だった。
その悲劇が理解できる知能があるゆえに、チルドの苦悩はさらに深く落ちていく。
いっそもっと自分が馬鹿だったら、と思わずにはいられない悲しみだ。
「……それは、辛かったよね……」
リズムの言葉は続かない。
慰める言葉が出てこない。
そんなものは存在しないのだ。
「でも……誰でも生きていれば苦しいことは……」
「それがなんだってんだよッ!」
ようやく口を開いたリズムの言葉を、チルドは拒絶する。
「そんなのはオレの悲劇じゃねぇ。世界はどっかの宗教テロ組織のせいで崩壊寸前までいったが、オレの境遇は何も変わらなかった。その後の戦争で飢えや戦火に巻き込まれるなんて、むしろオレはそっちのほうが良かったッ!」
チルドは椅子に固定された身体を激しく動かし、リズムへとさらに迫る。
「オレは戦うことも劇的に死ぬことも許されなかったッ! オレだって、お前みたいに聖女なんて言われて戦いたかったよッ!」
荒い息でチルドの話は終わった。
リズムには、彼にかける言葉はやはり見つからなかった。
その境遇には救いがないのは当然だが。
問題は、その悲劇に人としての尊厳が少しもないことなのだ。
立ち尽くす彼女に、ブラッドがそっとその肩に触れる。
言葉はなかったが、リズムは彼が言いたいことを理解し、部屋から出て行った。
チルドは息切れしながらも、そんなリズムの背中を睨み続けていた。
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