新入部員その3


 面白君千歌つらしろきみちか先生は赴任初日にして学園随一の問題教師、いや問題児に認定された伝説の持ち主である。




 変態性自然主義文学における肉体と心の関係を余すことなく文章に落とし込む姿勢は、魂の拠り所さえも赤裸々に、そして露骨に描写することで昇華される。それは現代文学のボーイズラヴ小説と大いに通ずる一面がある。だがしかし、ややもすれば未だ全容が掴めぬ理想に近付きたいがために、空想の限り、妄想の果て、過激なまでに美化された表現もまた認知される。露骨な描写か。美化される表現か。はたまた、あまりに欲求を包み隠してしまったがために凪いでしまった心の海か。それが杞憂に終わることを、私は強く望む。文学の変態性とは一時的な心の欲望ではなく恒常的に解放されるべき心の情景なのだ。皆様におかれましては、田山花袋たやまかたいの『蒲団ふとん』の一幕にあるように、汗と涙、その他体液や分泌物が染み込んだ布団の匂いを嗅がれるような、溢るる蜜の如くに知性のみを裸体に纏った文学女学生に育て上げることこそ私の究極の使命で──ガガッ、ピーッ。

 何をするのですか! まだ私の自由への表現は終わっていません! 皆さん、心のときめく方向を、心のときめく方向を目指シテェッ! ガピーッ。




 赴任初日、全校集会の壇上での挨拶途中、学年主任に引き摺り下ろされた面白君千歌教諭は睛明館学園七伝説の一つとなった。

 常に世の中に不満があるような眼鏡越しの三白眼睨みさえなければ。スレンダーボディに黒を基調としたタイトなスーツを身に付けた立ち姿もきれいで、足を組んだりしたら絶対かっこいい細い脚が黒タイツに美しい曲線を描いて、一本の三つ編みに結えた黒髪も艶やかなとっても美人な先生なのに。ほんと、もったいない。

 でも、面白い奴が来たぞ、と一部の生徒から熱狂的な支持を集めた先生だ。その一部ってのが、我らが船形泉子先輩。こちらも学園随一の問題児であったりする。

 泉子さんは言葉巧みにキミッチ先生に交換条件を突き付けた。いやいや、普通逆よ。こっちがお願いしてるのに。


「キミッチ先生が顧問になってくれれば、幽霊部員である縁樹をもう一度学校に連れて戻ります」


 蓬莱縁樹ほうらいえんじゅ、といったか。我が落語研究会の幽霊部員にして、不登校の末にもう一度一年生をやる羽目になった同級生の先輩、という噂。


「うむ。いいだろう。二度目の一年生の蓬莱くんを登校させたら、私が『耽美たんびなるデカダンス文学研究会』の顧問を引き受けよう」


 泉子さんとキミッチ先生が真正面からぶつかり合う。微妙に違う条件を突き付け合い、お互いの胸の張り具合から言って、どちらも一歩も譲る気はなさそうだ。


「ちょいとお待ちを!」


 いやね、もうつっこまずにはいられない。私は勢いよく手を上げて二人の間に割って入った。


「蓬莱さんの気持ちも考えてあげてください! 二度目の一年生って、それを交渉のネタにするなんて!」


「そっちかいっ! 謎のデカダンス集団はスルーすんのか!」


 真夜の裏拳のようなつっこみが私のおへそを直撃する。


「何よ、謎のデカダンス集団って」


「デカダンスってのは、そりゃあ、デカダンスだ。知らんけど」


「デカダンスって何ダンス?」


「デカスロンみたいなものよ」


「また謎ワード増えちゃったじゃん」


 私と真夜が即興お喋りしてたら、顧問候補のキミッチ先生が眼鏡の奥から鋭い三白眼で睨んできた。私も真夜も思わず口籠もる。


「デカダンスとは破滅を羨望するような退廃的な享楽主義文学界を言う。今の君たちに贈る言葉だ」


 そしてお弁当の唐揚げをぱくり。見れば、そのお弁当箱には小ぶりな唐揚げのみがみっちり詰まっている。


「何にしろ、秋保くんの言うことは正論だ。たしかに私も興に乗ってしまっていた。すまない。無論、蓬莱くんの気持ちを最優先させる。無理強いはするな。それでよいか、船形くん」


「デカダンス研究会は聞き捨てなりませんが、そっちは了解しました。縁樹がイヤだと言ったら、民俗資料研究会はきっぱり諦めます。デカダンス研究会でいきましょう」


 そっちかい。心の中でつっこんでおく。泉子さんもノってきたようで、即興漫才が中途半端に終わってしまった私と真夜を見やる。それでいいな? と言っているような有無を言わせぬにっこり笑顔で。


「研究会の名前は置いといて、キミッチ先生って顧問と憩いの部室も確保できたし、あとは縁樹を部屋から引き摺り出せばオールオッケーだ。てなわけで、先生、盃を交わす意味で唐揚げ一個ちょうだい」


「ああ。生徒と自作のお弁当をシェアする。これぞ理想の教師像って奴だな」


 差し出されたお弁当箱からひょいと唐揚げ一個摘む泉子さん。君らもどうだ? とキミッチ先生はみっちり詰まった唐揚げを私と真夜へ向けた。はい、いただきます。


「では、民俗資料研究会の存続に」


 泉子さんが唐揚げをすっと掲げ上げた。


「お笑い研究会設立に」


 真夜が真似して唐揚げを高く摘み上げる。


「落語研究会新設に」


 私も控えめに。


「耽美なるデカダンス文学研究会のために」


 キミッチ先生はお弁当箱ごと。


「やっぱりその名前やめません? 耽美なるってとこ特に」


 一応、つっこんでおいた。




 放課後。学園最寄り駅から電車で四駅。謎の二度目の一年生、同級生な先輩であり、研究会昇格のカギを握る幽霊部員、とまあパワーのある肩書きがどっかりのしかかった蓬莱縁樹さんのお家の前に、私たち三人は立ち尽くしていた。


「ご立派なおうちっすねー」


 真夜がぽっかりまんまるお口を開けて見上げた。私や真夜の一般庶民からすればそれはそれはお城のような豪勢な屋根を持った大邸宅なのだ。


「昔っから見てたからよくわかんなかったけどさ、縁樹はほんといいとこのお嬢様だな」


「昔っから?」


 私の問いかけに泉子さんが腕組みしてうんうんと頷く。


「私と縁樹は幼馴染なんだ。メグルちゃんと真夜ちゃんみたいに、幼稚園から一緒だ」


 幼馴染。そういえば、泉子さんは蓬莱さんのことをよく知ってるふうに言ってた。それでか。


「とにかく、引きこもりと化した縁樹を部屋から引き摺り出すよ。おまえらお得意の怖い漫才で名付けて『天の岩戸作戦』だ」


「無茶っすよ!」


「無謀の限り!」


 私と真夜は同時につっこんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る