第14話 「 蜜月 」
その夜はキスで終わった。私はマユリンに別れを告げ、部屋に帰ってコータにメッセージで報告をした。マユリンからも朗報が来たみたいで、とても喜んでいるようだった。
その後、私は交際を始めた時に訪れる蜜月の期間を迎えた。8月の初旬、二人で大きな川べりの花火大会に行った。全てが夢を見ているような展開だった。
私が講師をしている進学塾は大手だったので、花火大会のため講師用に観覧席が予約されていた。それはとある雑居ビルの中層階にある川に面したカフェ窓際のボックス席だった。2人ずつのテーブルとソファー、そして4人でひとつの仕切りになっていた。講師は家族をひとり同伴して良いことになっていて、年上の方々も多く、奥さんを連れてきている講師も数人いた。
幸運なことに。私たちは二人だけで仕切られている隅のボックス席が割り当てられていた。
「で、これっていいの?家族ってあたし家族じゃないけど。」
「まぁオレに任しとけって。」
紺色で朝顔の模様があしらわれた浴衣を着たマユリンは今まで見た中で一番カワユかった。髪をアップにして露出したうなじも私の心臓をより激しく鼓動させた。
「めっちゃカワイイぜ、今までの中でもとびっきり。マユリン浴衣とっても似合ってるよ。」
私は素直に感動を述べるタイプである。
「シンちゃんの作務衣も男らしくて素敵よ。それってどんな時に着るの?」
「あ、これ?オレって書道の師範なんだよ。それでお花のレッスンに来ている生徒さんに時々書道のレッスンも別にやっているわけ。お花って書画のお軸とかと一緒にアレンジするんで、嗜みとしてやってるんだ。」
「シンちゃんって、エッチなのにとっても教養あるのね。私も書道教えてよ。」
「いいよ、喜んで。じゃあ今度やろうか。」
「うれしい。私が書道やってたら、おばあちゃんが喜んでくれるよ。」
そんな話をしているうちにカフェの照明が暗くなり、花火が始まった。私たちはかき氷を注文し、それを食べながら花火に見入っていた。すると、カフェの後ろの通路から声がかかった。
「あれ、コーサカ先生じゃないですか。」
それは国語担当のサイキ先生だった。サイキ先生の国語は授業がとてもわかりやすく、しかも入試問題を的中させることもあって、TOEIC高得点を誇る私の英語の授業と人気を二分していた。サイキ先生は大学までバレーボール選手で、背が高く、高身長の奥さんを同伴して来ていた。
「あれ、コーサカ先生、ひょっとしてそちらは奥様ですか?」
「あ、あの、この人は…、」
私がいい淀むとマユリンはそれを遮った。
「はい、妻です。マユと申します。」
「マユさんですか、いつもコーサカ先生にはお世話になっています。いやあ、コーサカ先生にこんな清楚な奥様がいらっしゃったとは。」
「あ、はい、はい、あのお。」
私は真っ赤になって何を言っていいのか分からなくなっていた。
「妻のシズカです。奥様にお目にかかれて光栄ですわ。」
「あ、こちらこそ、シンタロウがいつもお世話になっていまして。」
二人が笑いをこらえていることは表情ですぐにわかった。
「やめろよ。ほんと。」
「いいじゃん、コーサカマユ、いい響きだわ。」
いつも見せる太陽のような笑顔で言った。私はふと故郷にある花屋の店先で、エプロンをつけて客の相手をしているマユリンを想像した。悪くない、いい風景だ。
「あ、何考えてるの?またエッチなことでしょ。」
「ち、違うよ。」
「私が浴衣着てるからって、脱がす想像でしょ。知ってるよ、脱がした下のパンツはやっぱ白がいいぜ、とかさぁ、不潔っ。ああ、やだ。」
「違うってば。」
「だってシンちゃん、着付けとかできるから。」
「もうそれ以上言うと、本当に脱がすからな。」
「ほら、ほーら、コータといいシンちゃんといい、オトコってほんと不潔なんだからっ。」
言われてみるとこの草食系が多い現代日本では、私たちは異色の好色男に違いなかった。ふざけ合いながらも花火を満喫し、そして帰路についた。
次の朝、塾の夏季講習で長文演習が終わった後、国語のクラスにいた女子生徒二人が私の教室に駆け込んできた。
「コーサカ先生、おはようございまあす。」
彼らの異様に明るい笑顔に私はカンでピンときた。
「お綺麗なカノジョさんがいらっしゃるとか。」
彼らは黄色い嬌声をあげた。
「聞きましたよ、サイキ先生から。なんかもうラブラブだったって。」
「ねぇ、写真とか見せてくださいよお。」
左側の女子生徒がロングヘアを掻き上げながら言った。私はまんざらでもなかった。
東京で恋をするって、こういう華やかなアクシデントに満ちているのだ。
「きゃー、カワイイっ、アイドルみたい。マユさんでしたっけ?先生は何て呼ばれてるんですか?」
「え、まぁ、シンちゃんって。」
「きゃー、言ってみたい、シンちゃんだって。デレデレじゃん、もう。」
「あ、真っ赤になってる。いいなー、私も大学生になったらいっぱい恋したい。お相手は大学生?」
「うん、同じ大学の英文科。」
「尚英の英文科かあ、偏差値高そう。私じゃ無理かも。」
「夏から頑張れば入れるよ。秋になったらオレのクラス選択してリスニングを鍛えよか。」「じゃぁ、秋から先生の講座取るんで、マユさんとのツーショットとか見せてね。センセ。」
私はマユリンと和解したことにおける最大のメリットを得ていた。
つづく
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