第2786話・雨の清洲

Side:上泉秀綱(信綱)


 強い雨が降ったことで、この日の試合は取り止めとなったか。織田の者が傘を持って来たことで我らはぬれずに済んだが……。


「あの者らは……」


 清洲城に引き上げしようと立ち上がると、見物していた民や坊主が試合場に出てくるのが見えた。騒ぎでも起こすのかと少し気になり見ていると、陣幕や武芸大会で使う道具を片付ける織田の者を手伝っておるではないか。


「恐ろしき国だな」


 殿も見ておられた故、同じことを考えられたようだ。


 奪うのではない。手を差し伸べて共に励む。褒美が出るのかまで知らぬが、噂以上にこの国はひとつとなっておるらしい。


 秋も深まりつつある昨今の雨は冷たい。濡れることなど慣れておるといえばそうかもしれぬが、それでも驚くなというほうが無理だ。


 それに……、これだけ人が集まっておるというのにおかしな騒ぎになっておらぬ。雨に濡れながらも争うことなく、各々の家に戻る者らに唖然としてしまう。


 弟子たちから聞いていた通りだ。いや、それ以上か。わずか十数年でかような国を造ったというのか?


 わしはまことに仏の国に迷い込んだのではあるまいか?




「雨かぁ、こういう時もあるよな」


「おう! 雨なんぞに負けてたまるか!」


「焼き鳥~焼き鳥~、雨が降っちまったし安くしとくよ!」


 試合場の外、運動公園という場には多くの物売りがおるが、そこでは雨が降り続いているというのに多くの者が気にすることなく楽しんでおった。


 もっとも人が多く集まるところは……。


「これが久遠家の物売りか」


 並ぶ者があとを絶たぬ故、天幕の下で今も商いを続けておる。


「アハハハ、雨のおかげで並ぶ人が減ったな」


「まったくだ」


 喜び待つ者はなんとよき顔をしておることか。


 そんな並ぶ者に傘を手渡しておる子らがいた。あれは内匠頭殿が猶子としているという久遠家の孤児か。


「傘をお貸しますよ」


「ああ、オレたちはいい。雨なんて慣れているからな。他の奴に貸してやってくれ。年寄りや女子供が濡れて風邪でも引いたら大変だ」


 敵わぬな。ここでは慈悲の心が皆にある。


「仏を修羅にしてはならぬな」


 殿のお言葉に答える者はおらぬ。異を唱えることなど出来る者がおらぬのだ。


 織田は武士と思えぬほど寛容だ。故に修羅としてはならぬ。因縁があった今川ですら許したのだ。許さなんだのは謝罪を拒んだ安房の里見など僅かな者だけ。


「慈母の方様、いかが致しましょう」


「そうね、幼い子は戻しましょう。ここは私たちでやるわ」


 あれが慈母の方殿か。土岐家の愚か者から身を挺して見ず知らずの子を守ったとされる女。なかなかの者と見える。


虎賁こほん様、お先にお戻りください」


「大事ない、私のことは気にせずともよい。せっかく支度した食材だ。欲する者がいる限り売ってやろうではないか」


「分かりました。左様におっしゃるならば、お願い致します」


 虎賁様だと!? 慈母殿が目上として扱うておる。つまり考えられるのは北畠の若御所様か!? 何故、かような場におるのだ!?


 確かに周囲では虎賁様の作る料理を欲する民が並んでおる。それほど美味いのか? いや、何故、かようなことを……。


 わしばかりではない。殿も他の上野国人衆も驚き、信じられぬと目を見開いておる。


 分からぬ。分からぬが、この国は我らでは計り知れぬということだけは確かか。




Side:久遠一馬


 雨が断続的に降り続いている。


「殿、露天市のほうは賑わったままでございます」


 試合は中止にしたが、武芸大会という祭りは続いているか。


 今年から始めた源平碁と久遠絵札の試合は室内だから続いているし、すべてを取り止めたわけではないのだが。


 まあ、これはこれでいいのかもしれない。あれもこれもと上が決める必要はない。


 風邪を引かないかと気になるが、雨に濡れるのはめずらしいことじゃない。


 招待客も多くは清洲城に戻ったが、中には源平碁とかの試合を見に行った人もいるし、領民に混じって露店を楽しんでいる人もいる。


 遠方から来ている見物人の中には、そのまま津島、熱田、蟹江に行った人も結構いると報告がある。


 あっちの展示は雨でも関係ないからなぁ。


「大会期間が延びるから、みんなが最後まで見物出来るようにお願いね」


「畏まりましてございます」


 問題はこっちだ。本当にギリギリのお金で見物に来ている人が相応にいる。野宿をしつつ最低限の食料を買い求めるだけでも旅は出来るからな。


 みんなが武芸大会を最後まで見られるように対処しないと。ただし、誰かが多く負担をしてというよりは、みんなで支える形が望ましい。最終的には織田家で支援する形になるのだろうが。


 織田家中にもいるんだよね。儲けている商人や寺社が負担したらどうかと考える人がさ。それも悪くないが、負担はなるべく公平にするべきだ。




 いろいろと手配していると、シンディが姿を見せた。


「せっかくだし、予定にないけど茶会をしようと思うんだけどどうかしら?」


「茶会か、いいんじゃないかな。オレも参加するよ」


 作法とか形を定めない茶の湯が尾張だと浸透しているから、こういう時は楽だね。みんなで顔を合わせてお茶を飲んでちょっとおしゃべりでもしたらいい。


 高貴な身分の遊びを否定する気はないが、もともと尾張だと気楽にお茶を飲むのが主流だからなぁ。


 シンディの影響もあって近江でもどちらかというと同じらしいし。公私の使い分けというか、格式をきちんと定める場と定めない自由な場の両方があるんだ。


「問題なさそうなら上野の国人衆も同席してもらったらどうかな?」


「ええ、いいと思うわ」


 義輝さんは反対しないだろう。武芸大会はどっちかというとウチの流儀でやるのが当然になりつつあるし。


 実は上野の国人衆、義輝さんへの拝謁はまだなんだよね。わざわざ拝謁するタイミングを設けることまでしていないんだ。正式な拝謁ではないが、この機会に顔合わせをしてもらったほうがいいかもしれない。


「じゃあ、支度をお願い。上様にはオレから話しておくよ」


 上野の国人衆は義輝さんと憲政さんの様子を直に見たほうがいい。憲政さん、同格と格上との付き合いは悪くないんだ。


 確かな情報があると外交は上手くやるタイプかもしれない。織田家だと京極さんや姉小路さんがいるから分かるが、この手のタイプは平時に評価が上がる。


 京極さんなんて義輝さんに疎まれ隠居したはずなのに、隠居はどうしたと言いたくなるほど忙しいし。


 時代との相性とかもありそうだなぁ。長野さんは乱世が得意そうだが、憲政さんは太平の世が得意そうだ。双方共に見直すくらいのことがあるといいけど。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る