月が満ちて、消えてしまう前に。
彩空百々花
序章
もし、あなたの愛する人がどうしようもできないほどのとてつもなく重く大きな運命を背負っているとしたら、どうしますか。
あなたが愛する人が、この冬、姿形なく消えていく運命だとするならば、あなたは何をしますか。
何も行動に移せぬまま、ただただその方の死を受け入れますか。それとも、運命に抗おうと、懸命に努力し続けますか。この身が削れて壊れようとも、その方のために何か出来ることがあるのなら、そうしますか。
さあ、あなたならどうしますか。運命は、決して変えられない。神が定めた方程式の在り方は、人間の手でどうこうできる代物ではない。
そんなこと、初めから分かっていた。だけど、私は救いたかった。この身がズタズタに引き裂かれてしまうその日まで、どうしても彼を、救ってあげたかった。──愛する人を、守るために。
そのために流す涙なら、私はもう何にも恐れずに流し切ることが出来るだろう。
❆ ❆ ❆
『あの満月にうさぎは本当にいると思う?』
妙に静かな声で、突然そんなことを聞いてきた君の突拍子もない質問に、何て答えるのが正解だったのだろう。
『いないんじゃない?だって、宇宙だし。うさぎは息ができないでしょ』
『……ははっ、そうだね。ゆうの言う通りだ』
明るく笑いながら私の答えを肯定したあの夜の君。
だけど、私から視線を外してもう一度光り輝くまん丸い満月を見上げた君は、とても寂しそうな横顔をしていた。
私のその答えが、君の心を深く傷つけていただなんて、あの時の私には到底気づくことが出来なかった。
……なんで、あんなことを言ってしまったのだろう。なんで、あんな酷いことが言えたのだろう。
きっと一生分の勇気を振り絞ってそんな質問をしてきた君に、私はどうしてあんなに軽い答えを返したのだろう。
───なんで、もっと深く考えて、真剣な返しが出来なかったのだろう。
もし君がもう一度、あの時と同じ質問をしてきたのなら、私は絶対にこう言うよ。
〝満月にはうさぎは必ずいる〟と───。
他でもない君が、私にそれを教えてくれたから。
❆ ❆ ❆
ねぇ───、君はこの言葉を知っている?
この世界に存在する全ての人間はね、愛されるに相応しいものを愛すんだって。
私は、そんな言葉は間違いだって、心の底からそれを全否定したくなるくらい、強くそう思ったよ。
君はいつか、この世界から音もしないままに消えて、何も言わずに私の前から去って行くのだから───。
君以上に、愛されるに相応しくない人はいないって思ったんだ。
『俺、太陽のもとには出られないんだ。俺が外に出れるのは、月の光が輝く満月の夜だけ』
運とは、あるべき場所にあるべくして舞い降りる。
そんな残酷な
『渚は、強く生きたいと願ったことはないの?』
『──…うん。そんなことは、一度も願ったことないよ』
『それは、どうして……?』
『……だって俺は、この世界にとって邪魔でしかないから。俺が今、息をしているというだけでこの世界は腐り切ってしまうから』
苦しそうに、悲しそうに、虚しそうに、顔を歪めてそう言った君の横顔が、どうしようもなく他人の助けを求めているということに、
その時の私は気づくことが出来なかった。
渚がどれだけ胸が押しつぶされそうなほど狂おしくて辛い思いをして、どんな風にこの残酷な世界をその静かで波立つことを知らない水面のような藍色の瞳に映して、どんなことを思っていつも私の隣にいてくれたのか。
〝あの日〟の君にどんな言葉をかけてあげたらいいのかだけをただ必死に考え倦ねて、悩んで葛藤して、やっと見つけ出せた言葉。
私が本当に君だけに伝えたかった、たった一つの言葉。
それは、───
君は、この世界の邪魔者なんかじゃないってこと。
君のおかげで、この世界には毎日静かな夜が訪れていたのだから。
君と満月の関わりを言葉で表そうとすれば、沢山の人達の心臓が
だから、渚───…。
君はもう、静かに眠っていて。
何の騒音も入らない静かで美しい世界で、優しく微笑んでいて。
私は、君が愛されるに相応しくない人間だなんて酷いことを言ってしまったけれど、本当はそんなことないんだよ。
だって私は、こんなにも恋い焦がれるほどに君のことを求めてしまっていたのだから。
君はこの世界を救ったの。全世界の人間から愛されてもいいくらいに、君は君の全てをこの満ち欠けのために削ったの。
───月が満ちて、消えてしまう前に。
私は君に、一体どれだけのことをしてあげられただろうか。
どれだけの幸せを、君に分け与えることが出来たのだろうか。
今になってはもう、その答えさえ分からない。
この世界にはもう、君の心の息が聞こえない───。
だから今はどうか、君があの空の向こうでも、安らかに眠っていることを祈ります。
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