第2782話・第十四回・武芸大会・その四
Side:長野業正
まさか六角の嫡男が出向いてくるとはな。いささか迂闊ではあるまいか?
今や天下を差配するとまで言われる六角だが、管領細川京兆家はさぞ恨んでおろう。ここは細川の手の届かぬ尾張とはいえ、これだけ人の集まる場で僅かな供の者だけで出歩くとは……。
それとこの男らだ。
まずは愛洲太郎宗通、伊勢北畠家の客将となっておるとか。先代の移香斎殿のことは聞き及んだことがある。倅は陰流宗家としては可もなく不可もなくという噂を聞いたこともあるが、織田の武芸大会に出て以降、その名が轟いておる。
先日会うた武蔵守の話では、先代を超えたのではと言うておるほど。
次に柳生新介宗厳。大和出身でありながら久遠内匠頭殿に仕官を請われた数少ない男という話はわしでも知っておる。
今巴の方という女に勝てぬことで、その強さにいささか疑念を持たれることもあったが、直に見てみると確かに強いのが分かる。
鉄砲や金色砲など騒がれるが、織田は武芸においても決して劣っておらぬとか。まあ、左様なことは今更だが。
次にこの男、滝川慶次郎秀益。先に上げた今巴の方と共に関東で名が知られておる男だ。安房里見を総崩れに追い込み今弁慶と称される男だ。ただ、この男はあれ以来あまり名を聞かぬのだが……。
「いや、たまには所領を出てみるものだな。これほど強き者らと会えるとは……」
武蔵守は相も変わらずだ。上機嫌な様子で愛洲殿らと談笑しておる。
戦に出れば功を上げ、常日頃から武芸を鍛練し強き者が来ると歓迎する男故、かようなことは珍しゅうないが。
わしは武蔵守ほど人付き合いが上手くない故、羨ましくもある。
「長野殿は上野において皆をまとめ上杉と北条の間で上手く所領を守っておられたとか。さぞ難儀したであろうな」
つらつらと考えておると、六角の嫡男四郎殿がわしに声を掛けてきた。いささか気を使っておるらしい。
少しばかり覇気が足りぬのではあるまいか? かような男では次の管領代は務まるまい。細川と争いになってしまうぞ。
「はっ、難儀致したと言えぬこともございませぬが、それはいずこも同じでございましょう。今の世は皆が難儀しておる故」
「そうかもしれぬな。わしなどまだまだ若輩者故、皆に教えを請いつつ学んでおるところだ。幸いなことに近江は戦が減った故にな。尾張や伊勢に出向いて多くを学べておる」
いささか心もとないが、周囲の声に耳を傾ける度量はあるか。関東管領殿を思うと上に立つ者はこのくらいでもいいのかもしれぬな。
なにより斯波、織田、久遠とよき友誼を築いておるのはなによりの功か。わしに欠けておるものじゃからの。
長尾越後守も同類かと思うていたが、あやつめ越中で滝川儀太夫と通じて見事に友誼を得てしまったからな。いささか気難しい男にも思えたのだが……。
上手くやった越後守を褒めるべきか、あの男に心を開かせた儀太夫を褒めるべきか。双方共に一廉の男であることは間違いないが。
越中に越後守と話せる男を送り出した弾正殿と内匠頭殿の勝ちと見るべきかもしれぬな。
Side:上泉秀綱
愛洲殿は武芸大会の間に来るとは思うていたが、六角四郎殿まで連れてくるとはな。少々気難しい我が殿を察して、話さねばならぬ身分の者を連れてきてくれたのであろうか?
四郎殿は、まだ若いがなかなか胆が据わっておる男だ。
己の地位と立場をひけらかすことはないものの、へりくだることもない。この若さだと己の力と功を求めて血気盛んになってもおかしゅうないというのに。
それとこのふたり、柳生殿と滝川殿。両名共に強い。
「ひとつよいか? 滝川殿は武芸大会で名を聞かぬが、わしには勝ち上がれぬとは思えぬのだが……」
「某、武芸大会は出るより見ておるほうが好きでございましてな。出ておりませぬ。我が殿には勝手を許していただいておりまする」
なるほど、この男ですら勝ち上がれぬのかと思うと恐ろしゅうなるところであったわ。そういえば、滝川殿は絵師としても名が知られておるはず。
多才な男故に武功を好まぬのか?
「自らの生きる道は自らで決めさせたい。我が殿が重んじることでございます。武芸大会は自ら望む者だけが出ているのでございます」
柳生殿の言葉にこの国の恐ろしさを感じる。
昨年、弟子らを尾張に遣わして戻った時もいろいろと聞いたが、まさにその通りだということか。
自ら望む道を生きられる国故に、多くの才ある者が集まり国を守るために尽くす。
戦の勝敗などいかようでもいいということか。
「自ら望む者か……」
目の前では織田の民が足の速さなどを競っている。あれも自ら望んでということであろう。
皆、必死に挑み、よき顔をしておる。
飢えや憎しみで心が満ちると人は相応の顔となり、悪鬼羅刹の如くなる。この国では左様な者がおらぬのかもしれぬ。
我が殿やわしの日々が間違うていたとは思わぬが……、世はすでに変わっていたということか。
Side:久遠一馬
子供たちと共にみんなで移動する。途中ウチの子も見掛けて一緒に来るなどしているが、尾張だと珍しいことではない。
織田家中の子は別として、六角や北畠や奉行衆の子たちは祭り自体が珍しいみたいでキョロキョロとして目を離すとはぐれそうになる。
乳母さんや傅役がいるから大丈夫だし、周囲にいる大人たちも子供が迷子になったら案内所に連れていくなどしてくれるので問題ないけどね。
こういうみんなでの助け合いは日ノ本で一番進んでいると思う。実際、迷子の子を拉致しようとした人買いがいても領民が声を掛けて阻止してくれるし。
たまに実の親子でも疑われることがあるが、そういうことも含めてみんなで子供を守るという価値観は急速に広まりつつある。
もともとこの時代では村単位でやっていたことだからね。それが領国単位に広まっただけだ。まあ、それが大変なんだけど。
「金色酒がこの値なのか!? 偽物ではあるまいな!!」
うん? なんか揉めるような声がする。
「しつこいな。本物だよ。武芸大会で偽物の金色酒を売る奴なんていねえぞ」
ああ、いつものあれか。尾張の祭りだとよくあることだ。
三国同盟の領域と他国の物価の差を知らない人が騒ぐんだ。安すぎるけど偽物じゃないのかって。ただでさえ物価の差が大きいのに、祭り期間中はさらに安く振る舞うことが珍しくないからなぁ。
関東訛りがあるからよく知らないまま来た人だろうなぁ。関東府の再建があったことで関東でも尾張が注目されているから、今年は関東から武芸大会に合わせてきた人も多いんだ。
今のような他国ではありえないような揉め事がある。
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