優しい誘拐
桑鶴七緒
第1話
「お父さん、この花は何ていうの?」
「ハルジオンだ。お母さんに持っていこうか?」
「うん。あのね……僕、また学校に行きたい」
「友達に会いたくなったか?」
「会いたい。仲直りしたらサッカーもしたいし遊びたい」
「……そうか。やっと決めたんだな。帰ったらゆっくり話をしよう」
小学校二年生の終業式前に、僕はふとした際に自宅から出れなくなってしまったことを理由に学校を不登校になったことがあった。
両親はそんな僕を気遣い一年間近くは自宅で勉学をしながら、時々外出できる時は近くの公園や父の運転する車に乗って河川敷の駐車場から野球やサッカーをする人たちを観ながらリハビリとなる事を続けて行った。
時折些細なことで三歳下の妹の果穂と喧嘩をすると、泣きじゃくる果穂の姿を見ては自分も胸が苦しくなり部屋に閉じこもると母の香苗が心配して僕を宥めてくれた。子ども同士のもつれはそう長くは続かず仲直りをすると、果穂に絵を描いてそれを渡していた。
皆の協力もあり九歳の誕生日を迎えた時には三年生になる時期だったので、再び学校へ行くと僕の顔を知る人たちは声をかけてくれ、それに安堵しては友達も増えていき勉強も楽しく取り組むようになっていった。
六年生の夏休み前に、過労で父が倒れて入院した時に医師から家族に告げてきたのは、末期の胃癌を患っているという話を受けて母を中心に看病をしていったが、翌年の三月に父は満開の桜が咲き誇るなか静かに僕たちの元からあの世へ旅立っていってしまった。
高校を卒業してからはすぐに就職して友人ともあまり連絡を取らずにがむしゃらに仕事に打ち込んでいった。三十歳を手前にした時に高校二年の時に親しくしていた同級生が結婚式を挙げるという連絡を聞いて、彼の門出を祝いたいと思い式に出席をした。
会場について指定された席に座るとちょうど向かい側にある女性がこちらを見て声をかけてきた。
「奏市じゃん、久しぶりだね」
彼女の名前は関口琳。高校の時から二十歳まで三年付き合っていた。僕はしばらくぶりに見る彼女の姿に少々戸惑いを感じた。雰囲気は当時と変わらないのだが、どこか垢抜けた表情を見せ結った黒髪から覗く首元にやけに色気を感じたのだ。式が始まり新郎新婦の同級生の二人が入ってくると周囲の人たちも拍手をして歓迎していた。
食事を摂りながら他の同級生たちの余興も楽しく両家の両親への挨拶にはこちらも胸を打たれる思いが伝わってきていた。
二時間ばかりの心地よいひと時があっという間に終わると琳が一緒に帰ろうと言ってきたので会場を出て駅までの道を適度な距離を保ちながら二人で会話して歩いた。
「そうか、お前も結婚控えているのか」
「まだ一年後だけどね。彼がさ単身で海外にいるんだ。来月帰国するんだけどまたすぐに戻るみたい」
「大変そうだな。一人で寂しくない?」
「慣れたといえば慣れた。自分ももしかしたら向こうに一緒に住むかもしれないんだよ」
「そうか。あのさ、今日せっかく再会できたし連絡先交換しないか?」
「ええ?面倒くさいなぁ」
「いいじゃん、あまり会ってる人もいないんだろう?たまにはさ一緒に飯でも行かない?」
「何、奢ってくれるの?」
「もちろん割り勘だ。俺も調べておくけどそっちも行きたい所あったら店の場所教えてよ」
「わかったよ。ねえ奏市……まだ私に未練あるの?」
「ないよ、なんで?」
「そう誘ってきたからまだ気があるのかなって思ったんだ。まあ気晴らしに行ってみますか」
「乗り気じゃない?」
「ううん、逆に嬉しい。退屈しのぎになりそうだからさ」
「相変わらず減らず口だな」
「うるさい。……ああ私改札別になるからここで帰るよ。スマホ貸して」
「はい……何か当時携帯とか持っていなかったからこうやって連絡先交換するの新鮮な感じがするな」
「そうだね。……じゃあまたね」
「連絡したらちゃんと返せよ」
「わかってるってば」
気風の良さは当時のままで話をしていてもこざっぱりしている所が懐かしさを引き出してきた。未練なんてないと言い切ったがやはり時を逆算していくとあの頃の匂いなどが思い出してきてその歩く後ろ姿に愛おしさを醸し出してくる感覚が滲み出た。
二週間後琳が指名してきた東横線の学芸大学駅の近くにあるイタリアンの店へ行きワインとローストした和牛肉やオーナー特製のパスタを注文して食事につきながら高校時代の頃や現在の事を中心に会話をしていった。
「お互いだいぶ酒が飲めるようになったな」
「二十歳の時にさ私の誕生日だったっけ?勢いで飲んだら凄い酔っぱらって路地裏で倒れ込んだでしょう?」
「あれか。そうだなお前なかなか立てなくて叫んでいたよな?」
「そうだったっけ?馬鹿みたいだね、若いっていうかさ。酔いつぶれて奏市に介抱されてたのは記憶にあるよ」
「今日は飲みすぎるなよ」
「わかっています。ここの店初めてきたけどどれも美味しくていいね」
「ああ。また来たいな。今度彼氏を連れて来いよ」
「一緒だと妬きそうだよね」
「何を妬くんだ?別にそこまで未練なんかないよ」
「そうじゃない顔している。なんか……あの頃の奏市みたい」
「昔から比べたって変わっているだろう?」
「中身はあの頃のままだよ」
「俺、変わってないのかなぁ……」
「ううん。何か前より男前になっている。当時の奏市なんだけど違う角度で見たら落ち着いた人に見える」
「それ、歳相応ってやつだろう」
「まあそれもあるかな」
「全く……適当だなぁ」
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