第2816話・静かなる冬

Side:慶寿院


 思わずため息が漏れました。


 甥である関白は私が庇って当然だと思っている。確かに女は実家と嫁ぎ先を繋ぐのが役目、まして将軍家と近衛家ともなると繋いで当然のことです。


 ただ……私の覚悟も立場もまったく理解していない。


 確かに私は将軍家と近衛家を繋ぐ役目もありますが、大樹とその治世を守り支えるのもまた役目。世を乱す真似をした関白を守り、世を乱すことを良しとすると思われたのでしょうか?


 さらに私が関白の書状を兄や大樹、桔梗殿たちにそのまま明かすと考えないところをみると、自身の失態を心から理解しておりませんね。


 大樹が関白を許そうとしているのは、他でもない内匠頭殿が関白を敵とみなしていないからでしょう。なんということはない。内匠頭殿の慈悲で許されただけ。


「あまり考え過ぎてはなりませんわ」


 ため息から察した桔梗殿の言葉に思わず困った顔をしてしまいます。いかに桔梗殿とはいえ、あまり弱みを見せるのはよくないのですが……。


「分かっております。ただ、先々を案じてしまうのです。兄上も私ももう若くないのですから」


 よくないと知りつつも、悩みを打ち明けることが出来るのは桔梗殿たちしかおりません。


「我が殿と私たちを信じていただきとうございます」


「信じております。故にすべてを打ち明けているつもりです」


 程よい温かさの紅茶に心落ち着くような気がします。桔梗殿ならば茶人としても生きていける。もっともこれだけの才覚がある者を茶人にするには惜しいとも思いますが。


「私たちは異なる世を望むからと、その者を潰すつもりはございません。我が殿は無益な戦をする者を好みませんが、関白殿下はそこまでされておりませんから」


 その言葉に心から安堵します。内匠頭殿の良きところであり恐ろしきところでもありますね。すべてを吞み込んでひとつにしてしまう。


「私たちは関白殿下をそそのかしていた者たちのことが知りとうございます。良しなにお願い申し上げます」


「分かっています。私たちが対峙するべき相手をはっきりさせねばなりませんからね。私のほうでも探っておきましょう」


 久遠から頼まれ事をするのは珍しいことですが、此度は理解します。確かに関白の周辺を探るのは兄上と私のほうがいいでしょう。


 いずれ京の都と朝廷は掃除しなければなりませんからね。




Side:久遠一馬


 すっかり寒くなったなぁ。暖かい部屋で義統さん、信秀さんとお茶にしているが、冬の少し寂しい庭の景色もたまにはいいものだなと思う。


「太閤殿下はお怒りだと思うか?」


 煎茶を飲んで茶菓子であるおせんべいを食べていると、義統さんから問いかけがあった。一応、近江からの報告はすべて知らせてあるが、憶測になることは求められるまでは仕事として報告はしない。


 今みたいに個人的に聞かれたら答えるけどね。


「お怒りでしょうね。ただ、殿下は寺社や畿内の諸勢力を信じておられるわけではないので、騒がれることもないかと」


 怒ってはいても想定の範囲内だと思う。朝廷も寺社も変えないといけないという考えは一致しているし。一時の感情に流されて動くほど近衛さんは甘くない。


「わしには敵に回してはならぬ者を敵に回したようにしか思えぬの」


 それには同意する。近衛さんほどの立場の人が、オレたちを理解して合わせることがどれだけ難しいか。一番敵に回しては駄目な人だ。


「おっしゃる通りかと。ただ、大局として見るとあまり変わらないかもしれません」


「すでにご覚悟はあるか。そういえば叡山や石山が挙兵したら、殿下も動かれると言うていたのだったな」


 その言葉で義統さんと信秀さんの顔が為政者のものに変わった。


 近衛さんが表立って動いて寺社と対峙するという話は、家中ではふたりと信長さんと義信君の四人にしか伝えていない。あくまでも個人的に話したことだしね。ただ、事の重要性から最低限は伝えておく必要があると判断したんだ。


 妻たちとか身近な人と情報を共有することは知っているから近衛さんも承知のことだろう。無論、晴嗣さんのように外に漏れるようなことにはしない。


「はい、日ノ本の受け継いだものを残そうとされておられますから。その妨げになる者は……」


 近衛さんは日ノ本の歴史と伝統の価値を理解し、大切にしている人だ。近衛さんがオレを信じてくれる理由にはオレもまた歴史と伝統を残そうとしているからだろう。


 そう言う意味では、世の中を乱すだけの者はとっくに見切りをつけている。


 そもそも晴嗣さんの下で悪口大会に参加していた者たちは、それぞれの勢力をまとめているような者たちではない。


 公家たちは付き合いから一緒にいただけの人もいるし、武士も宗教関係者も不満をこぼしていても争う覚悟と力がある人はいない。


 良くも悪くも寄り合い所帯なのは、この時代の共通するところだ。


「一馬、いかがする気だ?」


 そう、問題はそこなんだよね。信秀さんもこの件ばかりは即決するのは難しいと言いたげな顔をしている。


「関白殿下次第ですが……。当面は様子見ですかね。やはり将軍家と古河公方家の婚礼を終えないと動けません」


 あっちもこっちもと手を出すのは駄目だ。四面楚歌になる危険が今もあるんだ。東西の足利を繋ぐ婚礼はなんとしても成したい。


 さらに奥羽では葛西と伊達も相変わらずだ。


 伊達としては葛西から手を引くことは難しいが、織田と全面対決をして勝てる見込みもない。さらにこちらも積極的に解決に動いていないことで、葛西の内乱というかあの地域の対立が続いたままになっている。


 葛西と手切れにしたい北方の国人衆も決して弱くはないしな。この時代らしく戦と停戦を繰り返しつつ、現状は大きな変化がない。


 それにこちらに隙があると見ると北陸の越中勝興寺が動いてしまう。だいぶ追い詰めているが、それ故に暴発の危険もあるんだ。


 現状では加賀一向衆が越中勝興寺と共に動くことはあまり考えられない。ただ、どさくさ紛れに加賀も包囲網として警戒したことで、こちらにあまりいい印象はないだろう。


 石山本願寺も加賀の尾山御坊も、加賀の支配権を手放す気はないし。石山の統制があまり取れていない部分もあるので、北陸が危険であることは変わらない。


 反三国同盟の連中は畿内のどこの勢力にもいる。一々相手にしていると、その勢力すべてを敵に回すことになりかねない。


 幸いなことに晴嗣さんは、すべてを懸けてこちらと争う気はない。彼と上手く付き合えば、彼を炊き付けていた者たちは責任を問われることを恐れて当面は大人しくするだろう。


 その時間を最大限に活用させてもらう。



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