第2757話・残るモノ

Side:久遠一馬


 夏も後半となると、武芸大会の話題が出始める。


 今年の武芸大会をどうするかは昨年の大会後から定期的に議論をしているのだが、武芸大会は注目度も高いことから献策や意見が上がって来ることが多い。


 奥羽や久遠領、北畠や六角を含めて幅広く出場してほしいというのが大多数の意見だ。


 こちらの報告書は読むのが楽しみだ。一方、あまり読みたくない報告書もある。慶光院清順さんの報告書もどちらかというと好んで読みたいものではない。


「寺社になにを求めるか。人それぞれ違うことが問題を複雑化させているんだよなぁ」


 ついつい愚痴るようなことを口にすると、エルたちや資清さんたちがなんとも言えない顔をした。


 清順さんは自身が真面目だからこそ、多くの人から信頼を得ている。ただ、それを神宮に求めているのは個人的にどうなんだと思ってしまう。


 オレは寺社に対し、祈りの場、心のよりどころ、伝統文化。そのくらいしか求めていない。だからこそ病院や学校の末端として生きられるようにした。


 神仏と寺社と坊主は別物というのは織田領を中心に広まった価値観だが、この件に関しても同じだと考えている。


 はっきりいうと神宮に祈りとか権威に相応しい振る舞いなんて求めていない。


 極論を言うなら、自分で稼いで人に迷惑を掛けないならば酒を飲むなり遊ぶなり好きにしていいと思う。神宮の場合、領民や他者に生き方を強要しないので個人的に他の宗派の寺よりよほどいいとさえ思っている。


 実際、織田家では寺社の統制をしているが、戒律に口を出すことはない。


 そこのところを清順さんはまだ理解していない。沢彦さんはそういう部分を含めていずれ本人が答えを出すと見ているが、正直、あまり非現実的な答えを出すと面倒になるんだよな。


 アーシャからは慶光院全体を守ったほうがいいと報告が上がっているが、それもこれも清順さんがひとりだけ正しすぎることが理由だ。


 確かに神宮からすると目障りだろう。


 とはいえ清順さんは間違っていない。オレもそこは指摘出来ないし、どうするべきか迷うな。


「殿、慶光院の忍び衆を増やしてはいかがでございましょう。命までは奪うことはないかもしれませぬが……」


 望月さんが言うように命を奪うことはないだろう。仁科三社が命を落とすほどの事件を起こしたことが現状のきっかけだ。織田がそれを許さないのはさすがに理解しているはずだ。


 ただ、慶光院という組織を貶めることはするかもしれない。誰もが清順さんほど出来た人なはずがない。ハニートラップやお金を渡すなどして利を与えると、人はあっさりと欲に負けてしまうものだ。


「そうだね。それしかないか」


 どこの組織もそうだが、意見や対立はある。中の人を含めて立派な寺社にするのは難しいが、立派な寺社を堕落させるのは難しくない。


 意図的に堕落させた人がいたとしても、堕落した者が悪いと言われる時代だ。


 ただ、オレはこれ以上の裏工作を安易に許す気はない。


 正直、神宮をなにがなんでも存続させて盛り立てるべきだと考える人は織田家では少数派なんだ。元の世界の歴史を知らなければ、オレもここまで考えなかっただろう。


 この世界の未来のために神宮を残すべきなのか。その答えをオレは持ち合わせていない。


 現状では朝廷を潰すと後始末が大変だということと、そこまでしなくてもという意見が多いことで神宮も見逃されているところだ。


 あくどい見方をすると神宮は対朝廷の人質のようなものなのかもしれない。朝廷と日ノ本の将来を話し合う時に神宮は交渉カードとして使える。


 それもあって好きにさせているという理由もないわけではない。


 独立も拒み、従うことも拒む。その先に待つモノを神宮は甘く見ている。


 清順さんが上手く繋いでくれるなら、それでよかったんだけどね。神宮は清順さんすら軽んじているから。




Side:ヒルザ


 甲斐の風土病、日本住血吸虫症、この時代でいう腹でっぱり病に関する報告書が届いた。半年に一度、報告書として尾張の病院に届けるものね。


 進めていた移住計画の現状と課題、それと患者の推移と治療記録などが主となるわ。


 日本住血吸虫症に関しては、治療法は司令の生まれた世界で確立しているけど、残念ながらあの治療薬は使えない。


 医療に関してはオーバーテクノロジーの使用基準を緩めているけど、あのレベルの薬を公に使うと医学の発展の妨げとなりかねない。


 私たちは人が正しく病気と向き合い戦うための基礎を残さないといけないのよね。


「やはり患者が減りましたな」


 報告書に対策をしている医師たちが嬉しそうな顔をした。移住により危険地帯に人を入れないようにしたことで確実に患者が減っているから。


 早期発見早期治療、病の原因となる行動をさせない。それもまた医術のひとつなのよね。


「そうね、今までの調査から私たちの仮説が正しいと思うわ」


 甲斐以外にも一部同じ病に罹る地域は封鎖するべきね。甲斐は封鎖範囲が広いことで今でも反対意見がある。生まれ育った地を無人にするから移住しろというのは、この時代でも反発があるわ。


 ただ、それでもこうして数字として証明して見せたことで少なくとも武士や寺社の者たちは理解してくれるはず。


「ようございましたな」


「左様、皆で励んだ甲斐がありまする」


 風土病対策は多くの人が動いて実際に励んでくれた。それ故に、こうして明確な数字で結果を出せたことは本当によかったわ。


 これで迷信から一歩進んだ医療が定着してくれるはず。


 無論、日本住血吸虫症の研究は今後も続ける。無駄と分かっていることも試行錯誤の一環として続けていくことになるわ。


 いつの日か、日本住血吸虫症の撲滅と治療薬が開発されるその日まで。




◆◆

 日本住血吸虫症、研究報告書。


 日本医学界の至宝とも言われる研究記録の報告書である。その量は膨大であり、医学が病と闘った記録としては最長となるほど長い年月を掛けて続けられた。


 同研究の基礎を築いたのは久遠一馬の妻である薬師の方こと久遠ケティと明けの方こと久遠ヒルザであり、まさに日本の近代医学の始まりから発展していく様子が分かる記録として医学的にも歴史的にもその価値は高い。


 現在、日本において日本住血吸虫症は撲滅され治療法も確立されているが、その歴史はまさに医学と病の戦いであった。


 撲滅宣言が出された年、初代研究所があった場所には日本住血吸虫症撲滅を祝う石碑と資料館が作られた。


 久遠ヒルザの意思により、歴代の医師や協力者の名前がすべて報告書として残っていたことで資料館では彼らの名前を掲示している。


 現代では医師を目指す学生が同資料館と石碑を訪れることでも知られている。


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