第2627話・とある男の年の瀬

Side:久遠一馬


 大掃除や餅つきも終わった。


 世の中には飢えていて正月を迎えるどころではないところもあるが、領内は概ね食料と正月を祝う品が行き届くようにしてある。


 無論、完璧と言えるほどではない。末端の村の中で食料の独占や勝手な召し上げをやる人はどこにでもいる。そういう人たちを指導し、時には罰を与えるなどして根気強く変えていくことは織田家の末端で行っていることだ。


 そんなこの日だが、佐々政次さんがウチに来ている。


 織田家最古参のひとりであり警備奉行配下で次席を務めていて、広がった織田領の治安維持と警備兵の運用において欠かせない人になる。


「やはり内匠頭殿に飲ませてもらう酒が一番美味いな」


 すでに仕事納めに向け動いていて警備兵絡みの急ぎの用事もない。あと、政次さんとは割とよく顔を合わせて、お酒やお茶を共にすることがよくある。


 こうして話すことで、自分たちの置かれている状況を見直すということは重要だ。みんなが同じ方向を向いているわけもないし、考え方や目指す形が個々で違うなんてことは珍しくない。


 政次さんはそれを理解すればこそ、会うことで自身とオレの考え方の違いを修正している。ただ、本人はこうして酒が飲みたくて来たとか冗談を言うけどね。


「今年も忙しかったですからね」


「まったくだ。己のことは己でやればいいものを。頭を下げぬ者に限って……おっと、これ以上はせっかくの酒が不味くなるな。やめておこう」


 ほんと気が利くし、オレと妻たちに堂々と意見する数少ない人になる。おかげで忙しくなっているんだろうけどね。


「家中や領内に鬱憤が溜まっていますか」


「致し方ないところもあるな。そもそも坊主や神職が寺社を信じておらぬ。誰が信じるというのだ」


 政次さんの言葉にエルが困ったような顔をするが、本当に仕方ないことになるだろう。


 寺社、この場合は畿内の大寺院とか、領内にある寺を束ねる上位の寺のことだ。末端のお坊さんたちが自分たちのお偉いさんを信じていないわけで、それが武士や領民にも大きな影響を与えている。


 現状において、寺社に対する過激派として一番多いのは寺社の人たちなんだ。真面目な人ほど堕落して血縁優先の現状に不満を抱えている。


 この問題、もとからあったことなんだよね。太原雪斎さんとかと話していると、そういう話になることがある。代わりに信じるものとかなく、よほどの覚悟や信念がないと言えないような世の中だったんだ。


「もう止められぬし、止める必要もなかろう。対話と説法で互いに理解し共に生きられぬ寺社の力など高が知れておる。少なくとも神仏の罰は降らぬ」


 物凄い本音だ。無論、これはウチにいるからこそ言えることで、さすがに公の場で公言しているわけではないが。


 ちなみに政次さんの意見は尾張を中心に広がっている価値観のひとつだ。


 庶民や武士にあれこれ言う前に、寺社同士で話し合って争いや対立を止めろ。戒律は守れ。都合のいい抜け道を作るな。そんなことを言う人が割と多い。


 領内の寺社の関係者が織田家の改革により変わった影響で、寺社の内情が庶民にまで伝わってしまったからな。論理的思考というか、普通に考えるとおかしな矛盾を庶民でも知ることになってしまった。


 ほんとお坊さんとか神職の皆さんの影響力が大きいんだ。


「あまり滅茶苦茶になるのも困るんですよね。今の寺社が滅んでも新たな神仏を語る者が出るだけですから」


「人は愚かだからな。わしはもう神仏などあてにしておらぬわ。寺社の積み重ねた業を学んで信じるのを止めた。まやかしと同じではないか」


 政次さんほどしっかりした人が世の中に多ければ、寺社ももっとまともだっただろうね。ただ、悲しいかな人は弱いんだ。


 まあ、こうして意見交換するのも有意義な時間だ。こういう場から次の方針に対する案が出ることもある。


 今日は年末だから、ほんと話をしているだけになるけどね。




Side:銀次


 身重の妻に、今は亡き父と母を思い出す。今のオレを見て喜んでいるのか怒っているのか。いずれであろうな。


 妻を迎える気などなかったし、子を儲ける気もなかった。とはいえ、女に手を付けたのはオレだからな。今更な話か。


「新年を迎える支度はこんなものかね」


 身重の女は働かせるなというのは、今の尾張ではそこらの童だって知っていることだ。同じ長屋の女衆があれこれと世話を焼いてくれる。


「いつもありがとうございます」


「いいんだよ。久遠様のおかげで今の私たちがあるんだから。なにかあったら言ってね」


 流れ者が集まる長屋において、久遠家家臣の娘というのは神様仏様のようなものらしい。妻が自ら名乗ったわけではないが、すぐに素性が知れてしまった。それだけ尾張だと久遠家家臣は目立つんだろう。


「酒ならある。持って行ってくれ」


 ちょっとした縁で酒なら安く買える。それを女衆への礼にと差し出すと、遠慮しつつ持って行った。


 近頃、産まれてくる子をいかにするか考えている。家業と言える仕事もなく日銭を稼ぐような身分の子だ。尾張なら生きていくのに困るまいが……。


 今日を生きるだけでいい。少し余裕があれば明日のことを考える。左様な暮らしを長らく続けていただけに、いかにしていいか分からねえ。


「銀次殿! 剣を教えて!!」


「おお、いいぜ」


 生きるくらいの日銭を稼ぐ伝手はある。ただ……。そんなこと考えていると、十数人ほどの童らがやって来た。長屋だけじゃねえ。近くに住む子が噂を聞きつけて剣を学びたいと来るんだ。


 オレは人に教えるほどの剣術は使えねえんだがなぁ。放っておくとどんどん来る童どもが増えていく。


 これも妻を迎えたことが多少なりとも関わりがある。オレは今も根無し草だが、久遠家と縁がある者だと誰もが思うからな。なにをしているか分からない怪しい男という見方をされることがなくなったのかもしれねえ。


 まあ、久遠家に仕える甲賀衆から仕事をもらうことがあるから、多少の縁ならあったのかもしれないが。


 意地を張る必要もないか。あるがまま、流れるがまま。明日のことは明日考えればいい。


 ひとまず今日は目の前の童どもに剣術を教えてやるか。


 騙し騙され、殺し殺される地獄を生きるのには役に立った剣だ。童どもに必要か分からんがね。


 強くあることは無駄にはなるまいさ。



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