第2245話・子供たちの久遠諸島訪問と近江の山狩り・その五

Side:春


 陣中だというのに、賊の討伐より戦後の責任問題で大騒ぎとはね。


 六角家が旧来の統治から変えようとしていたことは、恐らく近江の諸勢力は多かれ少なかれ気付いていたこと。ただ、それがどの程度自分たちへの影響があってどう変わるのか。それを見極めることが出来る者はほとんどいなかった。


 尾張の変革が繁栄と富に繋がっているのは確かで、六角家が同盟関係を結んだことでその富が近江にも流れ、なにもしなくても豊かな恩恵を得ていた。


 近江の諸勢力の場合、もっと寄越せと騒がないだけの分別はあり、言い換えると自分たちの既得権を維持したまま得られるだけの利で満足していたわ。


 ただ、蒲生殿は半端な現状で満足しなかった。武士なのでしょうね。生粋の。政においても、生きるか死ぬか。常在戦場、そんな言葉がしっくりくる人。


「暇ね~」


「うん、暇」


 秋と冬は暇を持て余し始めたわね。それは織田の陣に言えることでもあるけど。特にやることはないし、六角家より目立って功を上げてもよくない。ほんといるだけでいいのよね。私たち。


 そんな折、目賀田殿が姿を見せた。


「一帯の村々から解死人げしにんが出され始めました」


 解死人、いわゆる身代わりの犯人ね。犯人を差し出すことで相手の面目を立てて問題解決として落としどころとする。やはりとしか言いようがないわね。織田家では、織田分国法を制定した時に、移動の自由と共にやめさせた制度なんだけど。


「そう、大変ね」


 目賀田殿は所領がないことで動きやすい。それもあって私たちに報告と説明に来てくれるけど、私たちは基本的に求められないことは口を出さない。


「いかが思われまするか? 下野守殿は許さぬと言うておりまするが」


「どちらでもいいと思うわ。該当する村を今後どうしたいかによる。惣村の慣例に手を付けるなら、相応に生きていけるようにする必要はあると思うけど。下野守殿は、もうこの先、自身の判断で戦が出来ない以上、不要なものを見切りたいのでしょうね。こちらでもそういう人は多いわよ」


 道理を通すという体裁で損切りをする。ほんと尾張のやり方と同じね。面目や慣例より道理を重んじる。そういう動きをしている今なら、勝手ばかりする寺社や献上する土地との縁を切り離せる。


 同じく東海道で賊働きをしていたり手助けしていた甲賀では、直轄領化を一気に進めた時にうやむやにしてしまったのよね。ほんと土地と自治権を放棄するなら、それでいいんだけど。


「いずれにしても、あの地の者が泣きつくのは変わりませぬか」


「ええ、そうよ」


 近隣の寺社と村は終わりね。命と食える手助けは必要だけど、抵抗はしないでしょう。ほんと面倒だけど、こういう形から利権整理をしていかないといけない。


 まあ、あとは管領代殿が上手くやるでしょう。




Side:沢彦相恩


 久遠島に来て以降、内匠頭殿の楽しげな姿が見られる。そう、尾張に来たばかりの頃、若殿とともに新しきことをしようとしておられた頃のようだ。


 今の内匠頭殿を見ると、若殿は悔やむかもしれぬな。内匠頭殿を日ノ本に引きずり込んだことを。


 好き好んで政などしたくはない。今では知る者も少なくなった内匠頭殿の本音じゃからの。


 学校の子らが内匠頭殿の功を本領の者たちに教えてやりたいと用意した人形劇。それを少し恥ずかしげに見ておられたのが印象深い。


 内匠頭殿のことだ。大袈裟だと思われておるのであろうな。あれでも控えめにさせたのじゃが……。


 人は誰しも己の姿を見ることは出来ぬ。内匠頭殿と奥方衆が成した偉業に比べると、人形劇は控えめであろう。


 学校を営んだ当初から仕えておる教師の中には、もっと内匠頭殿の功を誇る形にしてはという者さえいた。


 生まれも血筋もない。宗派の対立もな。皆で学べる場をつくられた功に比べたら、とてもとても足りぬと不満げな者さえおった。


 噓偽りなく、内匠頭殿は、尾張の……いや東国における心の支えとなりつつある。


 つらつらと考えておると、子らの驚く声が聞こえてきた。


「うわ!?」


「すごい! とんだ!!」


 島の者の遊びを子らが皆でやっておるのだ。人の拳ほどの丸い球を木の棒で打つというもの。島の者は『野球』と言うておったな。


 もとは武芸の鍛練の最中に、木の棒で石を打つことで飛ばして遊んでおったのだとか。石遊びと似たようなことをこの地でもしておったというのは興味深いが、久遠はさらに上をいく。


 手傷など負わぬようにと遊びやすい形に整えたのだ。尾張で親しまれておる模擬戦や、学校で子らが蹴鞠の古い球で始めた蹴球もそうじゃが、久遠はあるものからよりよき形を作り出すのが上手い。


「いや、ほんとよく飛んだなぁ」


「筋がいいね、ちょっと教えるとこんなに伸びるなんて」


 遠くに飛ぶ球を見て内匠頭殿と今巴殿が喜んでおる。形式を好まず、あるがままにありたいと願うというのに人々の信を集める。


 神仏の使者と誤解される理由は内匠頭殿の在り方にあるのかもしれぬの。


「そろそろ、お昼だね」


「たくさん作りましたよ」


「みんながお腹いっぱい食べる分あるわよ」


 ああ、姿が見えぬと思うた大智殿は、食師殿らと共に昼餉の用意をされていたか。


 飢えぬように与えるだけではないのだ。武士にも寺社にも民にも変わるように望むが、皆が笑うて生きられるようにと細かな心配りをされる。


 ……朝廷や寺社を超える者が現れるとはの。


 かの者らがこの先いかに動こうとも、内匠頭殿の功は消えることはあるまい。この子らが必ず子々孫々まで残すはずじゃ。


 それもまた、よかろうて。




◆◆

 野球の歴史は古い。


 記録に残る最古は、天文年間に久遠諸島父島にある久遠学校にて、子供たちが武芸の鍛練の合間に木刀で石を打って遊んでいたものになる。


 この時、学校の教師たちが、危なくないようにと石ではなく削った木の玉に布や皮を巻いたものを作ってやり始めたのが野球の元祖となる。


 また、永禄五年に久遠一馬が帰省した際には、織田学校の子どもたちと共に楽しんだとあり、現代のように完全な競技として確立していなかったものの、余暇の遊戯としては人気だったと記録にはある。


 この時、織田学校の子供たちにより尾張へと伝わった野球は、小競り合いなどの争いがなくなった武士や農民に伝わると人気となり、のちに武芸大会の種目として採用され、現代まで続くこととなった。


 


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